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韓国語をduolingoで [いま、ここ、わたし]

6/25から【duolingo】というサービスで韓国語のレッスンをしている。

この前友達とオンラインで話してて語学の話になって、その人は【LingQ】というサービスを使っていてとても気に入ってるみたいだったんだけど、私にはちょっと合わなくて、他にないかなと探してて見つけたのがduolingoだった。

【2021/06/07 ハングル能力検定試験】でも書いたように、すでに韓国語のレッスンは受けている。

あまり負荷をかけて嫌になりたくなくて、そのレッスンで使うテキスト以外のテキストやこういったサービスにはほとんど手を出していなかった。

サービスで試していたのは【Drive & Listen】というその国を動画でドライブしながらラジオを聴くものと【YTN】のラジオを流すことぐらい。

でも、少し前から、なんとなくもう一歩踏み込みたい、今ならもう少し何かできる感じがする、という気持ちが湧いてきていてどうしようかなぁと思っていた時に、たまたまその友達と語学の話になった。

お互い節約生活をしてて、でも本当にやりたいことにはお金を使いたいよね、という話の流れだった。

duolingoはとても今どきのゲームっぽくて、そういう仕組みに頼ることに少し抵抗があったんだけど、なにかしたい気持ちがあるんだから、思い込みで先回り否定せずにまずは試してみればいいかと思えた。

★ ★ ★

duolingoは無料版と有料版があって、無料版を試してたら有料版の3日間お試し案内がきて、今日は有料版お試しの最終日。

全部で4つあるユニット内のユニット1は終わらせ、飛び級でユニット3まで開放しつつ、今はユニット2に戻って一つ一つレッスンをやっているところ。

duolingoの日本語話者モードで受けられるのは、韓国語、英語、中国語、フランス語の4つで、韓国語は今年の2月にリリースされたばかりの模様。

有料版は月額717円でそれほど高くない。

英語もやりたいし、NHKの「まいにち中国語」で発音と自己紹介ぐらいまでやった中国語もやれたらいいなと思っている。

さて、どうなるか。どうするか。

「やりたいようにやる。したいようにする」

うん。それでいけばいい。

★ ★ ★

2021/07/13 追記
この記事を読んでduolingo始めたいなと思った方、
【duolingo】
↑のリンクで始めてもらえたら、紹介ポイントがもらえるので嬉しいです!
私のアカウントはhigetamaで検索すれば出てくるので、フォローもお気軽に~。

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負けず嫌いその2 [いま、ここ、わたし]

【2021/06/20 負けず嫌い】【2021/06/21 「私キレちゃいました」】で書いた仕事での嫌だったこと。

曖昧に書く必要もないなと思えたのではっきり書くと「寿司作りの時間をもっと早くしろ」と言われたことなんだけど、6/20の時は父の日だったこともあって作る寿司の量が多く、二人がかりでなんとか回そうとしてた時に無理な目標時間を言われたことでとても嫌な気持ちになった。

そんなことは今までもちょいちょいあって、その度に嫌な気持ちになったけど、その日は特別に嫌だった。

その時は返事をしないことで対応したんだけど、先日の日曜日にまた同じ様な展開があった時、今度は「それ無理ですよ」と言葉で言えた。
マネージャーは少し不満そうだったけど、「そんな時間で出来たことありません」と言ったら、少し分かってくれた感じはあって、「じゃあ手伝うよ」といって寿司作りを手伝ってくれた。

そして昨日の月曜日。

その日は別な人が寿司作りをしてた。私より経験があるしマネージャーも信頼してる人。

「昨日、ひげたまちゃんに無理だって言われちゃったんだよね~」とマネージャーが冗談ぽく言ったら、その人は「その時間じゃ私でも無理ですよ」って真面目に言ってくれた。

その言葉でマネージャーは納得したらしく、その後、また寿司づくりを手伝ったりしていた。

これからどうなるかは分からないけど、自分が少しキレた結果、状況は動いた。

6月は寿司作りについて、きちんと時間を計って、どこに時間がかかっているのか考え、自分なりの方法で改善するやり方を模索して、実践して、実際に早く作れるようになっていったことも自信になっていたし、職場の口の悪いおじさんが「お前な、ハイハイ適当に返事してないで無理なら無理ってはっきり言えよ。我慢してたら嫌になって続かないぞ」っていい続けてくれたことも後押ししている。

負けず嫌いだったことを体感的に忘れていたこの10年ぐらいそんな経験はあまりなかったから少し不思議だけど、今までの人生でそんなことは沢山あったはずだ。

★ ★ ★

明日6/30は3つ目に務めた大手の会社スクウェア・エニックスを退職した日。

退職は2011年だから丁度10年になる。

2000年10月に入社して11年弱務めたスクウェア・エニックスで気の合う数人をコアメンバーにして、2007年に「GAME BRAIN」という小さなプロジェクトを半年やったことがある。

ターゲットマシンはNintendoDSで開発自体は完了したんだけど残念ながら発売することはできなかった。
(ちなみにこのプロジェクトは2008年にFLASH版として一定期間リリースされた。
関連記事:
【2008/04/10 4Gamer.net:オリジナルゲームを作成しよう。スクエニ メンバーズで「GAME BRAIN」を本日よりサービス開始】
【CEDEC2008:一般向けゲーム開発環境 「GAME BRAIN」のWebアプリ化とユーザー動向】

その時のメンバーにははっきりものが言えていた。

プロジェクトの中身が自分がやりたくない方向に進もうとした時、「それでやるんなら抜ける」と言ったりもした。

なんでそう言えるかと言えば、そのメンバーは割とはっきりものを言う個性的な人が多くて、かつ仕事ができる人ばかりで、本気で喧嘩したこともあるし、嫌で距離をおいたこともあったけど、別々なプロジェクトに配属されても、よくお酒を飲みに行って長々話したりして、とにかく関係は濃かった。

6/23にそのメンバーと久々に話す機会があって、今の職場でキレた直後だったこともあって、「そういえば、このメンバーにはいつもキレてたな・・・」と思い出したりしていた。

キレても続く関係、思ったことを言える関係が自分にもあった。

すっかり忘れてた。

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「私キレちゃいました」 [いま、ここ、わたし]

友達から2021年下半期のしいたけ占いがアップされてると聞いて乙女座のページを見てみた。

【2021年下半期しいたけ占い:乙女座】

そしたら、まずタイトルが、

2021年下半期、乙女座は「私キレちゃいました。前のめりの力で、欲しいものを勝ち取っていく」

になってて、昨日の【2021/06/20 負けず嫌い】の話とぴったりすぎて大爆笑。

他にも、

裏技みたいになるのですが、乙女座の人って「キレる」と人生が切り開かれていくシーンが多いのです。

なんて記述もあったりして、これも昨日の記事とぴったり。

★ ★ ★

昨日、仕事で強く嫌だったことについて、今日、仕事しながらサブマネージャーと話すことができた。

私が怒っていたことはサブマネージャーは気付いてなかったけど「私もあれはひどいと思いました。怒って当然ですよ」と共感してくれて気が楽になった。

一人で抱えないで済んだことは、何か新しい一歩になる気がする。

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負けず嫌い [いま、ここ、わたし]

自分は小さい時から負けず嫌いだった。

何か圧倒されるようなことがあると、はじめはどんどん押されていくんだけど、何かの底に辿り着いて「コツッ」と音がした時から「なにくそ!」と反転して、そこから急激にパワーが湧いてくる。

押されてる間は、自分が悪いのかも知れない、何か違った方法があるかも知れない、みたいなことを考えて、大人しくしながら状況をすべて受け入れながら押されつつ分析するんだけど、「自分は間違ってない」と確信を持つ瞬間がきたら、そこから押し返していく感じ。

そんな負けず嫌いの力で今までの人生を乗り越えてきたことを、今日、はっきり感覚で思い出した。

★ ★ ★

今住んでいる場所に引っ越してきてからの4年ちょっとの間は、そういう感覚を持つことはなかった。

むしろ、自分に無理をさせないようにして、無理しないでも自然に湧いてくる気持ちを感じながら何かをしてみようとしてきた。

絵も歌も韓国語も変な「力み」をしないように、なるべく負荷をかけないでやってきた。

それが間違っていたとは思わない。

ただ、今日、仕事で強く嫌に思うことがあって、ものすごく悔しい感覚が湧いてきて、それが自分が負けず嫌いだったことを思い出させた。

今の所、だからなに、ということはなくて、でもこれは何か大切なものな気がして、こうやって書き留めている。

★ ★ ★

自分に無理をさせないというのは、変な目標を立てて自分を追い立てたり、知らず知らずの内に内面化されている外側からの価値観に振り回されたくなかったから。

あくまで自分の内側から湧いてくるものを感じて、それを軸に行動したいことには変わりはない。

負けず嫌いというと、他人との比較や優劣みたいなもので外側の基準な気が少ししたけど、今回湧いてきたこの感じはある意味自然なものでもあって、まずはこれをそのまま受け止めてみたい。

仕事絡みのことだし、どう展開するかは分からないけど、なにか「目が覚めた」感覚があるから、何かが変化していく気がする。

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多摩川ゴミ拾い散歩 [いま、ここ、わたし]

去年の10月から多摩川のジョギングコースのゴミ拾いをしてる。

大田区側、丸子橋から多摩川大橋の間、約4km。

去年の4月から週一回ぐらい、そのコースを散歩するようになったけど、はじめはゴミ拾いはしてなかった。

★ ★ ★

そのコースは周りに高い建物が少なくて、空が広く、昼でも夜でも散歩するのはとても気持ちがいい。

道は一部は舗装されてるけど、土がそのまま出てるところが多くて、その時その時に色んな草花が伸びてて、それも気に入ってる。

その草花は季節によってあっという間に伸びて自分の身長を越したりもするんだけど、年に2~3回、行政による草刈りが行われるみたいで、一昨日と昨日も草が刈られてた。

草が刈られると、当然、地面がむき出しになるんだけど、どうやら草刈りはしてもゴミ回収はしない方針らしくて、空き缶やペットボトル、その他色々なゴミが放置されたままになる。

去年の10月、散歩しながらそのゴミがどうしても気になってしまって、ゴミ拾いを始めることになるんだけど、最初はものすごく大変だった。

2018年の夏の台風で多摩川が増水してかなり危なかったんだけど、その時に流されてきたゴミが回収されず放置されたままだったらしくて、かなりの量のゴミがあった。

拾い始めたら大変なことになるなと散歩しながらゴミを見て思いつつ、家から遠いことあり、回収したゴミをどうやって捨てるのか、いちいち家まで持っていくのか、そんなこと続けられるのか、もやもや迷いつつ、なかなか拾い始められなかった。

そんな時、雨が降ってる夜に散歩してたら、たまたま45Lのゴミ袋が落ちてて、破けてもいなくて、ああ、これはもうやれってことだな、と覚悟を決めて、その時から拾い始めた。

★ ★ ★

しっかり数えてはいないんだけど、去年の10月に45Lのゴミ袋で20袋分は拾ったと思う。

空き缶やペットボトルは多摩川近くにある自動販売機横の回収ボックスに捨てつつ、それ以外のゴミを可燃と不燃に分けながら、一日に一袋づつくらい一ヶ月近く拾い続けた。

昼間にゴミを拾っていると声をかけてくれる人もいて、この大量のゴミが台風で流されてきたことを教えてくれたり、ありがとうと言ってくれたり、なかなかできないことだよねと言われたりした。

自分としては人によく思われたいからやるのは嫌で、自分が気持ちよく散歩するためにやっているということをずらさないようにしていた。自分の行動の動機を外側の基準に持ちたくなかったから。

それでも、ありがとうと言われるのは嬉しかったな。

少し話がずれるけど、実はその時の台風で土砂が階段を塞いでしまったところがあって、ゴミ拾いが落ち着いた後、そこの土砂をスコップでどけることもやった。家からスコップを持っていって。

これも大変だったけど、やっていたら近所のおじさんが声をかけてくれて、「台風の後、途中までやったんだけど大変すぎてやめたんだよ。自分ももう一回やるよ」と言ってくれて、お互い予定をあわせたりはしなかったから一緒にやることは2、3回ぐらいだったけど、思ったより早く終わった、みたいなこともあったな。

★ ★ ★

去年の10月に目につくゴミを拾い終わってからは、散歩のたびに小さい袋を持っていって、目につくゴミを拾いながら散歩するようになった。

溜まってから一気に拾うよりちょこちょこ拾ったほうがいいだろうとも思ったし、きれいな状態を維持したくもあった。

煙草の吸殻、ビールや焼酎の空き缶、お菓子や飴の袋みたいなものは普通に毎日落ちていて、それらを拾いつつ、それ以外にも本当にいろいろなゴミを拾っている。本当にいろいろ。

そんなゴミ達を拾いながら、このひとつひとつのゴミも、捨てられる前は楽しく飲んだお酒の缶だったり、美味しいお菓子の袋だったりしたんだよな、と思い、そのゴミの人生を想像したりするようになっていった。

このぬいぐるみは捨てられたのかな、それとも落としちゃったのかな。

この10個もある空き缶の山は何人で飲んだのかな。

シャボン玉のセットだ、子供が楽しく吹いたのかな。

同じ銘柄のタバコがたくさんあるけど、吸った人はストレスが凄いのかな。

そんな思いを歌詞にしたのが、noteに上げてある【歌詞#12 空き缶の歌】

ゴミを拾うことは、ゴミに出会うこと。

ゴミに出会って拾って、そのゴミはゴミになる前のものに一瞬戻って、最後の時間を迎える。

今日もゴミを拾いながら、そんなことを思っている。

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ハレとケ [いま、ここ、わたし]

最近、よくハレとケについて考えている。

きっかけは、今の仕事について収入が激減したことで日々の生活が質素になったこと。

【2021/05/17 家計の見直しと泥流地帯と近代化】ではこんなことを書いた。

家計の見直しをしてて、いつも思い出すのが、三浦綾子の「泥流地帯」という小説。 北海道に移り住んで、貧しい暮らしをしながら原野を開拓しているんだけど、白米すらお祝いの日に食べるもので、普段はお芋とか質素なものしか食べてない。 それでも生きていけるし、何かをやっていける。 豊かなのがいいのは当たり前かもしれないけど、そうじゃなくても人は生きてきた。 最初に読んだときから、その点がずっとひっかかってて、今の自分に引き寄せてなんとなく支えにしている。

この記事を書いた後、「普通の日ってケの日ってことだよな」と思って、たぶん、いつかどこかでハレとケについて本で読んだことがあったんだと思う。

さっき【Wikipedia ハレとケ】を読んでたら、この考え方は柳田國男が見出したものらしい。

先日、

を読んだけど、柳田國男と南方熊楠は同世代の人で交流もあったから、なんとなく縁を感じている。

柳田國男は多分読んだことないけど高校の時の恩師が勧めてくれたことがあった気がする。

★ ★ ★

ケについて考えてて思ったのは、今は日常がほとんどハレになっていて、ケがあまりないんじゃないか、ということ。

普通の日でも、お酒を飲んだりキレイな服を来たり色んな買い物をしたりすることが当たり前になっているけど、それって年に数回や人生に数回の特別な日、つまりハレの日にやることで、ケの日って、ただただ朝起きて働いて最低限のご飯を食べて寝るという刺激のない日なんじゃないか。

ハレの日は楽しくて刺激的で特別。

ケの日は質素でなにもなくて普通。

収入が減ってお金を自由に使えない状態になってみると、そういうハレの日っぽいことが簡単にできなくて、どんどん毎日がケの日になってくる。日々が最低限の生活になる。

そうなって感じてるのが、毎日がハレの日っぽかったのって、自分にとっては幸せではなかったんじゃないか、ということ。

刺激的で特別な毎日じゃなくて、なにもないただ生きるだけの毎日はどこか安心を感じる。

そして、その毎日があってはじめて、たまに遠出をして友達にあって散歩したり、お酒を飲んだりすることのありがたさが感じられて来ている。

毎日は退屈なのが当たり前。

いままでそんなこと考えたことなかったけど、それが今の自分には合っているみたいだ。

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働くこと [いま、ここ、わたし]

今年の1月末から地元スーパーの水産コーナーで働いている。

商品に値段をつけたり棚に並べたりするのが主な仕事。

出来上がったシャリの上にネタをのっけるだけの簡単なお寿司を作ったりもしている。

まったく未経験の仕事で最初の1~2ヶ月は大混乱していたけど、最近は大分落ち着いてきて、日々仕事がこなせるようになってきた。

★ ★ ★

そこのスーパーは勤務時間の管理がしっかりしていて、無給で残業させられたり、早く出勤しないといけないみたいなことはない。

今までは残業、休日出勤当たり前の仕事だったし、一つのプロジェクトが短くても1年、長かったら3年というものだったけど、今の仕事は一日が終われば仕事は終わりで、変に尾を引かないのがとても新鮮に感じている。

シフトは朝の8時から13時までの1日5時間で、月17日間の勤務。

体を使うので疲れはするしお腹も空くけれど、それもご飯を食べて寝れば回復するし、頭を使う仕事と比べると疲れ方が全く違う。

働いてみるまで、同じ仕事と言ってもこんなに違うなんて想像してなかったから、とてもびっくりしている。

★ ★ ★

この仕事はたまたまタウンワークのアプリで見つけた仕事で狙って探したものではない。

去年の後半ぐらいから貯金の切り崩しの限界は分かっていたので、何か仕事をしようとは思っていた。

いくつか候補はあって年明けにどれかやろうと思っていたら、募集がなくなっていたりしてどうしようかと思っていたところで、友達から「スーパーとかにある就職雑誌みてみれば?」と言われて、まずは雑誌のタウンワークをもらってきて見るようになった。

電車に乗らないでやれる地元の仕事にしたいと思っていたので、ちょうどいい感じでもあった。

そこにはものすごい沢山の仕事があった。本当に沢山。

でもやりたいと思えるものはなくて、どうしようかなぁと思っていたところに、アプリ版があることに気付いてインストールし、検索条件で「現在地から~km以内」みたいなのがあり、何気なく検索して出てきたのが、今働いているスーパーだった。

そのスーパーは4年前に引っ越してきてからずっと使っていたところで、どんな感じかは分かっていたし、店員さんの感じも嫌いではなかった。

「ここだ!」と思って応募、面接し、採用されるんだけど、元々は時給の高い「早朝品出し」を希望していて、でも面接で水産コーナーの人手が足りないという話が出て「もし嫌じゃなければどうですか」と言われて、嫌いじゃないですと答えたら水産コーナーに配属になった。

★ ★ ★

面接を受けている時、水産が嫌じゃないかどうかの話になり、魚介類の匂いが苦手だったり、水を使うことや汚れたりする仕事でもあって、あまり応募がこないんです、と面接官が話していた。

そうなんだと少し不思議に思いながら、自分は北海道出身で魚を食べて育ったし、父親が水産加工の仕事をしてたので、まったく抵抗はありません、みたいな答え方をした。

答えた時はあくまで面接中のやり取りの一つとして答えたんだけど、言ってからじわじわ何か嬉しい気持ちが湧いてきて、あれ、何だこの気持ち、と思いつつも分からないまま面接は終わった。

結果は一週間以内にお知らせします、と言われた。

家に帰って、あの面接官の感じなら受かるだろうな、と思いながら、この嬉しい気持ちがなんなのかなぁ、とぼんやり考えた。

父がやっていた水産加工の仕事。

私がやってきたプログラムの仕事。

父が水産加工場で働くことで育ててもらったのに、実家を離れ、父とは全然違う仕事をしていた自分。

父が死んだ時、自分は父からなにも受け継げなかった、という思いを持ったことを、ふと思い出した。

そして、ああそうか、父と同じ仕事をすることになりそうで、それは父の仕事を受け継ぐみたいな感覚で、それが嬉しいんだと気付いた。

★ ★ ★

その日の夜、総務の方から「採用されました」という電話がかかってきて、受かるとは思っていたけど思ったより早い返答にびっくりしながら、ほっとした。

面接をすることは母に伝えてあったので、結果報告の電話をし、喜んでもらってる中で、自分はプログラムの仕事に少し負い目があった、父さんの仕事を無視して東京に出てきて好き勝手にやってきたから、と話したら、母は「あら、そうなの。好きなことを仕事にしたから、そんな風に思っていたなんて知らなかった」と、少しびっくりしながら、こんなことを話してくれた。

「そういえば、あなたはお父さんが亡くなった時、魚のさばき方を習っておけばよかった、って言ってたよね。とことん技術の子なんだと思ったよ」

そんな話をしたことなんて、すっかり忘れていた。

でも確かにスーパーなどで魚をさばく人をみるたびに「ああ、自分は魚がさばけないんだよな。悔しいな」と感じてはいて、でもそれが父の死をきっかけに持った思いだということは忘れていた。

これからこの仕事をすることで、少しでも父の仕事を受け継げるかも知れない。

自分で選んだというよりは色々な偶然が重なって決まった仕事だけど、これが今自分がやるべき仕事なんだと思えたこと。

それは本当に嬉しいことだ。

★ ★ ★

少し後日談。

働き始めて一ヶ月ほどして、父が勤めていた会社の加工品が職場にきたことがあった。

もしかしたらいつかくるかな、来たら嬉しいなと思っていたので、見つけた時は声を上げた。

それはホタテのお刺身で、実家でもよく食べていたもの。

偶然が重なるにしても色々重なりすぎで、これはもう父が応援してくれてるんだな、としか感じられなくなった。

それと、この職場には、北海道出身の69歳のおじさんがいて、口が悪いながらとても良くしてくれるんだけど、「俺はお前の両親からお前を育てることを任されてるからな」と言ってくれたりしている。

この出会いも偶然とは思えなくて、そこに父の気配を感じたりしている。

働き始めて4ヶ月半。そんな感じで毎日を過ごしている。

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歌うこと [いま、ここ、わたし]

2019年の10月からボイストレーニングを受けている。

自由が丘にある【TEAL Music School】という教室で、韓国語のレッスン同様、個人でやっていて規模は小さい。

2017年に教会へ通い出した時、礼拝で賛美歌を歌うのがすごい楽しくて、ああ、自分は歌うことが好きだよな、と思い出した。

母は家事をしながらよく歌っていたし、自分もカラオケなどで人前で歌うことにためらいを感じたことはない。

そんな風に楽しく賛美歌を歌ったりしていた時、知り合いから教えてもらった【Gay Men’s Chorus for TOKYO AIDS WEEKS 2019】に出ることにした。

最近の振り返りで母へのカミングアウトの話をちょくちょく書いているけど、このコーラスに顔出しで出ることを決めたことも一つのきっかけになっている。

自分は歌は好きだけど特にうまいと思ったことはないし、自分にどれぐらい歌を歌う能力があるのかは全然分かっていなかったから、コーラスに出ることをきっかけにトレーニングを受けてみて、歌の世界を体験してみようと思った。

そんな感じで、ボイトレを受けつつ、コーラスの練習に出て、本番はむちゃくちゃ楽しくて、今まで絵を描いたり色々なことを試してきたけど、もしかしたら歌うことが一番やりたいことかも知れないと、この時点で強く思った。

★ ★ ★

通っている教室は希望すればギターを教えたり作曲を教えたりもしてくれるので、自分の興味に合わせて色々やってきた。

去年の2月にギターを買ったこともあり、去年は主にオンラインでギターレッスンとボイトレを並行でやり、今年に入ってからは、作曲をやりたくなったので作曲を2ヶ月ぐらい、その後またボイトレをしたくなったので最近はボイトレを3ヶ月ぐらい続けている。

今日のレッスンでは、岡本真夜の「TOMORROW」と華原朋美の「I'm proud」を歌った。





「TOMORROW」が1995年、「I'm proud」が1996年だから、とても近い時期の歌。

「TOMORROW」はその当時深夜にやっていた「カウントダウンTV」でミュージックビデオを見た時に、すごい衝撃を受けたことを覚えている。

今日、久々に映像をみてみて、やっぱり凄い好きな曲だなぁと改めて思ったりした。

★ ★ ★

ボイトレを受けていて、自分が歌いたい歌はどんなものか、自分の声はどんなものか、ずっと模索している。

分かりやすい正解みたいなものはなくて、とにかく自分で歌って試していって、一つ一つ気付いていくしかなさそうな感じ。

そんな中でいくつかターニングポイントはあって、歌いながら何かを感じられる様になってきたし、トレーナーの方にも「今年になって全然歌い方変わりましたよね。いい感じですよ」と言われている。

その上で、この先どうするか、なにをしていくのか、ちょっと迷っていたんだけど、ピアノをやってみようと思う。

ギターと同じ時期に電子ピアノも買っていて、ピアノのレッスンは別なところで受けてもいたんだけど、そこはコロナで行けなくなり、ちょっとトレーナーの方と相性が合わない感じもしてたので、ピアノのレッスンはそこで止まったままだった。

今のトレーナーの方はピアノのレッスンもできる人で、前に少しだけレッスンを受けたこともあったんだけど、今日、今後のレッスンについて相談した時に「ピアノをやってみるのもいいかも知れませんね」と提案され、なんか嬉しい気持ちが湧いてきたのでやってみようと思う。

ピアノは小学生の時、親戚の家にあったピアノで何気なく「荒城の月」を弾いたら、おばさんにすごく褒められた記憶があって、とても好きな楽器だ。

さっき部屋の模様替えをして、電子ピアノを弾きやすい場所に移動させた。

さて、どうなるかな。

歌うことが何かに繋がっていったらすごい嬉しいだろうなぁ。

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facebookの振り返り [いま、ここ、わたし]

ブログやnoteなどの振り返りをしてブログの記事にして、さて次はfacebookだと思い振り返りをしていた。

facebookは2011年にフリーランスになったのをきっかけに始めたから10年分の記録がある。

ほとんど終わって、ある程度文章も下書きしたんだけど、ブログでシェアはしないでもいいなと考えを変えた。

同じくtwitterも振り返ろうと思って全ツイートをダウンロードしたんだけど、こっちはチラっとみただけでやめた。

どっちも前言撤回をして、いつかブログに振り返りを書くかも知れないけど。

★ ★ ★

ここまで色々振り返ってみて、ぼんやり感じていることはあるけど、言葉でまとめる気持ちにはなっていない。

なんだろうな。この気持ち。

これから20年ぐらいかけて何かをしていく、みたいな予感があるんだけど、振り返りはその為の下敷きというか、自分を知るための過程というか、そんな感覚がある。

色々辛いことやうまく行かなかったことが多かったし、そのことを考えることも多いけど、それでもその時はとても楽しかったり、嬉しかったり、希望を感じて行動していたんだなということも同時に強く感じられて、振り返りをしてみてよかったなと思う。

こっから、どこに向かうのかな。

10年後、20年後の自分は、この時の自分のことをどう思うんだろうな。

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ハングル能力検定試験 [いま、ここ、わたし]

6月6日(日)に【ハングル能力検定試験】を受けた。

受けた級は5級と4級。午前と午後で近いレベルの級を2つ同時に受けられる便利な仕組みになっている。

試験から帰ってきたら、さっそくネットに正答データがアップされていたので自己採点してみたら、5級は84点で合格、4級は49点で不合格だった。

まずは5級が合格してよかった。

★ ★ ★

なにか外国語を一つ身につけたいという思いはずっとあって、フリーランスになった時に英語の勉強をしてTOEICを受けたりした。

使った本の中で「英語耳」という本があるんだけど、「発音することで聞き取れるようになる」というその方法は自分にうまく合っていて、ある程度の聞き取りができるようになって、それは【2012/03/23 GDC2012参加&英語とか】で書いたように、実際の旅行でも役に立った。



ただ、会話することはあまりできなくて、これは何か違う方法でやらないとダメかなぁ、と思いつつ、英語の学習はストップした。

★ ★ ★

韓国語を始めたきっかけは、2018年4月27日に韓国と北朝鮮の南北首脳会談を生放送でみたこと。

内容は全然分からないもののなぜか気になってずっと流し続けてたら、日本語と発音が似てる単語がちらほら聞こえてきて、韓国語が日本語と語順が一緒なことは知っていたけど、単語が同じなものがあるとは知らなかったのでびっくりした。

それに、韓国と北朝鮮のトップ二人は通訳なしで話をしていて、「ああ、同じ言葉を使う国同士なんだ」と当たり前のことに感動したりもした。

あと、先日の【2021/06/03 ブログ振り返り(49歳編)】でも少し書いたドキュメンタリー映画STANDARDを見たことをきっかけに通うようになった新宿三丁目にあるバー【タックスノット】で、日本に住む韓国人の人達と交流を持ったことも、きっかけの一つ。

韓国語は2018年8月から【りんどうむくげ工房】という、東急池上線の蓮沼駅近くにある教室で勉強している。

韓国語の教室をネットで探していて見つけた場所で、音読を中心にして、とにかく話すことを重視した授業は、英語耳で手応えのあったやり方に似ていたし、トレーナーの方が日本人でなんでも聞けそうだったこともあって通うようになる。

ここは個人経営の小規模な教室。

今通っているボイトレも個人経営の教室なんだけど、大手がやっている教室はなんとなく気が向かなくて、家から近かったこともあってここにした。

去年からはオンライン授業に移行してて、コロナで外出が出来ない中、定期的に続けられることがあったのはとても助かったし、最初はオンラインだと続かないかな?と思ったけど、移動がない分逆に楽で、基礎の発音は対面で習い終わっていたこともあって、色々な面でスムーズにやれている。

★ ★ ★

さっき計算したら授業を受けた時間数は3年弱で約262時間。

とにかく続けることだけを考えて無理な予習復習などはほぼしていないし、トレーナーの方も無理しないように言ってくれるので、それも長い間続けられている理由なんだろう。

少し前までは単語や文法を忘れたら「覚えられないなぁ」と嫌な気持ちになったりしてたけど、そんな気持ちになってもなんのいいこともないとはっきり分かってからは、忘れることは当たり前で、ただ続ければいいと思えている。

今回の試験も受かることが目的ではなくて、ただ自分の現状を一度確かめておきたいと思えたから受けたもので、当日変な緊張をしないように試験の仕組みを知っておくために過去問題を二種類やったのと、単語の振り返りを少しやったぐらいで、事前の試験対策とかはしなかった。

中学ぐらいから試験対策が嫌いで、今まで習ってきて身についていることを確認するんだからと思って、直前の詰め込みみたいなものはあまりしなかった。

あ、そういえば、昔そんな話を知り合いの東大に合格した人としたら、「バカだな。試験なんてただのゲームなんだから真面目にやる必要なんてないんだよ。点だけ取れればいいんだよ」って言われて、それはそれで説得力があって、なるほどなぁと思ったなぁ。

★ ★ ★

今回、試験を受けていたのは9割近くが若い女性だった。

トレーナーの人も「受ける人は若い女性がほとんどですよ」と言っていたので、びっくりはしなかったけど、ほんとそうなんだなと実感した。

その中でも年配の男性がポツリポツリといたりして、「この人はどういう動機で韓国語をやっているのかな」と自分に引きつけて想像したりした。

英語や中国語なら広く仕事や交流に使えるし勉強する動機は分かりやすいけど、韓国語は必ずしもそうじゃない。

なんで自分は韓国語をやっているのか。

韓国映画は好きだけど、K-POPをよく聴くわけでも、韓流ドラマをよく見るわけでもない。

ただ最初のきっかけに書いたように、どうも私は韓国というよりは朝鮮半島全般のことが気になっているみたいではある。

隣の国なのにびっくりするぐらい何も知らないんだよな、と、少し歴史を調べたりしてると思う。

この前、牡丹を韓国語でなんというか調べてたら、「モランボン(모란봉)」という言葉が「牡丹峰」のことで、平壌に【牡丹峰】という場所があることを知った。

いつかそこに行けたらいいなと思う。

お金のこともあり、どこまで韓国語を続けるか迷ったりはしてるけど、細く長く続けていって、いつか「ああ、この時のためにやってたんだ」と思える日が来たら嬉しい。

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今日は亡き父の誕生日 [いま、ここ、わたし]

54歳になる直前の5月28日に亡くなった父。

生きていたら今年81歳になる。

★ ★ ★

20歳から東京で一人暮らしを始めて、一度だけ父が東京の家を見に来たことがある。

いとこの結婚式が東京であって、それに来たついでだった。

亡くなる1、2年前だったと思う。

私は仕事があり結婚式には出られず二次会から参加したんだけど、二次会が終わったら父が「ちょっとお前の家を見たい」と言ってきた。

タクシーに二人で乗り当時住んでいた上井草のアパートまで向かったんだけど、その乗ったタクシーの運転手さんが父と同世代の北海道出身の人で、帯広で馬に乗った話やら、汽車は煙が凄かった話やら、私が聞いたことがないような思い出話をものすごく楽しそうにしてた。

家について、家に上がるのかなと思ってたら、外だけ見て満足したのか「じゃあ帰るな」と、待たせていたタクシーに乗ってさっさと帰っていったっけ。

★ ★ ★

父はよく「お前の好きなように生きろ」と言っていた。

進学や就職で口を出してくることはなかった。

コンピューターの専門学校を卒業する時、親戚の病院でコンピューター技師として働かないか、という話があったけど、「とりあえず話があったから伝えるけど、親族会社は大変だし断っていいからな」と言ってくれて、ゲームの仕事をすることに決めていた自分は安心して断ることができた。

父は兄弟が経営する水産加工の会社に勤めていて、兄弟の中ではかなり年下だったこともあり、なんでもやらされて大変そうだった。

そんなこともあったからか、父は自分の兄弟たちよりも、母の兄弟たちといる方が楽しそうで、毎年夏に母の実家のある旭川に行っては、カニを振る舞いながら、ものすごく楽しそうにしてたっけ。

★ ★ ★

父は子煩悩で子どもたちをとても大切にしていた。

父は自分が親や兄に殴られて育ったので子供には絶対に手をあげないと決めていて、口で叱られたりしたことはあっても、軽くでも叩かれたりしたことはなかった。それは母に対しても同じだった。

戦後で食べ物がない時代に育ったので、子どもたちに同じ思いをさせたくなくて、とにかく食べ物はいつも家にあるように母と話してもいた。

父は一人娘である妹を溺愛していたし、兄は兄で父とそっくりな見た目で恰幅がよく、これぞ親子という感じがしていたけど、私は細身で父には似ておらず、「もしかして別な人がお父さんなのでは」などと思ったりもしてた。

同性愛者であることも、どこか父と距離を取らせていたと思うし、高校になったころぐらいからは、あまり相談らしい相談をしたこともない。

「好きに生きろ」という言葉はありがたかったなと今なら思うけど、その当時は自分に興味を持たれてないような感じもして、寂しく思ったりもしていた。

★ ★ ★

小学6年生の時、NHKでやっていた「マイコン入門」を見て衝撃を受け、その当時高価だったパソコンを父にねだった。

今思うと父親の月給と同じかそれ以上の値段だったと思う。

「一年間、パソコンショップに通って飽きずに続けられたら買ってやる」と言われ、パソコン雑誌を片手に一年間パソコンショップに通い詰め、ちゃんと約束通りパソコンを買ってくれた。

実は買い与えていいか迷っていた父は、友達から「これからはコンピューターの時代だから買ってあげるといい」と言われ買うことを決めたと父が死んだ後で母から聞いた。

私が通ったコンピューターの専門学校の学費も、兄が一歳違いで同じく専門学校に通っていたこともあってお金の工面が大変で、父の兄弟に借金をしていたらしい。

父がそうやって私がコンピューターを学ぶことを支えてくれたお陰で、自分はゲーム開発の仕事をすることができた。

★ ★ ★

小学校での運動会の場所取りや、トノサマバッタを捕まえに行ったり、港まつりで花火を見に行ったり、社会科見学で水産加工の工場の冷凍庫に入れてくれたり。

剣道を習わせてくれたり、変に勉強しろしろ言わなかったり、家でトドみたいに寝っ転がって相撲の中継を見たり、出たばかりのビデオデッキを買ってきたり、健康にいいからとリンゴ酢を買ってきたけど全然飲まなくて私と母で飲んだり、納豆が嫌いで子どもたちが食べてるといや~な顔をしたり。

★ ★ ★

今、父が50歳ぐらいの時に撮った証明写真を一枚持っていて、財布に入れている。

兄の一周忌で帰省し、母にカミングアウトした次の日の朝、東京に帰る前にふと目に入ってもらってきたものだ。

自分は家族を捨て、故郷を捨て、東京で一人生きてきたつもりだったけど、どんなに自分がそう思っていたとしても、育ててくれた親はいる。

父の写真を毎日みながら、やっとそのことが分かってきた。

★ ★ ★

父さん、今生きていたら、僕になんて言ってくれる?

励ましてくれるかな。

優しくしてくれるかな。

ゆっくり話を聞いてくれるかな。

「好きなように生きろ」って、いつもどおり言ってくれるよね。

これから長い時間をかけて、好きなように生きてみるよ。

外のものに振り回されるんじゃなくて、自分の内側で大切に思うものをしっかり感じながら、色んな人と繋がりながら生きていくよ。

これからも一緒にいて見守ってね。

今まで見守ってくれていたように。

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歌詞をつくるワークショップ振り返り [いま、ここ、わたし]

石塚明由子さんというシンガーソングライターの方が主催している【歌詞をつくるワークショップ】

2019年の7月から去年の11月まで参加して全部で12種類の歌詞を書いた。

今までもいくつかは【note】にあげていたが、全部あげて振り返ってみる。

★ ★ ★

【2019/07/11 歌詞#01 ふたり】
このワークショップは石塚明由子さんが作った曲に、参加者それぞれが歌詞をつけて、みんなの歌詞が出来たら、一つ一つその歌詞で石塚明由子さんがギターを弾きながら歌ってくれる、という流れになっている。
この歌詞は兄のことを思って書いたけど、始めて参加したワークショップということもあり、曲に合わせようとしすぎて、自分としてはぎこちない歌詞になった。

【2019/09/12 歌詞#02 燃えないゴミ】
初回にぎこちない歌詞を書いたけど、その時、ある参加者の方が書いた歌詞が曲に縛られずとても自由なもので、「ああ、そんなに自由に書いてよかったんだ」と思った。
この年の5月にこのワークショップのことを友達から聞いた時、「わあ!やりたい!これ絶対泣くやつだ!」と思ったし、最低でも1年間続けようと即決したんだけど、前回みたいに縮こまっていたら続けられないし、思い切って曲に合わせすぎず、気を使わずに好きに書いた歌詞がこの歌詞。
石塚さんはこの歌詞を見た時少しびっくりされてたけど、きっちりと歌いきってくれて、ああ、やっぱりそれでいいんだ、と、すごく楽になって、その後も続けることができた。
自分が背負ってるもの、抱えてるものを、ゴミに例えて、それが本当に必要なのか、改めて見直していこう、という気持ちを歌詞にしてる。

【2019/11/14 歌詞#03 そこからすべては】
前のパートナーに同性愛者であることを受け入れてもらったことは、自分に大きな開放感を与えてくれた。本当にありがとう。

【2020/01/09 歌詞#04 いつもずっと】
母へカミングアウトして受け入れられたことは大きな安心感に繋がり、自分が愛されてることを実感をもって分かるようになった。
この時にワークショップの参加メンバーにも同性愛者であることを伝えた。

【2020/03/12 歌詞#05 小さき種の】
ここで、育って、生きていけばいい。

【2020/04/05 歌詞#06 春の吹雪】
どんな時にも自分の感覚を信じて歩くこと。

【2020/05/05 歌詞#07 思いを歌に光を支えに】
どんなに小さいと自分が感じていたとしても、一番大切なものははっきり自分の中にある。

【2020/06/11 歌詞#08 草木はおどる】
獣の様に生きなくてもいい。ひとりで生きなくともいい。

【2020/07/07 歌詞#09 月と一緒に】
昨日の記事、【ブログ振り返り(50歳編)】でも書いたけど、母の手術の立ち会いに行けなくて泣いた時のことを歌詞にしてみたもの。

【2020//08/18 歌詞#10 いつもの夏の日】
育った場所から遠く離れても、そこで感じたあの夏は当たり前にここでも来る。

【2020/09/10 歌詞#11 ひとつの家を】
ここで生きていこう。

【2020/11/12 歌詞#12 空き缶の歌】
捨てられても、愛され大切にされたことには変わりない。

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ソーシャルボタン外しました [いま、ここ、わたし]

いいねの数とか変に気になるので外しちゃいました。
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ブログ振り返り(51歳編) [いま、ここ、わたし]

51歳(2020年~2021年)

5月に入って【2021/05/03 ブログ閉鎖のお知らせ】を書くまで8ヶ月ほどブログを書いていなかった。

その間、10月ごろから多摩川の散歩とゴミ拾いを始め、11月には家の前の植え込みを掃除し牡丹を12株植え、12月にはケーキや焼き菓子を作って友達に食べてもらったりしだして、1月末からは近所のスーパーの水産コーナーで働きだして、今に至っている。

ブログは閉じずに続けようと思う。

前言撤回は最近自分でよくやっていることで、決めたことを頑なに守るより、その時その時の自分の気持ちに寄り添っていく方が大切だと思うようになったから。

もやもやと迷っても、多摩川を散歩し自分の気持ちを感じながら、ただ風景を眺めて歩いていくことで、何かが落ち着いてくる。

この1年はそんなことを繰り返してきたし、これからも繰り返してくんだと思う。

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ブログ振り返り(50歳編) [いま、ここ、わたし]

50歳(2019年~2020年)

【2019/10/04 再び韓国へ】
浅川巧の本は読んでよかった。

【2019/10/31 兄のいた場所】
ただ一緒にいればよかったんだよな。

【2019/11/11 このブログに書けない最後のこと】
母にカミングアウトしたことの記事。
母に受け入れられたことは、自分でも驚くほどの安心と力を与えてくれた。

【2019/11/25 一つ大きなものを超えた】
これはこの当時通っていた上馬キリスト教会で同性愛者であることをカミングアウトした時のこと。
今までは信頼した人一人ひとりにカミングアウトしたことはあったけど、複数の人を前にしてのカミングアウトは思いの外ダメージが大きく、この後一週間、ずっと泣いて過ごした。
それまで頑なに守ってきた社会的な自分を壊し、そのままの自分として立ち上がった記念の日。

【2019/12/04 即興落書き】
友達とやった即興落書き。
この即興落書きも自分で絵を描く様になった大きなきっかけの一つ。

【2019/12/09 また一つ終わり】
これは即興ダンスの発表会が終わった時の話。
この発表会で幼稚園の時の自分を演じるシーンがあって、それを演じられたことも今の自分に繋がっている。

【2019/12/09 【書評:わたしを支えるもの すーちゃんの人生 益田ミリ】】
益田ミリさんの作品はどれも本当に好きで、この時すーちゃんの本を読めたことはとても嬉しかった。

【2019/12/11 シクラメンとの出会い】
兄の死で体の中がからっぽになったことで、その余白で色々なものを感じられるようになった。

【2019/12/17 中国の南京に行ってきました】
韓国に行ったメンバーと行った南京。
南京大虐殺記念館や慰霊碑で感じた感じは自分の中に大切にある。

【2020/01/01 2020年】
未来の自分に当てたメッセージ。

【2020/01/06 月を描く】
【2020/02/22 母の入院と手術】
空から見守ってくれる月と大地の上に育っていく双葉。

【2020/02/24 春はくる】
くる。

【2020/02/26 今の絵】
病気から立ち上がっていこうとする母を描いたもの。

母の手術の立ち会いに行けなかった話は【2020/02/22 母の入院と手術】に書いたけど、その時、つい電話口で泣いてしまった私を母は「泣くんじゃない!私は大丈夫だから!」と叱ってくれた。

【2020/07/26 ブクログ登録1000冊】
古めの本はこれからも読んでいきたい。

【2020/08/29 【書評:「負けない力 (朝日文庫)」橋本治】】
橋本さんのいう「バカ」は本当にそのまま「バカ」だってことを言っているだけで、ねじれもなにもないんだよな。そこから始めたい。

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ブログ振り返り(49歳編) [いま、ここ、わたし]

49歳(2018年~2019年)

【2018/09/28 デッサン記念撮影】
【2018/09/28 クロッキー記録】
色々描いてたな。

【2018/12/09 12月だ】
この11月の強烈に厳しいこととは兄の死。

【2018/12/11 終わらせること】
最後の写真は兄の葬儀で北海道に帰っていた時、三浦綾子さんが通っていた旭川六条教会に行った時のもの。

【2018/12/13 言葉をもらう】
富とか名誉ならばいらないけれど 翼がほしい

ほんとそのままなんだよな。

【2019/01/10 思い通りにならないこと】
これは不思議な感じだったなぁ。そして大切なことに思う。

【2019/01/11 メディアマーカーからブクログへ】
ここからブクログへ移行。ありがとうメディアマーカー。

【2019/02/05 また人と会う】
人と会わないようにしたり、好きな作家の本を読まないようにしたり、好きなアーティストの曲を聴かないようにしたりすることが、どうやら自分には定期的に起こるらしい。
何かを確認しているのかもな。
今も少し人と会うのを抑えているけど、6月に入ってまた少しづつ会ったりしていきそうな気配が出てきている。

【2019/03/02 3月になった】
ここでやったのは知人のWebサイトを作ること。ちゃんとお金をもらって作った。
久しぶりにコンピューターを使った作業ができたことが嬉しかったし、その後無理に続けなかったことも良かった。

【2019/04/11 春だね】
また春が巡ってきた。

【2019/05/09 新しい展開】
この2つの新しいきっかけは、結局うまく立ち上がらなかった。
この辺の流れで思ったのは、人から頼られたり、人から与えてもらうきっかけに乗るんじゃなくて、自分からきっかけを作っていく必要が自分にはあるんじゃないかということ。
そんな思いが、この後牡丹を植えることや多摩川のゴミ拾いに繋がっていく。

【2019/05/22 螺旋を描く】
怖い、と、やってみたい、は両立するから。

うん。

【2019/05/23 漢詩を読め、と言われたこと】
この時のことは、父との繋がりを感じる一つのきっかけになった。
明日は父の誕生日。生きていたら81歳になる。

【2019/06/04 韓国に行ってきた】
2018年に見た「STANDARD」という反原発デモのドキュメンタリー。
反ヘイトのデモによく行っていた時期でその流れでみたその映画には、ゲイの人が何人か出てきて、カミングアウトのシーンもあり、まだゲイであることをオープンに出来ていなかった自分は、そちらの方に強い衝撃を受けた。
その後、その映画に出ていた人達とつながることができて、韓国はその人達と一緒に行った。
記事には書いていないが、韓国で行われたセクシュアルマイノリティのプライドパレードに参加するのが目的だった。

【2019/06/30 一区切り】
【2019/08/21 先回りできない感じ】
今のところ分かったのは、今までの自分のやり方では、自分が納得できないみたい、ということ。 じゃあどうするの? わかりません。 そりゃ、今までのやり方が通用しないんだから、わかるはずがないんですよね。 とりあえず、いろんな人と会ったり、思ってることを話してみたり、一人で考えてみたり、ひとつひとつ自分の気持ちに聞きながら、あれこれ試すしかなさそうです。 ああ、この先回りできない感。

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ブログ振り返り(48歳編) [いま、ここ、わたし]

47歳まででいいか、と思ったけど、やっぱりやっておきたくなったので続き。

★ ★ ★

48歳(2017年~2018年)

【2017/09/19 書評:うしろめたさの人類学 松村圭一郎】
ためらいがちな文章がいいなと思った。

【2017/10/14 感想:中野晃一さんの講演に行ってみた】
政治に関する公演なのに力が抜けていてとても良かったのと、若い人の話が聞けたのが本当に嬉しかったな。
色々な発言があった中で、女性の方が「こういう活動をしてて、友達に投票を呼びかけることはできるけど、デモに誘うことはできない。他の人もそれぞれ生活があるなかで、そこまで踏み込むことはできない」という発言が、ものすごいためらいながらあって、なんというか他人に対してとても誠実だな、すごいな、と思った。


【2017/10/18 選挙に行こう!衆議院議員選挙2017/10/22】
この10月にあった衆議院議員選挙はかなり力を入れていた。
この後、2018年の1月ぐらいまで、地元の共産党の候補の街頭演説や講演会を手伝ったりした。
やった事自体は後悔はしていないけど、今思うと相手に合わせすぎで、この自分を消す過剰適応みたいな行動は、今回の17年半のブログ振り返りで垣間見えた自分の特徴の一つ。

【2017/10/22 投票に行こう!】
あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである

ガンジーのこの言葉を知った時、とても納得できたな。

【2018/01/11 2017年振り返りメモ】
やりたいことを、やりたいように、やってみる。

前のパートナーとの関係がこじれてものすごく迷って苦しかった時、強引に会おうとして、その時彼女がいた場所の近くまで新幹線で行ったことがある。2017年2月の話。
LINEでやり取りして、結局「会えない」と言われ会うことは出来なかったけど、普段の自分では、そんな相手が絶対嫌がるだろうことはしないのに、もうそうしないと自分がおかしくなりそうだった。
そして、その行きの新幹線の中でふっと湧いてきた言葉が「したいようにする。やりたいようにやる。」だった。
引用した言葉は少し変えてあるけど、「したいようにする。やりたいようにやる。」は、その時から自分の大きな指針となっている。

【2018/02/06 プログラム、始めます】
この気持ちは、はっきりゲームプログラムを諦めた2020年5月まで2年ほど続く。

【2018/02/17 「怒る」と「嫌だ」】
自分の気持ちに気づくことは、この頃から意識していた課題。

【2018/02/19 吉本隆明とマルクス】
過去の自分が本から何を感じたり、考えていたりしたのかって、結構大切。 過去を忘れるのでも、都合よく思い返すのでもなく、自分の思考の歴史をつかむことができる。 今自分が感じたり考えたりしていることが、ただの刺激による反応や反射なのか、それとも自分自身に根をはったものなのかが、少し見えてくる。


【2018/02/20 春近し】
【2018/03/07 ヒヤシンスも咲きました】
【2018/03/15 モクレンさん】
【2018/03/26 そこかしこが春】
自分がどんな状態でも春がかならず来ることに支えられてきた。

【2018/03/26 デモと自分】
とにかくなにか書いておきたかったんだ。書いてくれてありがとう。

この一年が節目の年だと思って、そのつもりでやってきましたが、どうやらまだ続きそう むしろ、ここからが本番なのかもしれない 回復してきた自分の感覚を信じて、主観と客観を使いこなし、進んでいく 変化を恐れず、いろんなものを受け入れて、歩んでいく

うん。そうしてきたし、そうしていくよ。

【2018/03/26 分析的な文章を書く時】
さらにありがとう。ここまではっきり書くことは勇気がいる。

【2018/06/16 退職して1年。立ち止まり、振り返る】
一つ前の記事【2018/06/04 ひさびさ飯能】も振り返りの一つ。
カウンセラーさんに、今まで他人に話したことがないことを沢山話したことは、自分を振り返ることにとても効果があった。
頭で考えてるだけじゃ整理できないことがあって、人に聞いてもらって初めて落ち着いて理解できることがあることを知ったな。

【2018/07/03 またはじめる】
曖昧に書いているけど、大切にしたいもの、とは、前のパートナーのこと。
自分を失わないと、誰かと一緒にいることはできかったんだよな。
それは今にも続く自分の大きな課題の一つ。

【2018/07/03 若者とカレー作り】
先日なんて、ふと「私はもう若者じゃないしなぁ」って言ったら、「ここでこうやって一緒に話せれば若者ですよ」なんて言われちゃったりしました。 おじさん、調子に乗っちゃうじゃないか

これ嬉しかったなぁ。
ここで出来たつながりは今も続いていて、自分の大切なものになっている。

【2018/07/07 自分に朝ごはんを作る】
大切な気づき。

【2018/08/20 順調に脇道にそれる。新しいこと2つ】
デッサンは1年半ほどやって辞めた。

デッサンをやめるきっかけは、知り合った高校の美術の先生から、自分のデッサンを褒められたこと。
十分によくかけていると言ってくれて、全然うまくかけていないと思っていたのでびっくりして、そして、ああ、無理して何かを目指してたんだ、と気づくことが出来た。

そもそも絵をやろうと思ったきっかけは、小学生5,6年生の時にオホーツク海を見ながら、水彩で風景画を描いていた時、先生に「小学校低学年の絵みたい」と言われて、そのショックがずっと残っていて悔しかったから。
その高校の美術の先生に褒められた時、「ああ、小学生の自分はこう言って欲しかったんだ」とはっきり気付いたし、ショックがずっと続いていたのは、その時の風景画が自分でものすごく気に入っていたからだということにも気づくことが出来た。

その小学生の時点ですでに自分が描きたい絵を描くことができていた、だったら無理に技術を追う必要はないと気づけたし、その気づきは2020年にクレパス画を描くことに繋がっていく。

【2018/08/27 実感と合ってない表現は違和感を生む】
演技のワークショップから得た感覚。
3月の、【2018/03/26 分析的な文章を書く時】とも連動している記事。

【2018/09/04 葉っぱのパターン。開かれる感覚】
これも感覚にまつわる記事。
頭で考えることより感覚を信頼する方向に舵を切ってるのがよく分かる。

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画詩振り返り [いま、ここ、わたし]

去年の3月から11月にかけて、クレパスで絵を描き、詩を詠んでいた。

絵も誌も、先回り何かを決めたりしないで、描きながら、詠みながら、ただ自分から湧いてくるものを受け止めて、形にしていった。

出来たものはその都度【note】というサイトにアップしていた。

ちょっと振り返りたくなったので、改めて作品に番号を振り「画詩」というタイトルをつけた。

以下、その一つ一つのリンクと今の自分が感じたこと。

★ ★ ★

【2020/03/26 画詩#01 泣き虫のうた】
絵や詩をかいていくにあたって自分は泣き虫だというところから始めたかった。

【2020/04/12 画詩#02 手】
大切なものをつかもうとすること。

【2020/04/12 画詩#03 風】
はるか遠くに見えた大切なものについて。

【2020/04/14 画詩#04 暗闇が迫る】
暗闇に覆われていると思っていても光り輝くものが自分にあった。

【2020/04/14 画詩#05 なぜこれが】
本当に大切なものは気付いていなくてもずっと自分と一緒にある。

【2020/04/14 画詩#06 落ちない涙】
悲しみは避けるものじゃない一緒にいるもの。

【2020/04/17 画詩#07 風の話】
自分が経験してはじめて他人の教えを受け止めることができる。

【2020/04/17 画詩#08 叫び方】
叫んでいい。

【2020/04/21 画詩#09 僕は何をしてきたんだろう】
自分の内側からの価値観を取り戻していく。

【2020/04/21 画詩#10 暗い道】
いつか必ず辿り着く場所。

【2020/04/22 画詩#11 静かにゆっくりと】
辿り着いた場所でただ生きる。

【2020/05/13 画詩#12 地下深く】
地下深く暗くとも自分でいられる場所が大切な場所。

【2020/05/13 画詩#13 小さいもの】
与えられ続ける小さいものを感じて大切にしていくこと。

【2020/05/13 画詩#14 狼か兎か】
堂々とただあるものから教えられること。

【2020/05/16 画詩#15 吸って吐いて】
自分にとって大切なものを大切だと気づくこと。

【2020/05/20 画詩#16 新しいもの】
頭では分からなくても体が惹かれているもの。

【2020/05/23 画詩#17 突然の輝き】
突然の様に感じてもそれは当然のものだ。

【2020/05/27 画詩#18 そこから遠く離れて】
大切なものになにも出来なくともそれでもそれがあることが自分を支えている。

【2020/05/30 画詩#19 泣きたいだけ泣こう】
自分をしっかり想う時それを言葉にする必要はない。

【2020/06/03 画詩#20 光っている】
光は自分の中にある。必ず。

【2020/06/15 画詩#21 通り道】
ただ通り道としていられる自分を大切に想う。

【2020/07/13 画詩#22 鋭く尖ったもの】
それがどんなに自分や他人を傷つけてきたとしてもそれを分かった上で新たに使っていくこと。

【2020/08/27 画詩#23 暗闇から出てきた僕】
なにも見えなくとも感じるままに進んでみること。

【2020/08/31 画詩#24 ここで生きていく】
しっかりと休んで感じることができたこと。

【2020/10/01 画詩#25 暗い色の僕は暗い闇に飛ぶ】
暗さの中にあった大切なことなこと。

【2020/10/01 画詩#26 僕の中を通るもの】
留めなくても満たされていく。

【2020/11/19 画詩#27 当たり前の様なこと】
当たり前で大切なこと。

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失敗しながら育っていく [いま、ここ、わたし]

昨日、友達と多摩川を散歩していて出た話。

何かを決めてやる時、試験や何かの大会みたいに、ゴールがはっきりしてて枠組みが変わらないのなら、それに向けて期間や目標を限定して向かっていってもいいけど、もう少し漠然とした、たとえば世の中を良くしていきたい、とか、人を育てる仕組みを考えたい、とか、そういうものは、目標を限定して目指す、というよりは、方向だけをふわっと決めて、やれそうなことをやりながら、流れに身を任せていくのがいいのではないか、そうじゃなく目標とかを決めてやろうとしてしまうと、どんどん変化する状況を受け入れられなくて苦しくなっていくのでは、みたいな話をした。

あと、1990年前後までは、会社などで人を育てるのは当たり前だったけど、90年代中盤以降は、そういう流れがなくなっていったこと。

そして、それは育てる側だけじゃなく、育てられる側にも言えて、一緒にいて失敗を受け止めてもらいつつ時間をかけて育ててもらう経験がないと、それを受け取ることができない(変な押し付けに感じてしまう)んじゃないか。

また、最近、自分で体験して失敗して学んでいくというより、ネットなどで正解を探して、あくまで失敗しない方法でそれに向かっていくやり方は、時間をかけて自分に向かい合って育てる(育てられる)こととは違うんじゃないか。

ざっくりだけど、そんな話をした。

★ ★ ★

今のスーパーでの仕事は、ほとんどが年上の人ばかりで、しかも今年70歳の方が三人もいて、自分は半分子供みたいな扱いをされつつ、未経験の仕事でもあるし、とにかく失敗しながら、見守ってもらいながら、育ててもらっている。

働き始めのころは、それがちょっと嫌で(それこそ押し付けられてるみたいで)苦しいこともあったけど、途中から、失敗するのは当たり前で教えてもらうしかない、そしてこの人達は私を育てる気持ちがある人たちだ、と分かってからは、気持ちが楽になって、失敗しつつも、自分がやれるやり方で仕事を身につけていっている。

しかも、数年に渡ってプロジェクトを進めるゲーム開発の仕事とは違い、一日一日、その日働けばそれで終わる仕事は分かりやすく頑張ることもできるし、体を使う仕事だということもあって、なにかとシンプルで働きやすく、体も心もすこぶる調子がいい。

「お前本当に不器用だなぁ。バカか。ほら、こうすればいいだろうが」と、おっちゃんに口悪く言われつつ、その不器用な優しさに見守られながら。

今日もこれから仕事。いってきます。

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草取り [いま、ここ、わたし]

3時間ぐらい雑草達と格闘。

ついでにグラジオラスとダリアに支柱を立てたり、でかくなった金魚草の種取りをしたり。

草取りって面倒くさいけど、意外なものが意外なところに生えてるのを見つけたり、土の感じを確かめたりできて、やってみるとやってよかったと、いつも思う。

そういえば4月に種を植えた矢車草が咲いてた。

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去年も植えたんだけど、梅雨が長かったせいもあるのか全滅してしまったので、咲いてくれて嬉しい。

これから夏にかけて、植えた種や球根が少しづづ咲いていく。

牡丹みたいな派手さはないけど、一つ一つ育っていくのをみるのが何よりも嬉しい。

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少し誤字脱字を修正 [いま、ここ、わたし]

ざっと読み返してみたけど、なんか、じわじわ感じるものがあるな。

今日も仕事はお休み。

今からベランダと歩道の植え込みの掃除をするぞー。草ボーボー。

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