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もう終わってるし、もう始まってる [いま、ここ、わたし]

東京オリンピック2020の開会式。

見る気はなかったんだけど、社会学者のおさいさん( @osai )が「なんか行く年来る年みたい」とツイートしてるのを見かけて、気になって見始めた。

とにかく、終始、胸が苦しかった。

楽しんでいるひと、会場近くに行っているひと、嬉しくて涙を流すひと、ほっとするひと。

怒っているひと、苦しんでいるひと、非難するひと、問題点を指摘するひと。

特に選手団の入場でゲーム音楽が使われ、それを沢山の人が喜んでいて、社会的に認められたと書く人もいて、そういう人達がいるんだなということ、そして自分はそう思えないこと、ただその事実を受け止め続けながら、最後まで見た。

怒りとか悲しみとか絶望とかではなくて、ただ苦しかった。

この気持ちはなんだろう。

引き裂かれて苦しくて、でもその引き裂かれた隙間から、なにかがはっきり見えたような。

目の前にあると思っていたことが随分前に終わっていること、そして目に見えてないだけで何かがすでに始まっていること。

まとめる気はない。

ただ、未来の自分の為に、今の気持ちを書き記しておきたい。

この気持ちに関連した記事のリンクを備忘録として貼っておく。

【 twitter:コメカ @comecaML 】
自分にとってもすごく難しいことではあるのだが、「情動によって連帯すること」から、今きちんと離れなければいけない。この興奮と高揚の先には間違いなくファシズムがある。法、公共的な言葉、近代的手続きの諸々を、きちんと捉え直す。反・united by emotionを。なんとかして「ひとり」になる。


【三森正道「それでも自分の道を切り開いていこう」】
物事を継続するのに必要なのは自らの意志である。他者の行為(あるいは好意)はこちらの思い通りにはできない。大事なのは、自分のコントロールできる範囲に集中すること。それは礼儀を失ってしまえということではなく、むしろ、もっと自分に対する礼儀(霊性)を取り戻そうとする在り方への話とつながっていく。


【藤本タツキ「ルックバック」でおこっていること】
こうした理解を前提に「ルックバック」を読む時、現在の社会秩序への抵抗を立ち上げるために、自分の内面や感情に向き合うことが、結局のところ何よりも必要とされていることに改めて気付かされる。


【ぱんださんの小径:58】
今回の大騒ぎで思うのは、受け手である私たちもちゃんと自分の頭と心で判断しなくてはならないということなのよ。 未来の私達に、もういい加減〇〇派ではなく、自分の意見と判断を!とせっつかれてるように見えるのよ。



★ ★ ★

補足:
この記事を書いた後、どうにも違和感があって、追加で【苦しさの原因を知る】を書いた。

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