【映画評】焼き肉ドラゴン [いま、ここ、わたし]
父役のキム・サンホの存在感に惹かれて観に行った「焼肉ドラゴン」
想像以上にいい映画で、泣くわ笑うわで大変でした
みんな、ひとりひとり生きてる
矛盾や葛藤の中で生きている
それがどんなに世間一般からおかしいとされていたとしても、自分が感じていること、思っていることがある
なかったことになんてできない
それらを抱えながら生きる
時にそれらが溢れ出し、ぶつかりあい、傷つけあい、泣き、それでも笑って生きる
「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとええ日になる」
ぜひ、お時間あれば観てみてください
【公式:焼き肉ドラゴン】
想像以上にいい映画で、泣くわ笑うわで大変でした
みんな、ひとりひとり生きてる
矛盾や葛藤の中で生きている
それがどんなに世間一般からおかしいとされていたとしても、自分が感じていること、思っていることがある
なかったことになんてできない
それらを抱えながら生きる
時にそれらが溢れ出し、ぶつかりあい、傷つけあい、泣き、それでも笑って生きる
「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとええ日になる」
ぜひ、お時間あれば観てみてください
【公式:焼き肉ドラゴン】
自分に朝ごはんを作る [いま、ここ、わたし]
今朝のメニュー
バン、人参とブロッコリーのサラダ、目玉焼き、ドラゴンフルーツ(いただき物)
美味しかったです
最近、自炊を再開しました
やる前は、めんどくさいし、自分の分だけだしなぁと考えて、消極的だったのですが、経済的な理由から再開したんです
でも、やってみたら、ちょっと楽しい
ここ一年ほどは、近所のスーパーでお弁当を買うことが多かったんですが、お弁当の代わりにお肉や野菜をメニューを考えながら買う
何食分になるかなと割り算しながら、キャベツやモヤシや鶏胸肉を買う(もしくは買わない)
「一食分の値段を自分でコントロールできるってのは、意外と自己効力感があるかも」
「ちょっとゲームっぽいな」
そんなことを思いつつ、朝ごはんを作ってたんですが、ふっと、自分の為だけにご飯を作るって、すごいことだな、と気づいたんです
いままでなら、ご飯を作る時、誰かのために作ってた(自分も食べるとしても、です)
決して、自分の為だけには作っていなかった(めんどくさいと思っていた)
でも、この朝ごはんは自分が食べるために、自分の為に、自分で作ってる
それに気づいて、自分を大切にしてる感じが、すごくしたんです
いつも、自分をほったらかしにして、他人のために動いてしまう自分
その自分が、自分を大切にして、それを「嬉しい」って思えてる
自分を大切にするって、こういうことなんだなぁ、と、朝ごはんを食べながらじわじわ思ったのでした
【書評】チップチューンのすべて All About Chiptune: ゲーム機から生まれた新しい音楽 [いま、ここ、わたし]
1990年に発売された、ソルスティスというイギリスのファミコンゲーム
当時、どんな経緯か忘れたんですが、発売後、すぐに手に入れて、その音楽にものすごい衝撃を受けたんですよね
とにかく圧倒的だった
アクション系パズルはもともと好きだったので、ずいぶんやりこんだ記憶があります
コンピューターの黎明期から続いてきた、コンピューターで音楽を奏でること
この本には、コンピューターの音源で音楽を奏でる魅力にとりつかれた人たちが、世界中で色々な活動をしてきたこと、今もしていることが、詳細に(本当に詳細に)書かれています
ソルスティスも出てきます
その詳細さに圧倒されながら読んでいたんですが、途中から、その詳細さとボリュームが自分のちいさな経験とリンクしてきて、なんというか、ひとりじゃない感、世界はつながってる感が、押し寄せてきました
すごく生々しい
情報として受け取ったというより、ひとりひとりの生き方そのものが迫ってきた感じでした
自分が好きなものを肯定して、それを使って自分を表現していく
世の中の主流な流れと、自分が好きなものは必ずしも一致しない
それでなんの問題もない
それを当たり前にして生きていく
そんな読み方をした本でした
当時、どんな経緯か忘れたんですが、発売後、すぐに手に入れて、その音楽にものすごい衝撃を受けたんですよね
とにかく圧倒的だった
アクション系パズルはもともと好きだったので、ずいぶんやりこんだ記憶があります
コンピューターの黎明期から続いてきた、コンピューターで音楽を奏でること
この本には、コンピューターの音源で音楽を奏でる魅力にとりつかれた人たちが、世界中で色々な活動をしてきたこと、今もしていることが、詳細に(本当に詳細に)書かれています
ソルスティスも出てきます
その詳細さに圧倒されながら読んでいたんですが、途中から、その詳細さとボリュームが自分のちいさな経験とリンクしてきて、なんというか、ひとりじゃない感、世界はつながってる感が、押し寄せてきました
すごく生々しい
情報として受け取ったというより、ひとりひとりの生き方そのものが迫ってきた感じでした
自分が好きなものを肯定して、それを使って自分を表現していく
世の中の主流な流れと、自分が好きなものは必ずしも一致しない
それでなんの問題もない
それを当たり前にして生きていく
そんな読み方をした本でした
若者とカレー作り [いま、ここ、わたし]
4月から、主に10代〜20代の若者が集まる場所に顔を出しています
ちょっとした偶然が重なり、その場所と出会って、毎週火曜日にカレー作りのお手伝いをしています
みんなでカレー作りして、みんなでカレーを食べる
目的はただそれだけなのですが、当然、その場にいる若者と話ししたりするのです
それが面白い
当たり前に、みんなちょっと「人生これからどうしよう」って思ってたりするので、ある意味で、私と話が合ってしまうわけです
相談まで行かなくとも、お互いの状況や経験や思いを、玉ねぎや人参を刻みながら話す
色々な話を聞いては、教えられています
先日なんて、ふと「私はもう若者じゃないしなぁ」って言ったら、「ここでこうやって一緒に話せれば若者ですよ」なんて言われちゃったりしました
おじさん、調子に乗っちゃうじゃないか
それはともかく、年齢性別問わずフラットな感じになっている場所なので、みんな居心地がいいみたいですね
まだしばらくは通うことになりそう
週一で手作りカレーが食べられるので嬉しいです
↑先日行ってきた、奥日光の戦場ヶ原のワンシーン
いいとこなので、ぜひどうぞ!
ちょっとした偶然が重なり、その場所と出会って、毎週火曜日にカレー作りのお手伝いをしています
みんなでカレー作りして、みんなでカレーを食べる
目的はただそれだけなのですが、当然、その場にいる若者と話ししたりするのです
それが面白い
当たり前に、みんなちょっと「人生これからどうしよう」って思ってたりするので、ある意味で、私と話が合ってしまうわけです
相談まで行かなくとも、お互いの状況や経験や思いを、玉ねぎや人参を刻みながら話す
色々な話を聞いては、教えられています
先日なんて、ふと「私はもう若者じゃないしなぁ」って言ったら、「ここでこうやって一緒に話せれば若者ですよ」なんて言われちゃったりしました
おじさん、調子に乗っちゃうじゃないか
それはともかく、年齢性別問わずフラットな感じになっている場所なので、みんな居心地がいいみたいですね
まだしばらくは通うことになりそう
週一で手作りカレーが食べられるので嬉しいです
↑先日行ってきた、奥日光の戦場ヶ原のワンシーン
いいとこなので、ぜひどうぞ!
またはじめる [いま、ここ、わたし]
先日のブログで書いたように、6月は色々人生の振り返りをしてました
一人で振り返るのではなく、毎週カウンセラーさんに会いに行きました
他人には話したことがないことを話してみる
他人に話したことがないことですから、それを話すこと自体、人生初めての経験となるわけです
そうすることで、感情の整理ができたことがいくつかありました
頭ではもう大丈夫だと思ってたのに、感情はくすぶってた
話してみて、初めてわかったことでした
今までは、それらのことについて、夢にみたり、ふと思い返したりしてたんですが、感情の整理ができてからは、そういうことがほとんどなくなりました
不思議な感じです
カウンセリングと平行して、自分の人生の出来事をテキストにまとめることもやりました
2つ目の会社を辞めた時、2000年に書いたテキストを見つけたので、それを元にしつつ、そこから18年分を日記を元に加筆してみる
面白かったのは、2000年と2009年に考えてたことが、今考えてることとすごく似てたんです
相変わらずなんだな、と、苦笑しながら自分に呆れつつ、安心もしました
なんか、自分はここ数年ですごく変わってしまった、と思い込んでいたからです
でも、変わったのではなく、自分を見失ってただけだった
正確に言えば、なかば見失うことを自分で許した
見失う危険を冒してでも、大切にしたいものがあったからです
そしてそれは、自分を見失っていることを、長い間、自分が気づけなくなるほど大切だったんだと、今では思います
いや、やっぱり自分は変わったのかな
ま、もうどっちでもいいか
振り返ることで、それでも自分は自分なんだ、って分かったし
またここから歩き始めればいい
あと、今回の振り返りで興味深かったのは、精神的な落ち込みがほとんどなかったこと
心をえぐってしまって落ち込むかなぁ、と思ってたのに、逆に元気になっていった感じです
ここ一年ほど、とにかく興味があることをなんでもやりつつも、新しい環境に無理に自分を合わせない、無理強いをしない、自分を大切にする、を守ってきたからかな、と漠然と思っています
さて、ここからです
振り返りは終わりましたが、今後の具体的ではっきりした道筋は見えてません
漠然とした方向性があるだけ
それでも、長い休憩は終わらせて、そっちに歩いてみようと思います
自分で歩かないと道にならないですからね
とりあえず、7月からもう一つ新しいことを始めます
これも前々からやってみたかったことです
楽しめるといいなぁ
↑きれいに咲いたグラジオラス。嬉しい
一人で振り返るのではなく、毎週カウンセラーさんに会いに行きました
他人には話したことがないことを話してみる
他人に話したことがないことですから、それを話すこと自体、人生初めての経験となるわけです
そうすることで、感情の整理ができたことがいくつかありました
頭ではもう大丈夫だと思ってたのに、感情はくすぶってた
話してみて、初めてわかったことでした
今までは、それらのことについて、夢にみたり、ふと思い返したりしてたんですが、感情の整理ができてからは、そういうことがほとんどなくなりました
不思議な感じです
カウンセリングと平行して、自分の人生の出来事をテキストにまとめることもやりました
2つ目の会社を辞めた時、2000年に書いたテキストを見つけたので、それを元にしつつ、そこから18年分を日記を元に加筆してみる
面白かったのは、2000年と2009年に考えてたことが、今考えてることとすごく似てたんです
相変わらずなんだな、と、苦笑しながら自分に呆れつつ、安心もしました
なんか、自分はここ数年ですごく変わってしまった、と思い込んでいたからです
でも、変わったのではなく、自分を見失ってただけだった
正確に言えば、なかば見失うことを自分で許した
見失う危険を冒してでも、大切にしたいものがあったからです
そしてそれは、自分を見失っていることを、長い間、自分が気づけなくなるほど大切だったんだと、今では思います
いや、やっぱり自分は変わったのかな
ま、もうどっちでもいいか
振り返ることで、それでも自分は自分なんだ、って分かったし
またここから歩き始めればいい
あと、今回の振り返りで興味深かったのは、精神的な落ち込みがほとんどなかったこと
心をえぐってしまって落ち込むかなぁ、と思ってたのに、逆に元気になっていった感じです
ここ一年ほど、とにかく興味があることをなんでもやりつつも、新しい環境に無理に自分を合わせない、無理強いをしない、自分を大切にする、を守ってきたからかな、と漠然と思っています
さて、ここからです
振り返りは終わりましたが、今後の具体的ではっきりした道筋は見えてません
漠然とした方向性があるだけ
それでも、長い休憩は終わらせて、そっちに歩いてみようと思います
自分で歩かないと道にならないですからね
とりあえず、7月からもう一つ新しいことを始めます
これも前々からやってみたかったことです
楽しめるといいなぁ
↑きれいに咲いたグラジオラス。嬉しい