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父から抱きしめられ、みんなが「おかえりなさい」と言ってくれる [いま、ここ、わたし]

7月29日に書かれた【note:ばんださんの小径 59】を読んでから、父のことを考える時、「父さん大好き」と言って抱きつくイメージを持つ様にしてみた。

私はいつも父から抱きしめられるのを待っていたと思う。

でも、待つんじゃなくて自分から抱きつけばいいんだと、ぱんださんの記事を読んで気づいて、ここ2ヶ月ほど試し続けてきた。少しの恥ずかしさを抱えながら。

そしたら、つい数日前から、今度は父が「お前のことが大好きだよ」って抱きしめてくれるようになった。

その変化にびっくりしてる。

大好きといって抱きつくイメージを持とうとすると、その前に父から大好きだと抱きつかれる。

そして、とても安心した気持ちになる。

この変化はいったいなんだろう。とても不思議。そんなことを狙ったわけじゃないのに。

そういえば以前は小さい自分とよく対話したりしてたけど、最近小さい自分はほとんど顔を出さなくなって、代わりに父や母や祖母と話すようになっている。

母は存命で月に数回電話で話すから今までイメージにはあまり出てこなかったんだけど、最近は父や祖母と同じく一緒にいてくれる感じが強くなり、たまにイメージで会話をしたりする。

ああ、それと、この前家を出た時に「ここは自分の家だ」という強い感覚が襲ってきた。

少しびっくりして、そして嬉しかった。

賃貸であっても長く住んで気に入っている場所なら「自分の家」になるんだな、と思った。

それ以来、部屋にある物達が「いってらっしゃい」とか「おかえりなさい」と言ってくれる感じがしてきて、それまでは「行ってきます」とか「帰ってきたよ」とかこちらから一方的に話しかけるだけだったのに、先に向こうから話しかけてくれる感じになってきた。

これも父との関係の変化に似ている。

いまのままの自分で受け入れてもらえることは、安心することなんだな、と改めて感じている。

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全レッスン一旦終了 [いま、ここ、わたし]

先日の9月16日、思い立って韓国語のレッスンと音楽のレッスンをやめることにした。

色々節約している中でお金の負担が大きかったこともあるんだけど、それ以上に好き勝手にやりたい気持ちが強くなってきて、レッスンという枠を飛び出したくなったことが大きい。

韓国語は3年、音楽は2年続けた。

韓国語のトレーナーからは「3年続きましたね。立派に卒業ですね」と言ってもらえて、音楽のトレーナーからも「私も色々学びました。これからも納得行く形で活動できることを祈ってます」と言ってもらえた。

せっかく続けてきたことをやめるのは抵抗があったし、レッスンの枠があるから続けられていたと思っていたので、レッスンを降りると続けられなくなるよなぁ、とも思っていた。

でも、やめるときっぱり決めてから数日が経って、今朝ふと「気楽で楽しい」と思った。

自分が思ったより長い間負担になっていて、何かの枠に縛られてる感じがあったんだろう。

語学も音楽も、どっちもこれからどうしていくか先は見えてない。

とりあえず【2021/06/29 韓国語をduolingoで】に書いたduolingoは今日で87日目でずっと続けていて、韓国語コースはボリュームが少なめでもう終わってて、今は英語のコースをやっているところ。英語が終わったら中国語をやって、その後、英語話者向けの韓国語コースをやろうかな、とぼんやり思ってる。

音楽については、楽器の方向はどうしていくか分からないままだけど、歌については歌詞を歌うんじゃなくて単にメロディを口ずさむことをしてみたくなって多摩川を散歩しながら試してる。言葉の前に音だけで感じるものがどういうものか、それを感じたい。

ギターはクラッシックギターを試してみたい気持ちがあるものの、買うお金もないしどうしようかな、と思ってる。

絵と同じでじっくり自分がやりたい気持ちになるまで待とうと思う。

そういえば韓国語のトレーナーは「語学の素地はできてるから、あとはやりたくなったらやれますよ」って言ってたな。自分の経験でもそうなんだって。

とにかく気持ちが軽い。

決めてよかったな。

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楽器と仲良くしていくこと [いま、ここ、わたし]

今日は久々に音楽のレッスンに行った。

6月からレッスン回数を毎月二回から一回に減らし、さらに先月は他の予定とぶつかってキャンセルしたので二ヶ月ぶり。

【2021/06/10 歌うこと】で書いたように、前回のレッスンからピアノをはじめたんだけど、最初のわくわく感の割にはあまり練習しないまま今日を迎えた。

ボイトレの時はレッスンに行く前に歌いたい歌をアカペラで歌って録音し、先回りトレーナーの方に送っておいて、レッスンではその歌の伴奏をしてもらいながら歌うということをしてた。

朝起きて、どうしようかなぁと思いつつ、ちょっとピアノを弾いてみてたんだけど、どうも気持ちが乗らない。

じゃあ、ピアノは一旦忘れてなにをしたいか考えたら、去年【歌詞をつくるワークショップ】で作った自分の歌を歌いたくなったので、それを録音しながらアカペラで歌ってみた。

歌ったのは、
【2020/09/10 歌詞#11 ひとつの家を】
【2020/06/11 歌詞#08 草木はおどる】
【2020/05/05 歌詞#07 思いを歌に光を支えに】
【2020/03/12 歌詞#05 小さき種の】
の4つ。

歌いながら泣けてしょうがなかった。

一年経ったことで自分の歌を客観的に感じられて、その時自分がなにを想っていたのか、なにを伝えたかったのか、よくわかった気がした。

「あー、そうだったのか・・・」そんなことを強く感じた。

それは、今年に入って父や祖母が自分に与えてくれたものがなんなのか、自分では当たり前だと思っていたけど、それは当たり前じゃなくて与えられたものだったんだ、という感覚と連動している。

父や祖母が与えてくれたものがあるから、こういう歌詞をかけたんだなと思う。

それは本当にありがたいことで、嬉しくて、大切で、愛おしいものだ。

それらをこうやって表すことができてることがその気持ちをさらに強くする。

嬉しくて泣くほどに、今の自分を支えるものになっていると思う。

★ ★ ★

アカペラで歌った後、やっぱりピアノ伴奏で弾き語りもしておこう、うまく弾けなくともいいから今の自分にできることをやってトレーナーの方に聞いてもらいたいと思えて、いままでボイトレで歌ったことのある曲をいくつか弾き語りで録音した。

歌ったのは、白鳥英美子「Melodies of Life」、竹原ピストル「虹は待つな橋をかけろ」、一青窈「ハナミズキ」、元ちとせ「ワダツミの木」、KAN「愛は勝つ」の5曲。

どの曲もピアノで一度ぐらいは弾いたことはあるけど、きちんと弾き語りするのは初めてで、かつ自分の声に合わせてキーを上げたものもあったのでコード進行が変わってなかなか大変だった。

それでも思ったよりは弾けたし歌えて、トレーナーの方から「え?今朝いきなりやったんですか?聞いた時、この二ヶ月随分練習したんだなって思いましたよ」と言われもした。

前回のピアノレッスンの後、家で少しやった時も思ったけど、初めての曲でも思ったより弾くことができて、特にギターと比べるとピアノは自分には弾きやすいようだ。

でも、逆に拍子抜けなところもあり、ここからなにをしていけばいいかよくわからないところが多い。

今日はそのことも話していくつかアドバイスももらった。

音楽や楽器に関する知識がとにかく少ないので、ギターでもピアノでも、どんな弾き方があってそれらがどんな印象を与えたり、歌との相性がどうなのかとか、全然わからないから自分だけだとまったくアイデアが出てこない。

そういう点で先月レッスンできなかったのはちょっと厳しかったし、今日レッスンできたのはよかった。

それでも、漠然としてる感じは依然強くって、これからなにをどうしていくか手探りは続きそう。

ピアノをやってみて改めてギターの良さも感じてるから、両方を混ぜつつとにかく何かをやっていくんだろう。

作曲をしてみたい気持ちも少し湧いてきてるのでそっちもやってみるかも知れない。

そんな感じでいろいろわちゃわちゃしてるけど、どうやら「自分で作った歌を歌いたい」という気持ちは確からしいので、それを軸に楽器と少しづつ仲良くなれたらいいなと思う。

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