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月を描く [いま、ここ、わたし]
新しく買ったクレパスで月を描きました。

最近は樹を描くか、月を描くことが多いです。
思いつきで始めたことなので理由はないんですが、なぜか描きたくなるんですよね。
なんだろな~?
最近は樹を描くか、月を描くことが多いです。
思いつきで始めたことなので理由はないんですが、なぜか描きたくなるんですよね。
なんだろな~?
2020年 [いま、ここ、わたし]
年が明けました。
年末にインフルエンザにかかってしまい外出できずにいたのですが、そろそろ外に出られそう。
去年はとにかく変化、というか、新しいことが沢山起こった年で、その風をなるべく自分の中で勝手に捻じ曲げずに、そのまま受け止めようとしていったと思います。
新しい人にも沢山出会いました。
その流れはたぶん今年も続くでしょう。
そしてそれは、もっと激しくなるかも知れないし、全然違った展開を見せるかも知れない。
相変わらず分からないことだらけですが、ほんの少しづつですが何かが見えてきている気もしています。
たぶんそれは、行動することでしか見えてこなくて、考えるだけでは見えてこないものでしょう。
もしかしたら、すでに知っていて、でも見えなくなっているものかも知れない。
そして、それは他人と関わることで、改めて見えてきていることかも知れない。
新しく古いもの。
他人のものであり自分のもの。
どこまでも主観でありながら、だからこそ人と共有できるもの。
詩(うた)にならない詩(うた)。
見えなくて大切なもの。
支えとなり育んでいくもの。
そんなものたちと沢山出会いながら、今年も生きていくことになりそうです。
よろしくお願いします。
年末にインフルエンザにかかってしまい外出できずにいたのですが、そろそろ外に出られそう。
去年はとにかく変化、というか、新しいことが沢山起こった年で、その風をなるべく自分の中で勝手に捻じ曲げずに、そのまま受け止めようとしていったと思います。
新しい人にも沢山出会いました。
その流れはたぶん今年も続くでしょう。
そしてそれは、もっと激しくなるかも知れないし、全然違った展開を見せるかも知れない。
相変わらず分からないことだらけですが、ほんの少しづつですが何かが見えてきている気もしています。
たぶんそれは、行動することでしか見えてこなくて、考えるだけでは見えてこないものでしょう。
もしかしたら、すでに知っていて、でも見えなくなっているものかも知れない。
そして、それは他人と関わることで、改めて見えてきていることかも知れない。
新しく古いもの。
他人のものであり自分のもの。
どこまでも主観でありながら、だからこそ人と共有できるもの。
詩(うた)にならない詩(うた)。
見えなくて大切なもの。
支えとなり育んでいくもの。
そんなものたちと沢山出会いながら、今年も生きていくことになりそうです。
よろしくお願いします。
中国の南京に行ってきました [いま、ここ、わたし]
中国の南京へ、4泊5日で行ってきました。
12月13日が南京大虐殺の紀念日で、それに合わせて日本と中国のアーティストが合同で行ったイベントに参加したのでした。
友達のアーティストが誘ってくれたのです。
別の日に、南京大虐殺紀念館や実際の虐殺のあった現場にある慰霊碑にも行ってきましたが、そこで感じたことは簡単に言葉にすることはできそうにありません。
現場では、ただただ黙るしかありませんでした。
アメリカに生まれ育った人が、広島や長崎を訪れたら、こんな気持ちになるのかも知れない、と想像しました。
頭で考えるのではなく、自分の体をそこに運び、直接は見えないものを感じる機会を得られたことを感謝しています。
本当に行けてよかった。
写真は、イベントの会場でもあった南京の素晴らしい本屋、先鋒書店のバッグ。
張棗という詩人の詩がデザインされています。

衹要想起
一生中後悔的事
梅花便落滿了南山
紀念張棗
ただ覚えている
人生の後悔
梅の花は南山で覆われています
チャン・ザオを記念して
12月13日が南京大虐殺の紀念日で、それに合わせて日本と中国のアーティストが合同で行ったイベントに参加したのでした。
友達のアーティストが誘ってくれたのです。
別の日に、南京大虐殺紀念館や実際の虐殺のあった現場にある慰霊碑にも行ってきましたが、そこで感じたことは簡単に言葉にすることはできそうにありません。
現場では、ただただ黙るしかありませんでした。
アメリカに生まれ育った人が、広島や長崎を訪れたら、こんな気持ちになるのかも知れない、と想像しました。
頭で考えるのではなく、自分の体をそこに運び、直接は見えないものを感じる機会を得られたことを感謝しています。
本当に行けてよかった。
写真は、イベントの会場でもあった南京の素晴らしい本屋、先鋒書店のバッグ。
張棗という詩人の詩がデザインされています。
衹要想起
一生中後悔的事
梅花便落滿了南山
紀念張棗
ただ覚えている
人生の後悔
梅の花は南山で覆われています
チャン・ザオを記念して
シクラメンとの出会い [いま、ここ、わたし]
今日、よく行くカフェに行く途中にある花屋さんで、白いシクラメンに出会いました。

一目惚れして買ってきたんですが、ずっとシクラメンが欲しかったので、ものすごい嬉しいです。
実は今日、このシクラメンに出会う前、家にあった枯れてしまったシクラメンを処分したところでした。
★ ★ ★
その枯れてしまったシクラメン。
実は、去年の兄の葬儀で急に紋別へ帰った時、半分だけ枯れて、半分だけ生き残ったものでした。
なぜか、本当にきれいに半分だけ枯れたのです。
そのぴったり半分枯れた感じが、自分が兄の死で感じていた、体の中が半分空っぽになった感じととても似ていて、不思議に思いつつ、大切にしていました。
今まで、シクラメンは好きでたまに買っていたのですが、だいたい2年目には枯らしてしまっていたのに、このシクラメンは次の年も咲いた初めてのシクラメンでもありました。

↑これが半分枯れた状態ながらも、花をつけたシクラメンです。嬉しかったなぁ。
そんな大切なシクラメンですが、10月の台風の際に水浸しにしまい、残っていた半分も枯れてしまいました。
多分枯れてしまっただろうと思いつつ、いままで捨てられなくて、とってあったんです。
最近、シクラメンが欲しくて、気に入るのがないかな、とたまに花屋をみていたのですが、どうしてもピンとくる物がありませんでした。
それが、思い切って捨てたその日に、新しいシクラメンに出会うなんて、なんだかとても不思議です。
売っていた花屋さんは、前から少し気になっていた花屋さんで、今日初めて入ったお店でした。
「店先のシクラメン、とてもいいですね」と言ったら、店長さんらしき方が「そうでしょう?うちはシクラメンはいいものしか入れないの。そのシクラメンは市場で、絶対買ったほうがいいって勧められたのよ」と言っていました。
そんなシクラメンと出会えたことは、とても幸運で嬉しいことです。
★ ★ ★
兄の死で自分の体が半分からっぽになった感じは、実は兄の一周忌の法事の最中に変わりました。
住職がお経を読んでいる間、この感じをどうしたらいいのかなあと思いながら、心の中で兄に相談していたんです。
その時までは、からっぽになっている半分が、元に戻ることをどこか期待していたと思います。
兄にもそのつもりで相談していました。
でも、そんな相談をしていた最中、すっと、もう半分残っていた部分が消えていったんです。
びっくりしました。
結果、自分の中が全部空っぽになったんです。
でも、その時、分かりました。
ああ、半分からっぽになった場所にベンチを置いて色んな人に座ってもらっていたけど、これからは全部を使って自由に色んな人に遊んでもらえばいいんだな、って。
自分の中が半分だけじゃなく、全部空っぽになるなんて怖いし、そんなこと想像もできなかったけど、そうなってみたら、とても楽になった感じがしました。
兄も子供の姿に戻って、その中で自由に遊んでいる感じがしました。
その感じは、今もそのまま続いています。
だから、シクラメンが枯れてしまったことは悲しいけど、それでいいのだと思います。
そして、それでいいときちんと思えたから、新しいシクラメンに出会えたのだと思います。
新しいシクラメンさん、これからよろしくね。
一目惚れして買ってきたんですが、ずっとシクラメンが欲しかったので、ものすごい嬉しいです。
実は今日、このシクラメンに出会う前、家にあった枯れてしまったシクラメンを処分したところでした。
★ ★ ★
その枯れてしまったシクラメン。
実は、去年の兄の葬儀で急に紋別へ帰った時、半分だけ枯れて、半分だけ生き残ったものでした。
なぜか、本当にきれいに半分だけ枯れたのです。
そのぴったり半分枯れた感じが、自分が兄の死で感じていた、体の中が半分空っぽになった感じととても似ていて、不思議に思いつつ、大切にしていました。
今まで、シクラメンは好きでたまに買っていたのですが、だいたい2年目には枯らしてしまっていたのに、このシクラメンは次の年も咲いた初めてのシクラメンでもありました。
↑これが半分枯れた状態ながらも、花をつけたシクラメンです。嬉しかったなぁ。
そんな大切なシクラメンですが、10月の台風の際に水浸しにしまい、残っていた半分も枯れてしまいました。
多分枯れてしまっただろうと思いつつ、いままで捨てられなくて、とってあったんです。
最近、シクラメンが欲しくて、気に入るのがないかな、とたまに花屋をみていたのですが、どうしてもピンとくる物がありませんでした。
それが、思い切って捨てたその日に、新しいシクラメンに出会うなんて、なんだかとても不思議です。
売っていた花屋さんは、前から少し気になっていた花屋さんで、今日初めて入ったお店でした。
「店先のシクラメン、とてもいいですね」と言ったら、店長さんらしき方が「そうでしょう?うちはシクラメンはいいものしか入れないの。そのシクラメンは市場で、絶対買ったほうがいいって勧められたのよ」と言っていました。
そんなシクラメンと出会えたことは、とても幸運で嬉しいことです。
★ ★ ★
兄の死で自分の体が半分からっぽになった感じは、実は兄の一周忌の法事の最中に変わりました。
住職がお経を読んでいる間、この感じをどうしたらいいのかなあと思いながら、心の中で兄に相談していたんです。
その時までは、からっぽになっている半分が、元に戻ることをどこか期待していたと思います。
兄にもそのつもりで相談していました。
でも、そんな相談をしていた最中、すっと、もう半分残っていた部分が消えていったんです。
びっくりしました。
結果、自分の中が全部空っぽになったんです。
でも、その時、分かりました。
ああ、半分からっぽになった場所にベンチを置いて色んな人に座ってもらっていたけど、これからは全部を使って自由に色んな人に遊んでもらえばいいんだな、って。
自分の中が半分だけじゃなく、全部空っぽになるなんて怖いし、そんなこと想像もできなかったけど、そうなってみたら、とても楽になった感じがしました。
兄も子供の姿に戻って、その中で自由に遊んでいる感じがしました。
その感じは、今もそのまま続いています。
だから、シクラメンが枯れてしまったことは悲しいけど、それでいいのだと思います。
そして、それでいいときちんと思えたから、新しいシクラメンに出会えたのだと思います。
新しいシクラメンさん、これからよろしくね。
【書評:わたしを支えるもの すーちゃんの人生 益田ミリ】 [いま、ここ、わたし]
ふらっと行った渋谷のジュンク堂で、すーちゃんの新作を発見して、ひとり興奮しています。
以前、すーちゃんについて書いた、【書評:沢村さん家の久しぶりの旅行 益田 ミリ】によると、7年ぶりの新作になります。
当然、すぐ読み切ったわけですが・・・、いやぁ、いい。いいよ。これは。
本当に描きたい時に描いたんだなと思う。
いままでのすーちゃんと同じ様であり、何かが決定的に違うようにも思うのは、積み重なったものを丁寧に丁寧に扱っているからかも知れない。
色々な子どもたちと一緒にいるようになったすーちゃんが、どう過ごしているのか気になっていたから、この本を読めて本当に嬉しいし、今、自分がこの本に出会えたのは、最高のタイミングだと思う。
益田ミリさん、ありがとう。
以前、すーちゃんについて書いた、【書評:沢村さん家の久しぶりの旅行 益田 ミリ】によると、7年ぶりの新作になります。
当然、すぐ読み切ったわけですが・・・、いやぁ、いい。いいよ。これは。
本当に描きたい時に描いたんだなと思う。
いままでのすーちゃんと同じ様であり、何かが決定的に違うようにも思うのは、積み重なったものを丁寧に丁寧に扱っているからかも知れない。
色々な子どもたちと一緒にいるようになったすーちゃんが、どう過ごしているのか気になっていたから、この本を読めて本当に嬉しいし、今、自分がこの本に出会えたのは、最高のタイミングだと思う。
益田ミリさん、ありがとう。
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