苦しさの原因を知る [いま、ここ、わたし]
【さっきの記事】を書いてからも苦しさは減らなくて、友達に話を聞いてもらった。
話しながら気づいたのは今の苦しさの原因はさっきの記事に書いたことよりも、2018年に杉田水脈とすぎやまこういちのLGBTに対する差別発言のことを思い出しているからだ、ということだった。
オリンピックの開会式でドラゴンクエストの曲が使われるらしいということで、私のタイムラインにはすぎやまこういちが2018年にした発言について沢山のツイートが流れてきていた。
3年前の2018年のちょうど今頃も、その記事のことが沢山タイムラインに流れてきて、とても辛かったことを覚えている。
その時、自民党前への抗議活動があり、直前まで迷いながらも参加したが辛さはずっと変わらなかった。
前の記事に書いたことも自分の感じていることではあるけど、辛さの根っこはこっちの方にある。
記事を書き、友達に話して、自分が言いたいことは違うところにあると気づくことができた。
また自分が否定されている、そういう感覚。
すぎやまこういちの曲が喜ばれることと自分の否定は直接は繋がらないのに、自分の中では繋がっていて、それが辛さになっている。
まずは、そのことだけ書いておこうと思う。
話しながら気づいたのは今の苦しさの原因はさっきの記事に書いたことよりも、2018年に杉田水脈とすぎやまこういちのLGBTに対する差別発言のことを思い出しているからだ、ということだった。
オリンピックの開会式でドラゴンクエストの曲が使われるらしいということで、私のタイムラインにはすぎやまこういちが2018年にした発言について沢山のツイートが流れてきていた。
3年前の2018年のちょうど今頃も、その記事のことが沢山タイムラインに流れてきて、とても辛かったことを覚えている。
その時、自民党前への抗議活動があり、直前まで迷いながらも参加したが辛さはずっと変わらなかった。
前の記事に書いたことも自分の感じていることではあるけど、辛さの根っこはこっちの方にある。
記事を書き、友達に話して、自分が言いたいことは違うところにあると気づくことができた。
また自分が否定されている、そういう感覚。
すぎやまこういちの曲が喜ばれることと自分の否定は直接は繋がらないのに、自分の中では繋がっていて、それが辛さになっている。
まずは、そのことだけ書いておこうと思う。
もう終わってるし、もう始まってる [いま、ここ、わたし]
東京オリンピック2020の開会式。
見る気はなかったんだけど、社会学者のおさいさん( @osai )が「なんか行く年来る年みたい」とツイートしてるのを見かけて、気になって見始めた。
とにかく、終始、胸が苦しかった。
楽しんでいるひと、会場近くに行っているひと、嬉しくて涙を流すひと、ほっとするひと。
怒っているひと、苦しんでいるひと、非難するひと、問題点を指摘するひと。
特に選手団の入場でゲーム音楽が使われ、それを沢山の人が喜んでいて、社会的に認められたと書く人もいて、そういう人達がいるんだなということ、そして自分はそう思えないこと、ただその事実を受け止め続けながら、最後まで見た。
怒りとか悲しみとか絶望とかではなくて、ただ苦しかった。
この気持ちはなんだろう。
引き裂かれて苦しくて、でもその引き裂かれた隙間から、なにかがはっきり見えたような。
目の前にあると思っていたことが随分前に終わっていること、そして目に見えてないだけで何かがすでに始まっていること。
まとめる気はない。
ただ、未来の自分の為に、今の気持ちを書き記しておきたい。
この気持ちに関連した記事のリンクを備忘録として貼っておく。
【 twitter:コメカ @comecaML 】
【三森正道「それでも自分の道を切り開いていこう」】
【藤本タツキ「ルックバック」でおこっていること】
【ぱんださんの小径:58】
★ ★ ★
補足:
この記事を書いた後、どうにも違和感があって、追加で【苦しさの原因を知る】を書いた。
見る気はなかったんだけど、社会学者のおさいさん( @osai )が「なんか行く年来る年みたい」とツイートしてるのを見かけて、気になって見始めた。
とにかく、終始、胸が苦しかった。
楽しんでいるひと、会場近くに行っているひと、嬉しくて涙を流すひと、ほっとするひと。
怒っているひと、苦しんでいるひと、非難するひと、問題点を指摘するひと。
特に選手団の入場でゲーム音楽が使われ、それを沢山の人が喜んでいて、社会的に認められたと書く人もいて、そういう人達がいるんだなということ、そして自分はそう思えないこと、ただその事実を受け止め続けながら、最後まで見た。
怒りとか悲しみとか絶望とかではなくて、ただ苦しかった。
この気持ちはなんだろう。
引き裂かれて苦しくて、でもその引き裂かれた隙間から、なにかがはっきり見えたような。
目の前にあると思っていたことが随分前に終わっていること、そして目に見えてないだけで何かがすでに始まっていること。
まとめる気はない。
ただ、未来の自分の為に、今の気持ちを書き記しておきたい。
この気持ちに関連した記事のリンクを備忘録として貼っておく。
【 twitter:コメカ @comecaML 】
自分にとってもすごく難しいことではあるのだが、「情動によって連帯すること」から、今きちんと離れなければいけない。この興奮と高揚の先には間違いなくファシズムがある。法、公共的な言葉、近代的手続きの諸々を、きちんと捉え直す。反・united by emotionを。なんとかして「ひとり」になる。
【三森正道「それでも自分の道を切り開いていこう」】
物事を継続するのに必要なのは自らの意志である。他者の行為(あるいは好意)はこちらの思い通りにはできない。大事なのは、自分のコントロールできる範囲に集中すること。それは礼儀を失ってしまえということではなく、むしろ、もっと自分に対する礼儀(霊性)を取り戻そうとする在り方への話とつながっていく。
【藤本タツキ「ルックバック」でおこっていること】
こうした理解を前提に「ルックバック」を読む時、現在の社会秩序への抵抗を立ち上げるために、自分の内面や感情に向き合うことが、結局のところ何よりも必要とされていることに改めて気付かされる。
【ぱんださんの小径:58】
今回の大騒ぎで思うのは、受け手である私たちもちゃんと自分の頭と心で判断しなくてはならないということなのよ。 未来の私達に、もういい加減〇〇派ではなく、自分の意見と判断を!とせっつかれてるように見えるのよ。
★ ★ ★
補足:
この記事を書いた後、どうにも違和感があって、追加で【苦しさの原因を知る】を書いた。
映像の世紀、ミヒャエル・エンデの「モモ」 [いま、ここ、わたし]
さっき、立て続けに2本、NHKの番組を見た。
【映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」】は、1964年に開催された東京オリンピックを軸にしながら、その年にどんなことが東京で起こっていたのか、当時の映像を使って作られた番組。
敗戦後19年の1964年、オリンピックでの聖火リレーに込めた思いや選手の人達のこと、東京での深刻な水不足(「東京砂漠」という表現が使われていた)や、ベトナム戦争の影響、「血液銀行」に血液を売って暮らす人達、オリンピックの後の不況や失業のこと。
今、2021年のコロナの中での東京オリンピックのことと比べながら、なんども涙が出てきた。
映像に取り上げられていた一人ひとりの想いは、まとめることはできないけど、ただその存在を強く感じ続けながら見た。
次に取り上げる「コロナ新時代への提言3」の録画を見ようと思ってテレビをつけたら、たまたまやっていたんだけど、いいタイミングで見られて、本当によかった。ありがとうNHK。
★ ★ ★
先日、初回放送をちらっと見て、全編見たくて再放送を録画しておいた【コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ】。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を一つの軸にしながら3人の人から語られた話は、以前なら頭で考えていただろうことを、今の自分の体感をベースに体に染み込ませながら見られた。
ちょうど一年前の7/3にfacebookに書いた【投稿】があるので、少し編集して、こっちでもシェアしておく。
★ ★ ★
ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ。
この作品を読むのは初めてで、でも『モモ』は、昔から私にとって特別な作品だった。
ーーー
私にとって、忘れられない一人の先生がいる。
高校で現国を教えていた、S谷先生だ。
私が敢えてみんなが通う紋別市内の高校には行かず、わざわざ汽車で一時間弱かかる興部(おこっぺ)高校という遠い高校に通い始めた時、S谷先生も新任教師としてその高校に赴任して来た。
当時、S谷先生はたぶん20代で、今思えばどことなくヒッピー風で、他の先生とは見た目からして一味違っていた。
そして、一味違っていたのは見た目だけじゃない。彼は常に「自分は仙人になる」と宣言している人でもあった。
当時は半分ぐらいは冗談だと思っていたけど、その後、実際に仙人になる為に学校を辞め中国に渡ったので本気だったようだ。(ただし、滞在中に天安門事件があり日本に戻ってきたらしい)
そんなS谷先生の授業は、当然一味も二味も変わっていた。
ものすごく不機嫌な顔をして入ってきて、「今日は機嫌が悪いから自習!」と宣言し、授業中ずっと窓のそとを見ているかと思えば、教科書そっちのけで詩を朗読して聞かせたり、自分が日本全国をヒッチハイクでまわった話を色々したり、まだアニメ化される前だった野坂昭如の「火垂るの墓」を授業で取り上げたり。
生真面目だった自分からみたS谷先生は、やることなすこと突飛で破天荒ですごかった。
「教師がこんなことしていいんだ・・・」とあっけに取られつつ、その型にはまらない自由さは、「普通さ」から出ようともがいていた(当時はそんなはっきりした自覚はなかったが)私にとって1つの生きた指針になり、とても助けられた。
ーーー
そんなS谷先生は、演劇部の顧問もやっていた。
高校3年生、いや2年生の時だったか、一度、演劇部に誘われたことがあった。
芝居なんて自分にできると思わなかったし、それまでにみた芝居で面白いと思ったものは1つもなかった。
中学生のころからゲームプログラマーになることを決めていた私は、自分を理系の人間だとしか認識してなかったし、漫画以外の本を読んだことも殆どなかった。
そんな私にS谷先生は、「お前はさ理系じゃないよ。文系だよ。」と言い放ち、演劇部に誘ってきたのだった。
その時は、びっくりして断ったけど、別にしつこく誘ってくることはなかった。
そして、その演劇部が学園祭に上演したのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』だった。
まったく期待しないでみたその芝居は、ものすごく良い出来で、私は完全に打ちのめされた。
面白い芝居ってあるんだ。はじめてそう思った。
同級生が多く出ていたその芝居は、噂ではものすごく練習が大変で、毎回みんな泣きながらやっていたそうだ。
たぶん、S谷先生も真剣に取り組んでいたんだと思う。そういう人だ。
この時の誘いを断ったことをずっと後悔していて、それを解消したくて2017年に【アイゼ・スタジオ】で演技のトレーニングを受けたり、等々力にある【野毛青少年交流センター】主催で行われた「古墳で演劇」という芝居に出させてもらったりした。
ーーー
そんな、『モモ』だけど、きちんと読んだことはなかった。
時間どろぼうが時間を盗んでいて、それをモモが解決する、ぐらいの知識しかなかった。
コロナで家にいるようになった2020年の春、『モモ』を取り上げてる文章をいくつか目にする機会があって、今が読むタイミングかと思って読んでみた。
古典なんだと思い込んでたら、ドイツ語の初版は1973年、日本語版は1976年で、自分が生まれた後の作品だった。
物語の中盤、時間を配る賢者であるマイスター・ホラとモモとの会話が印象に残った。
モモ「それなら、時間どろぼうが人間から時間をこれいじょうぬすめないようにすることだって、わけもないことでしょう?」
ホラ「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」
また、モモが「時間のみなもと」を見るシーン。
そして、最後に時間どろぼうに盗まれていた、それぞれ違い、それぞれ素晴らしい「時間の花」が「ほんとうの居場所」である、ひとりひとりの心の中に戻っていくシーン。
好きな作品だな、と思う。良いタイミングで読めた。
ーーー
いつか、S谷先生の話は文章にしたかった。
2005年のこと、ふとネットで検索したらS谷先生のメールアドレスが見つかり、メールしてみたら返事をくれて、勤務先の高校で生徒向けに書いている文章をたくさん送ってくれたことがあった。
その文章で高校の時の教師の一人がバイク事故で亡くなっていたこと、また宇宙飛行士を目指してた同級生も海難事故で亡くなっていたことを知った。
2007年には【札幌まで会いに行った】こともある。
その時は仕事に行き詰まっていて人生相談をするつもりだったんだけど、逆に人生相談されたっけ。(結構大変な内容だった)
「何歳になっても、人生は大変なんだよ!」みたいなことを言われて、なんか「ああ、そうか」と自分の悩みが相対化されていく感じがあって、楽になったのを覚えてる。
直接会った時は言えなかったけど、東京に戻ってからお礼を兼ねたメールでゲイだとカミングアウトしたので、カミングアウトした二人目の人でもある。
今は連絡を取り合ってはいないけど、元気にされているだろうか。
しかし、S谷先生の「お前はさ理系じゃないよ。文系だよ。」の一言は強烈で、「そうなのか...?」と思って、それから本をたくさん読むようになったし、文系プログラマーを自称するまでにもなった。
今でもとてもとても感謝している。
【映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」】は、1964年に開催された東京オリンピックを軸にしながら、その年にどんなことが東京で起こっていたのか、当時の映像を使って作られた番組。
敗戦後19年の1964年、オリンピックでの聖火リレーに込めた思いや選手の人達のこと、東京での深刻な水不足(「東京砂漠」という表現が使われていた)や、ベトナム戦争の影響、「血液銀行」に血液を売って暮らす人達、オリンピックの後の不況や失業のこと。
今、2021年のコロナの中での東京オリンピックのことと比べながら、なんども涙が出てきた。
映像に取り上げられていた一人ひとりの想いは、まとめることはできないけど、ただその存在を強く感じ続けながら見た。
次に取り上げる「コロナ新時代への提言3」の録画を見ようと思ってテレビをつけたら、たまたまやっていたんだけど、いいタイミングで見られて、本当によかった。ありがとうNHK。
★ ★ ★
先日、初回放送をちらっと見て、全編見たくて再放送を録画しておいた【コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ】。
ミヒャエル・エンデの「モモ」を一つの軸にしながら3人の人から語られた話は、以前なら頭で考えていただろうことを、今の自分の体感をベースに体に染み込ませながら見られた。
ちょうど一年前の7/3にfacebookに書いた【投稿】があるので、少し編集して、こっちでもシェアしておく。
★ ★ ★
ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ。
この作品を読むのは初めてで、でも『モモ』は、昔から私にとって特別な作品だった。
ーーー
私にとって、忘れられない一人の先生がいる。
高校で現国を教えていた、S谷先生だ。
私が敢えてみんなが通う紋別市内の高校には行かず、わざわざ汽車で一時間弱かかる興部(おこっぺ)高校という遠い高校に通い始めた時、S谷先生も新任教師としてその高校に赴任して来た。
当時、S谷先生はたぶん20代で、今思えばどことなくヒッピー風で、他の先生とは見た目からして一味違っていた。
そして、一味違っていたのは見た目だけじゃない。彼は常に「自分は仙人になる」と宣言している人でもあった。
当時は半分ぐらいは冗談だと思っていたけど、その後、実際に仙人になる為に学校を辞め中国に渡ったので本気だったようだ。(ただし、滞在中に天安門事件があり日本に戻ってきたらしい)
そんなS谷先生の授業は、当然一味も二味も変わっていた。
ものすごく不機嫌な顔をして入ってきて、「今日は機嫌が悪いから自習!」と宣言し、授業中ずっと窓のそとを見ているかと思えば、教科書そっちのけで詩を朗読して聞かせたり、自分が日本全国をヒッチハイクでまわった話を色々したり、まだアニメ化される前だった野坂昭如の「火垂るの墓」を授業で取り上げたり。
生真面目だった自分からみたS谷先生は、やることなすこと突飛で破天荒ですごかった。
「教師がこんなことしていいんだ・・・」とあっけに取られつつ、その型にはまらない自由さは、「普通さ」から出ようともがいていた(当時はそんなはっきりした自覚はなかったが)私にとって1つの生きた指針になり、とても助けられた。
ーーー
そんなS谷先生は、演劇部の顧問もやっていた。
高校3年生、いや2年生の時だったか、一度、演劇部に誘われたことがあった。
芝居なんて自分にできると思わなかったし、それまでにみた芝居で面白いと思ったものは1つもなかった。
中学生のころからゲームプログラマーになることを決めていた私は、自分を理系の人間だとしか認識してなかったし、漫画以外の本を読んだことも殆どなかった。
そんな私にS谷先生は、「お前はさ理系じゃないよ。文系だよ。」と言い放ち、演劇部に誘ってきたのだった。
その時は、びっくりして断ったけど、別にしつこく誘ってくることはなかった。
そして、その演劇部が学園祭に上演したのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』だった。
まったく期待しないでみたその芝居は、ものすごく良い出来で、私は完全に打ちのめされた。
面白い芝居ってあるんだ。はじめてそう思った。
同級生が多く出ていたその芝居は、噂ではものすごく練習が大変で、毎回みんな泣きながらやっていたそうだ。
たぶん、S谷先生も真剣に取り組んでいたんだと思う。そういう人だ。
この時の誘いを断ったことをずっと後悔していて、それを解消したくて2017年に【アイゼ・スタジオ】で演技のトレーニングを受けたり、等々力にある【野毛青少年交流センター】主催で行われた「古墳で演劇」という芝居に出させてもらったりした。
ーーー
そんな、『モモ』だけど、きちんと読んだことはなかった。
時間どろぼうが時間を盗んでいて、それをモモが解決する、ぐらいの知識しかなかった。
コロナで家にいるようになった2020年の春、『モモ』を取り上げてる文章をいくつか目にする機会があって、今が読むタイミングかと思って読んでみた。
古典なんだと思い込んでたら、ドイツ語の初版は1973年、日本語版は1976年で、自分が生まれた後の作品だった。
物語の中盤、時間を配る賢者であるマイスター・ホラとモモとの会話が印象に残った。
モモ「それなら、時間どろぼうが人間から時間をこれいじょうぬすめないようにすることだって、わけもないことでしょう?」
ホラ「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」
また、モモが「時間のみなもと」を見るシーン。
そして、最後に時間どろぼうに盗まれていた、それぞれ違い、それぞれ素晴らしい「時間の花」が「ほんとうの居場所」である、ひとりひとりの心の中に戻っていくシーン。
好きな作品だな、と思う。良いタイミングで読めた。
ーーー
いつか、S谷先生の話は文章にしたかった。
2005年のこと、ふとネットで検索したらS谷先生のメールアドレスが見つかり、メールしてみたら返事をくれて、勤務先の高校で生徒向けに書いている文章をたくさん送ってくれたことがあった。
その文章で高校の時の教師の一人がバイク事故で亡くなっていたこと、また宇宙飛行士を目指してた同級生も海難事故で亡くなっていたことを知った。
2007年には【札幌まで会いに行った】こともある。
その時は仕事に行き詰まっていて人生相談をするつもりだったんだけど、逆に人生相談されたっけ。(結構大変な内容だった)
「何歳になっても、人生は大変なんだよ!」みたいなことを言われて、なんか「ああ、そうか」と自分の悩みが相対化されていく感じがあって、楽になったのを覚えてる。
直接会った時は言えなかったけど、東京に戻ってからお礼を兼ねたメールでゲイだとカミングアウトしたので、カミングアウトした二人目の人でもある。
今は連絡を取り合ってはいないけど、元気にされているだろうか。
しかし、S谷先生の「お前はさ理系じゃないよ。文系だよ。」の一言は強烈で、「そうなのか...?」と思って、それから本をたくさん読むようになったし、文系プログラマーを自称するまでにもなった。
今でもとてもとても感謝している。
おばあちゃんの指先 [いま、ここ、わたし]
生活はあまり変わりなく続いている。
月給に合わせた節約生活をしつつ、半日バイトに行って、多摩川を散歩しながらゴミを拾い、植え込みの掃除をして花を眺め、ピアノを弾いて、韓国語をやる。
変わったことといえば、数十年ぶりにテレビを見始めたことで、なんとなく昔に戻ったような感覚があるのに、ニュースとかは当然今のことをやっていて、特にコロナやオリンピックの話題をぼんやりと見たり聞いたりしている。
バラエティとかは、昔の「8時だよ全員集合!」とか「オレたちひょうきん族」は好きだったのに、今の番組はどうも笑えないし、共感できなくて見ていない。
NHKを見ることが多くて、NHK教育はやっぱりいいな、と、ここは昔から変わらない感覚。
高校生向けの歴史や科学の番組を仕事明けで見たりしている。
コンピューターに興味を持てたのもNHK教育の「マイコン入門」のおかけだし、NHKとは相性があうんだろうな。
この一年半の間、コロナのことはtwitterに流れてくる情報やニュースサイトを見て情報を得ていたんだけど、テレビのニュース番組や討論番組を見ていると、ものすごい違和感を感じる。
でもそれは、反発とか感情的なもの、というよりは、どこか自分と世間の当たり前が違うんだな、という少し冷静な感覚。
こういう感覚を持ったことは多分今までなくて、不思議に思っている。
お互いに違う当たり前が一緒に存在している、ただそれだけ。
しかも、だからしょうがない、できることはないと諦める感じもなくて、そうなんだな、だったらどうしていこうかな、自分はどうしていきたいかな、という、そういう感じが湧いてきている。
しかもそれが日本の中だけの話というよりは、世界的な当たり前との違和感、という感じもある。
この先に何があるかは、全然分からない。
【この前書いた】ように、おばあちゃんが前の方から抱きしめてくれている感覚があって、最近はさらに手を引いて、どこかに連れて行こうとしてくれてる感じも出てきている。
それは強引という感じではなくて、笑顔で見守りながら、どこか遠くを指差しながら、ゆっくり一緒に歩いていっているような感じ。
今はこれからどうしていくのか、どうしていきたいのか、ちょっと判断がつかなくて、ぼんやりしてることが多いんだけど、多分何かしたいんだろうな、とは思う。
それでも、あまり変わりなく、生活を整え、仕事をし、散歩とゴミ拾いをし、花を育てて、ピアノや韓国語を地道にコツコツ続けるのが、今はいい気もしている。テレビも見ながら。
あ、そうだ、一つだけやりたいことがあった。
来年、トウモロコシをベランダで育てたい。
トウモロコシ(北海道では「とうきび」)は、おばあちゃんが畑で育ててて、毎年とれたてのトウモロコシを茹でて食べるのが夏の楽しみだった。
ふと、自分で育てたいなぁ、と思ったんだよね。
それが来年やるつもりの新しいことかな。
今から楽しみ。
月給に合わせた節約生活をしつつ、半日バイトに行って、多摩川を散歩しながらゴミを拾い、植え込みの掃除をして花を眺め、ピアノを弾いて、韓国語をやる。
変わったことといえば、数十年ぶりにテレビを見始めたことで、なんとなく昔に戻ったような感覚があるのに、ニュースとかは当然今のことをやっていて、特にコロナやオリンピックの話題をぼんやりと見たり聞いたりしている。
バラエティとかは、昔の「8時だよ全員集合!」とか「オレたちひょうきん族」は好きだったのに、今の番組はどうも笑えないし、共感できなくて見ていない。
NHKを見ることが多くて、NHK教育はやっぱりいいな、と、ここは昔から変わらない感覚。
高校生向けの歴史や科学の番組を仕事明けで見たりしている。
コンピューターに興味を持てたのもNHK教育の「マイコン入門」のおかけだし、NHKとは相性があうんだろうな。
この一年半の間、コロナのことはtwitterに流れてくる情報やニュースサイトを見て情報を得ていたんだけど、テレビのニュース番組や討論番組を見ていると、ものすごい違和感を感じる。
でもそれは、反発とか感情的なもの、というよりは、どこか自分と世間の当たり前が違うんだな、という少し冷静な感覚。
こういう感覚を持ったことは多分今までなくて、不思議に思っている。
お互いに違う当たり前が一緒に存在している、ただそれだけ。
しかも、だからしょうがない、できることはないと諦める感じもなくて、そうなんだな、だったらどうしていこうかな、自分はどうしていきたいかな、という、そういう感じが湧いてきている。
しかもそれが日本の中だけの話というよりは、世界的な当たり前との違和感、という感じもある。
この先に何があるかは、全然分からない。
【この前書いた】ように、おばあちゃんが前の方から抱きしめてくれている感覚があって、最近はさらに手を引いて、どこかに連れて行こうとしてくれてる感じも出てきている。
それは強引という感じではなくて、笑顔で見守りながら、どこか遠くを指差しながら、ゆっくり一緒に歩いていっているような感じ。
今はこれからどうしていくのか、どうしていきたいのか、ちょっと判断がつかなくて、ぼんやりしてることが多いんだけど、多分何かしたいんだろうな、とは思う。
それでも、あまり変わりなく、生活を整え、仕事をし、散歩とゴミ拾いをし、花を育てて、ピアノや韓国語を地道にコツコツ続けるのが、今はいい気もしている。テレビも見ながら。
あ、そうだ、一つだけやりたいことがあった。
来年、トウモロコシをベランダで育てたい。
トウモロコシ(北海道では「とうきび」)は、おばあちゃんが畑で育ててて、毎年とれたてのトウモロコシを茹でて食べるのが夏の楽しみだった。
ふと、自分で育てたいなぁ、と思ったんだよね。
それが来年やるつもりの新しいことかな。
今から楽しみ。
兄の誕生日 [いま、ここ、わたし]
今日7月4日は亡き兄の誕生日だ。
生きていたら53歳になる。
最近兄のことをイメージすると、小さい兄がふざけて変なことをしている映像が浮かんでくる。
それは楽しそうで、子供っぽくて、自由な感じ。
実際の兄はそういう感じではなかったし、むしろ逆な感じだったけど、最近の兄はそうやって楽しそうにしている。
兄だけじゃなくて、私は小さい時の自分や父をイメージしたり、よく話しかけたりするんだけど、その二人もどんどん変わっていっている。
最近の小さい自分はとても落ち着いていてどこか聡明な顔をしながら話を聞いてくれる。
今年に入ってから父は話すたびに抱きしめてくれたけど、最近は少し距離をとって見守ってくれている。
その代わりなのか、今度は父方の祖母が抱きしめてくれる様になった。
祖母は花や牡丹が好きで育ててて、私はとてもおばあちゃん子だったらしい。
人が死んで初めて泣いたのは祖母の時だった。
自分の心の中にいる人達は生きていて変わっていくし、自分も変わっていくんだな。
生きていたら53歳になる。
最近兄のことをイメージすると、小さい兄がふざけて変なことをしている映像が浮かんでくる。
それは楽しそうで、子供っぽくて、自由な感じ。
実際の兄はそういう感じではなかったし、むしろ逆な感じだったけど、最近の兄はそうやって楽しそうにしている。
兄だけじゃなくて、私は小さい時の自分や父をイメージしたり、よく話しかけたりするんだけど、その二人もどんどん変わっていっている。
最近の小さい自分はとても落ち着いていてどこか聡明な顔をしながら話を聞いてくれる。
今年に入ってから父は話すたびに抱きしめてくれたけど、最近は少し距離をとって見守ってくれている。
その代わりなのか、今度は父方の祖母が抱きしめてくれる様になった。
祖母は花や牡丹が好きで育ててて、私はとてもおばあちゃん子だったらしい。
人が死んで初めて泣いたのは祖母の時だった。
自分の心の中にいる人達は生きていて変わっていくし、自分も変わっていくんだな。
広告と付き合う [いま、ここ、わたし]
先日【2021/06/29 韓国語をduolingoで】で書いたとおり韓国語の学習の為【duolingo】というサービスを使い始めた。
無料版は広告つき、有料版は月額717円で広告なしなんだけど、生活費を節約していることもあって無料版のままにしている。
一週間ほど使ってみてduolingoはとても丁寧に作られているなと感じている。広告表示も割とあっさり終わったりして、あくまで学習者の負担にならないようにしてある。
自分は広告が好きじゃなくて、このブログも広告を消したいと思っているんだけど、duolingoを使いながら出てくる広告をみてて、少し感じていることがある。
★ ★ ★
去年から多摩川を散歩するようになったけど、元々加入していた東急のクレジットカードのアプリに歩数を数えてそれに応じて東急ポイントの抽選ができる機能が入っていて、ほぼ毎日散歩するようになったことで、ちょいちょい抽選に応募できたりしてる。
さらに、今年に入って散歩でWAONポイントがたまる【RenoBody】というアプリがあることも知ってこっちも使っている。
どっちもたまにアプリを起動すればいいだけなので、負担にはなっていない。
そんな風に散歩アプリを使っていたんだけど、duolingoを使ってて流れてきた広告に【トリマ】というアプリの紹介があって、これも散歩でポイントを貯めて色々な応募ができるみたいだったので入れ、さらに広告に出てきた【あるくと】と【Coke ON】という散歩アプリもインストールした。
広告がきっかけで3つもアプリを入れたことになる。
「トリマ」と「あるくと」も広告があるので、急に色々な広告を目にするようになった。
あまり広告を見なくなっていた自分としては「あー、今はアプリでこんな感じに広告が流れてくるのが当たり前なのか」と少し新しいものに触れた感じがしている。
★ ★ ★
そんな広告への気持ちの変化があって、ちょっと民放テレビを見てみた。
自分はテレビは持っているけどほとんど見なくなっていて、たまに実家に帰った時に見るぐらいだった。
改めて民放テレビを見てみて、その広告時間の長さにびっくりした。
思えば広告が嫌いになったのは、テレビ番組で盛り上がっている時にわざと中断させて広告を出し、広告が終わった後その続きを流す、みたいなことが一般化してきた時だった。
いつごろだっただろう、高校生ぐらいの時だったか、明石家さんまの番組でそんなことが始まって、せっかく面白い番組なのに気持ちよくみれないなぁ、と思っていた。
でも、民放は無料で番組を放送をしているわけで、番組を作る費用は広告などで得る必要があるから、視聴者になるべく広告を見てもらわないといけない。
こう書いてて当たり前だよなと思うけど、自分はそれをどこか納得していない。
「いいものは広告しなくとも売れる」、そう強く思っているからだと思う。
でも、いいものでも知る機会がなければ広がらない。
だから、いろいろな手段を使って広告をする。
それは理屈にかなっているし、実際そうだろう。
自分もduolingoの広告がなければ、新しいアプリをインストールすることはなった訳だから。
でも、なんだろうな、この微妙な気持ち。
広告は嫌いだけど、それを土台にして色々なものが回っていることは分かる。
それが当たり前になっていることも分かる。
最近、節約生活をしてることもあって「消費」という言葉が気持ちにひっかかってるんだけど、その「当たり前」から距離をとっていると、それが今の自分には「当たり前」ではないことが分かる。
土台が違うというか、見てる向きが違うというか。
でも、いい機会だから広告も見てみて、これからテレビも見るようにしてみよう、という気持ちが湧いてきている。
広告が嫌いだという自分の気持ちは大切だしそれを無視はしないけど、自分の外側にあるもの、違和感を感じるものと一緒にいてみること、それが存在していることを無視しないこともまた大切にも思う。
★ ★ ★
2021/07/13 追記
この記事を読んでduolingo始めたいなと思った方、
【duolingo】
↑のリンクで始めてもらえたら、紹介ポイントがもらえるので嬉しいです!
私のアカウントはhigetamaで検索すれば出てくるので、フォローもお気軽に~。
無料版は広告つき、有料版は月額717円で広告なしなんだけど、生活費を節約していることもあって無料版のままにしている。
一週間ほど使ってみてduolingoはとても丁寧に作られているなと感じている。広告表示も割とあっさり終わったりして、あくまで学習者の負担にならないようにしてある。
自分は広告が好きじゃなくて、このブログも広告を消したいと思っているんだけど、duolingoを使いながら出てくる広告をみてて、少し感じていることがある。
★ ★ ★
去年から多摩川を散歩するようになったけど、元々加入していた東急のクレジットカードのアプリに歩数を数えてそれに応じて東急ポイントの抽選ができる機能が入っていて、ほぼ毎日散歩するようになったことで、ちょいちょい抽選に応募できたりしてる。
さらに、今年に入って散歩でWAONポイントがたまる【RenoBody】というアプリがあることも知ってこっちも使っている。
どっちもたまにアプリを起動すればいいだけなので、負担にはなっていない。
そんな風に散歩アプリを使っていたんだけど、duolingoを使ってて流れてきた広告に【トリマ】というアプリの紹介があって、これも散歩でポイントを貯めて色々な応募ができるみたいだったので入れ、さらに広告に出てきた【あるくと】と【Coke ON】という散歩アプリもインストールした。
広告がきっかけで3つもアプリを入れたことになる。
「トリマ」と「あるくと」も広告があるので、急に色々な広告を目にするようになった。
あまり広告を見なくなっていた自分としては「あー、今はアプリでこんな感じに広告が流れてくるのが当たり前なのか」と少し新しいものに触れた感じがしている。
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そんな広告への気持ちの変化があって、ちょっと民放テレビを見てみた。
自分はテレビは持っているけどほとんど見なくなっていて、たまに実家に帰った時に見るぐらいだった。
改めて民放テレビを見てみて、その広告時間の長さにびっくりした。
思えば広告が嫌いになったのは、テレビ番組で盛り上がっている時にわざと中断させて広告を出し、広告が終わった後その続きを流す、みたいなことが一般化してきた時だった。
いつごろだっただろう、高校生ぐらいの時だったか、明石家さんまの番組でそんなことが始まって、せっかく面白い番組なのに気持ちよくみれないなぁ、と思っていた。
でも、民放は無料で番組を放送をしているわけで、番組を作る費用は広告などで得る必要があるから、視聴者になるべく広告を見てもらわないといけない。
こう書いてて当たり前だよなと思うけど、自分はそれをどこか納得していない。
「いいものは広告しなくとも売れる」、そう強く思っているからだと思う。
でも、いいものでも知る機会がなければ広がらない。
だから、いろいろな手段を使って広告をする。
それは理屈にかなっているし、実際そうだろう。
自分もduolingoの広告がなければ、新しいアプリをインストールすることはなった訳だから。
でも、なんだろうな、この微妙な気持ち。
広告は嫌いだけど、それを土台にして色々なものが回っていることは分かる。
それが当たり前になっていることも分かる。
最近、節約生活をしてることもあって「消費」という言葉が気持ちにひっかかってるんだけど、その「当たり前」から距離をとっていると、それが今の自分には「当たり前」ではないことが分かる。
土台が違うというか、見てる向きが違うというか。
でも、いい機会だから広告も見てみて、これからテレビも見るようにしてみよう、という気持ちが湧いてきている。
広告が嫌いだという自分の気持ちは大切だしそれを無視はしないけど、自分の外側にあるもの、違和感を感じるものと一緒にいてみること、それが存在していることを無視しないこともまた大切にも思う。
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2021/07/13 追記
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