「僕が批評家になったわけ」加藤典洋 [それでもどっこい生きてます]
いい。この人いい。
形としては批評の本だけど、この人のことの本だ。
20歳過ぎぐらいからちょこちょこ本を読んで、んで、最近はこんなblogを書いていて良く思うのは
「こんなに本を読むのはカシコクみられたいだけじゃねーのか?オイこら。」
ということ。
否定できない。
好きで読んでるだけなら別にblogに書く必要はないもんね。
まー、元々は自分の考えを整理したくて書き始めたんだけど、だんだん人に見せる為に書くようになってきている気もする。
で、ずっと読んでる奇特な方は気づいてるかもしれないけど、基本的には読んだ本のいいとこしか書かない。批判はしない。
なぜか。
それは、もし自分が本を書いたとしたら、その内容を否定されたくないから。
自分がやられて嫌なことは、人にもやらない。やさしいとかじゃなくて、自分がかわいいから。
それと、悪いところを言われても、そんなの書いた本人が一番良く分かってるんじゃないかと思うから。
もひとついうと悪いところを直しても面白くなんてならない。良いところを伸ばすほうが絶対面白いものができるから。
そんなことを繰り返して、何百冊も本を読んでカシコイつもりになって、消極的な感想を書き散らす。
たまには政治に文句もいったり、世の中をうれいたり、頭にきたことを書きなぐったり、内省したフリをしたりもする。
にんげんだもの?
違うね。それをいうなら「オレだもの」。まだキレイすぎるか。
キレイにまとめて話すことなんて出来ない。その時その時の切れッ端を「なぜか分からないけど」書き付けていく。誰かの、何かの、役に立つことがあれば、そりゃ涙が出るほどうれしいけれど、誰かの、何かの、役に立つことを目標としてはいけない。
お高くとまって誰かを説教したいんじゃない。
もちろん誰かに説教なんてされたくない。
ただ、ここにわたしはいるし、あなたもいる。一冊の本に筆者がいる様に、あなたもいるし、わたしもいる。その”いる”ということ自体が、それだけで一つの批評なんじゃないだろうか。
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