「吉本隆明と親鸞」高橋 順一 [それでもどっこい生きてます]
ひさびさに読書ブログっぽく。
「最後の親鸞」という吉本隆明の本をテーマにした講義をまとめたもの。書き起こしなこともあるのか読みやすく一気に読めました。
いままで吉本隆明とは距離をとりながら、ちょっとずつ接してきました。怖いんですよね。彼の考えてることはブラックホールみたいな感じがしてて、自分が今までうんうんいいながら考えてきたことが全部吹っ飛びそうで。
でも、311の震災後、自分の中での吉本隆明の「何か」を必要とする感じは強くなっています。
先日、転向論を読んだのは、震災後、自分を含め人がバラバラになり対立していく感じが怖くて、それを終戦後の転向の問題と似た現象としてとらえ直すことができるのかな、と思ったからです。
この本は、自分が震災の影響下で「吉本隆明成分」が必要に感じていることに加えて、前から興味がある親鸞ということでタイミングが合い、興味深く読めました。筆者の思い入れがストレートに伝わってくるのも好感触です。
まぁ相変わらず中身をまとめる気はないのですが、吉本隆明と親鸞、そしてイエスが目指している思想的なはじっこは、感じることができる本に思います。
ちょっと前から聖書の「ヨブ記」に興味があるのも、そういうはじっこ、人と神の断絶点と連結点を自分で感じたい、という関心からだと思いますから、そういう点でも良かったです。
この本と対になる本として「吉本隆明と共同幻想論」が9月に出るそうなので、それもぜひ読みたいと思います。
過去日記リンク:
【2004-12-13:「悪人正機」吉本隆明、糸井重里】
【2005-01-09:「生きていくのに大切な言葉吉本隆明74語」勢古浩爾】
【2005-04-08:「中学生のための社会科」吉本隆明】
【2006-10-15:「余裕のない日本を考える」吉本隆明】
「最後の親鸞」という吉本隆明の本をテーマにした講義をまとめたもの。書き起こしなこともあるのか読みやすく一気に読めました。
いままで吉本隆明とは距離をとりながら、ちょっとずつ接してきました。怖いんですよね。彼の考えてることはブラックホールみたいな感じがしてて、自分が今までうんうんいいながら考えてきたことが全部吹っ飛びそうで。
でも、311の震災後、自分の中での吉本隆明の「何か」を必要とする感じは強くなっています。
先日、転向論を読んだのは、震災後、自分を含め人がバラバラになり対立していく感じが怖くて、それを終戦後の転向の問題と似た現象としてとらえ直すことができるのかな、と思ったからです。
この本は、自分が震災の影響下で「吉本隆明成分」が必要に感じていることに加えて、前から興味がある親鸞ということでタイミングが合い、興味深く読めました。筆者の思い入れがストレートに伝わってくるのも好感触です。
まぁ相変わらず中身をまとめる気はないのですが、吉本隆明と親鸞、そしてイエスが目指している思想的なはじっこは、感じることができる本に思います。
ちょっと前から聖書の「ヨブ記」に興味があるのも、そういうはじっこ、人と神の断絶点と連結点を自分で感じたい、という関心からだと思いますから、そういう点でも良かったです。
この本と対になる本として「吉本隆明と共同幻想論」が9月に出るそうなので、それもぜひ読みたいと思います。
過去日記リンク:
【2004-12-13:「悪人正機」吉本隆明、糸井重里】
【2005-01-09:「生きていくのに大切な言葉吉本隆明74語」勢古浩爾】
【2005-04-08:「中学生のための社会科」吉本隆明】
【2006-10-15:「余裕のない日本を考える」吉本隆明】
去年の新しい試み、その結果 [それでもどっこい生きてます]
このブログを以前から読んでくださっている方は、私が「新しい試み」と呼んでいたものがあるのを覚えているかも知れません。
簡単に言えば、「ゲーム開発という本業をやりながら、副業に近いことにチャレンジする」というものなのですが、去年、ブログを書いていない間は、それらのアレコレを試していたのでした。
結果としては、多くのことが中途半端に終わりました。
当初は土日や平日の深夜などの時間を使って、それらをやるつもりでした。
でも、どうやら自分にはそういう時間の使い方は向いていないようで、キチンと時間をとって、自分の脳みそをフルに使える状態にしないと、満足いく結果には結びつかない様です。
何かするときは、とことんまで考えたいのですよね。
それは本業でも同じで、期待される役割が大きい仕事でしたので、よりいっそう思考の手が抜けず、どんどん使う時間が増えていったのでした。
★ ★ ★
今回フリーランスで行くことを決めた背景には、そういう経験が影響しています。
本業をやりながら、時間のやりくりができない。
↓
でも、本業以外にやりたいことがある。
むしろ、そのやりたいことをのばさないと、40代、50代を生き延びることができないと感じている
↓
本業を辞めて、自分のために時間を確保する必要がある。
・・・という感じです。
幸い周囲のサポートも期待できる状態だったので、決めました。
去年の新しい試みで知り合った方から、もう少し一緒にやりませんか、と声をかけられたのも、大きい点ですから、試み自体は中途半端な結果だったとしても、先には繋がったのかな、と思います。
誰かが、「自分が点をうっている時はそれがどういう意味を持つかわからない。ただ、あきらめずに続けていれば、それらはいつか線になる」みたいなことを言っていたのを見ましたが、そういうものなのかも知れません。
簡単に言えば、「ゲーム開発という本業をやりながら、副業に近いことにチャレンジする」というものなのですが、去年、ブログを書いていない間は、それらのアレコレを試していたのでした。
結果としては、多くのことが中途半端に終わりました。
当初は土日や平日の深夜などの時間を使って、それらをやるつもりでした。
でも、どうやら自分にはそういう時間の使い方は向いていないようで、キチンと時間をとって、自分の脳みそをフルに使える状態にしないと、満足いく結果には結びつかない様です。
何かするときは、とことんまで考えたいのですよね。
それは本業でも同じで、期待される役割が大きい仕事でしたので、よりいっそう思考の手が抜けず、どんどん使う時間が増えていったのでした。
★ ★ ★
今回フリーランスで行くことを決めた背景には、そういう経験が影響しています。
本業をやりながら、時間のやりくりができない。
↓
でも、本業以外にやりたいことがある。
むしろ、そのやりたいことをのばさないと、40代、50代を生き延びることができないと感じている
↓
本業を辞めて、自分のために時間を確保する必要がある。
・・・という感じです。
幸い周囲のサポートも期待できる状態だったので、決めました。
去年の新しい試みで知り合った方から、もう少し一緒にやりませんか、と声をかけられたのも、大きい点ですから、試み自体は中途半端な結果だったとしても、先には繋がったのかな、と思います。
誰かが、「自分が点をうっている時はそれがどういう意味を持つかわからない。ただ、あきらめずに続けていれば、それらはいつか線になる」みたいなことを言っていたのを見ましたが、そういうものなのかも知れません。
So-netブログとTwitterの連動と実名公開についての結論 [それでもどっこい生きてます]
ブログとTwitterを連動させてみました〜。
ブログを投稿すると自動的にtweetされる、ってやつです。他の人もやっている人がちらほらいますね。
So-netブログのTwitter連動機能は、他にもtweetをまとめてブログにアップする機能もあるみたいなのですが、こちらは未設定にしてみました。
あくまで時間軸はTwitterのものを使っていく、というイメージです。
その他にも、ブログの見た目をちょっと変えたり、iPhoneで見たときに改行の位置が気になったので、改行はすべて自動改行にまかせ、自分で整形しないようにしました。
改行は、とりあえず今年の記事だけは直しました。他の記事は大量にあるのでごめんなさいします。
★ ★ ★
先日、フリーランスになるにあたって、このブログやTwitterを実名公開にしようか悩んでいる、と書きましたが、今のまま匿名で行くことにしました。
フリーランスの活動については基本的にFacebookを利用(実名)、「ひげたま」アカウントのTwitterやブログと連動させないこととし、もし実名でTwitterやブログをやりたくなったら、別アカウントをとることにします。
ですから、このブログやTwitterを知っている知り合いの方、これからもあくまで匿名ですので、よろしくお願いします!
悩んでいた点としては、2003年からネットで日記やブログを書いたり、去年からTwitterをやったりしてきた「自分」を、今後、フリーランスで仕事をする以上、多くの人に知って欲しいし、もっと強く言えば「知らせるべきなのではないか」と考えてたことがあります。
でも、実名公開することで、いままで大切にしてきた、このブログやTwitterがやりづらくなってしまえば、自分をさらけ出す場所が減ってしまってつらいだろうな、そんな考えから、実名公開はしないことにしました。
プライベートをさらけだすことが、必ずしも良いことではないと思い直した訳です。
もちろん、仕事で出会った人だったとしても、大切な友人になれそうな人には、このブログやTwitterを教えたりすると思いますけどね。それはそれで別なお話です。
ブログを投稿すると自動的にtweetされる、ってやつです。他の人もやっている人がちらほらいますね。
So-netブログのTwitter連動機能は、他にもtweetをまとめてブログにアップする機能もあるみたいなのですが、こちらは未設定にしてみました。
あくまで時間軸はTwitterのものを使っていく、というイメージです。
その他にも、ブログの見た目をちょっと変えたり、iPhoneで見たときに改行の位置が気になったので、改行はすべて自動改行にまかせ、自分で整形しないようにしました。
改行は、とりあえず今年の記事だけは直しました。他の記事は大量にあるのでごめんなさいします。
★ ★ ★
先日、フリーランスになるにあたって、このブログやTwitterを実名公開にしようか悩んでいる、と書きましたが、今のまま匿名で行くことにしました。
フリーランスの活動については基本的にFacebookを利用(実名)、「ひげたま」アカウントのTwitterやブログと連動させないこととし、もし実名でTwitterやブログをやりたくなったら、別アカウントをとることにします。
ですから、このブログやTwitterを知っている知り合いの方、これからもあくまで匿名ですので、よろしくお願いします!
悩んでいた点としては、2003年からネットで日記やブログを書いたり、去年からTwitterをやったりしてきた「自分」を、今後、フリーランスで仕事をする以上、多くの人に知って欲しいし、もっと強く言えば「知らせるべきなのではないか」と考えてたことがあります。
でも、実名公開することで、いままで大切にしてきた、このブログやTwitterがやりづらくなってしまえば、自分をさらけ出す場所が減ってしまってつらいだろうな、そんな考えから、実名公開はしないことにしました。
プライベートをさらけだすことが、必ずしも良いことではないと思い直した訳です。
もちろん、仕事で出会った人だったとしても、大切な友人になれそうな人には、このブログやTwitterを教えたりすると思いますけどね。それはそれで別なお話です。
コミュニティでサバイブする、ということ [それでもどっこい生きてます]
お酒を控えております。
きっかけは、ひと月前ぐらいに通風発作になったことなんですが、お酒を飲まずに飲み会にいたりしていると、そもそも自分はなんで大量のお酒を飲むのか、疑問になってきたんですよね。
お酒を沢山飲む様になったきっかけは、明らかに就職です。
私が就職したのは1990年(※5/24訂正)ですから、年功序列も終身雇用もきっちり機能していましたし、新卒で就職ができない、なんてことは、あまり想像できませんでした。
今から考えると、職を得て経済的に独立しようと思う人にとっては、とてもラッキーでした。
そんな時代に就職した私は、会社に入る前、いくつか不安がありました。
それは、主にコミュニケーションについてです。
たとえば、野球などのスポーツに興味がなかったので、一般的に会社員が話題にするであろう、それらの話題についていけるか。
あと、色恋ネタが苦手だったので、そういう話をどうやって切り抜けるか。
つまり、「会社員が一般的にする会話」と私が思っていたものから逃げ切ることができるかが、私の就職に関する主な不安だったのです。
仕事内容含め、ゲームに関することについては不安はありませんでした。あったとしても自信のなさからくる焦り、みたいなものでした。
んで、そのコミュニケーションへの不安に対する具体的な対応策が、「飲み会の席で大量にお酒を飲み、はしゃぐ」ということだったんです。
仕事場は仕事をキチンとすれば逃げ切れます。ゲームの会社からだからか、仕事に閉じこもってコミュニケーションをあまりしない人は沢山いましたから。
でも、飲み会ではそれが通じません。
幸い自分はお酒が強かったので、新人歓迎会でお酒を大量に飲み、カラオケではしゃぐことで、「そういうわかりやすい新人」の立場を確保することができました。
それ以来、飲み会では主にお酒を沢山飲みはしゃぐことで、自分が苦手な話題には答えないことができました。
そんな「フリ」の内、はしゃぐことについては、だんだん無理が来て嫌になり、ここ1年ほどは大人数の飲み会は極力出ないことにしてきました。
ただ、お酒を大量に飲むことは「好きなんだ」という思い込みのまま来ていたんです。
んで、今回、通風発作がおきて強制的にお酒を控えるしかない状態で、自分の送別会(基本は断れないですよね。まぁアレコレ話はしたいし)に出てたりしていて、主賓であり最もお酒を飲むべき立場なのに飲まない、という経験を何度かしていて、「あれ?飲まなくても嫌じゃないな。お酒好きなんじゃなかったっけ?なんだろこの感じ?」と思ったんですよね。
そんなことを、ぼんやり思ってたどり着いたのが「会社員として、コミュニケーションのために大量のお酒を飲んでいた自分」だったのです。
これはちょっと衝撃でした。
それと同時にいままで無理してがんばってきた、自分をいとおしく感じました。
★ ★ ★
くだらない話をします。
会社のみならず、学校でもNPOでも、そして家庭でも、新しいコミュニティに継続的に入っていくとき、「新人」はレベル0からはじめなければなりません。
自分をメンバーとして最下層に置かなければなりません。
レベル0から初めて、他のメンバーに「認められ」、発言が「許され」、能力があれば「抜擢され」、何かを「まかせてもらえる」状態になります。
ただ、どこまでいってもあくまで主導権は「自分より前に参加したメンバー」にあり、自分にありません。
そして、その中で一定の立場(能力などには関係しません)を得られた人は、自分より新しいメンバーに対して、「認め」「許し」「抜擢し」「まかせる」人になります。
そういうコミュニティ文化の中で長い間サバイブしてきたなと、会社を辞めた今、思う訳です。
今もコミュニティでがんばっている人、これからがんばる人、離れた人、離れようとしている人、それらすべての人が、自分を損なうことなく、自分を大切に生きていってほしいと思います。
私も、ただにこやかに笑っていきたいと思います。
きっかけは、ひと月前ぐらいに通風発作になったことなんですが、お酒を飲まずに飲み会にいたりしていると、そもそも自分はなんで大量のお酒を飲むのか、疑問になってきたんですよね。
お酒を沢山飲む様になったきっかけは、明らかに就職です。
私が就職したのは1990年(※5/24訂正)ですから、年功序列も終身雇用もきっちり機能していましたし、新卒で就職ができない、なんてことは、あまり想像できませんでした。
今から考えると、職を得て経済的に独立しようと思う人にとっては、とてもラッキーでした。
そんな時代に就職した私は、会社に入る前、いくつか不安がありました。
それは、主にコミュニケーションについてです。
たとえば、野球などのスポーツに興味がなかったので、一般的に会社員が話題にするであろう、それらの話題についていけるか。
あと、色恋ネタが苦手だったので、そういう話をどうやって切り抜けるか。
つまり、「会社員が一般的にする会話」と私が思っていたものから逃げ切ることができるかが、私の就職に関する主な不安だったのです。
仕事内容含め、ゲームに関することについては不安はありませんでした。あったとしても自信のなさからくる焦り、みたいなものでした。
んで、そのコミュニケーションへの不安に対する具体的な対応策が、「飲み会の席で大量にお酒を飲み、はしゃぐ」ということだったんです。
仕事場は仕事をキチンとすれば逃げ切れます。ゲームの会社からだからか、仕事に閉じこもってコミュニケーションをあまりしない人は沢山いましたから。
でも、飲み会ではそれが通じません。
幸い自分はお酒が強かったので、新人歓迎会でお酒を大量に飲み、カラオケではしゃぐことで、「そういうわかりやすい新人」の立場を確保することができました。
それ以来、飲み会では主にお酒を沢山飲みはしゃぐことで、自分が苦手な話題には答えないことができました。
そんな「フリ」の内、はしゃぐことについては、だんだん無理が来て嫌になり、ここ1年ほどは大人数の飲み会は極力出ないことにしてきました。
ただ、お酒を大量に飲むことは「好きなんだ」という思い込みのまま来ていたんです。
んで、今回、通風発作がおきて強制的にお酒を控えるしかない状態で、自分の送別会(基本は断れないですよね。まぁアレコレ話はしたいし)に出てたりしていて、主賓であり最もお酒を飲むべき立場なのに飲まない、という経験を何度かしていて、「あれ?飲まなくても嫌じゃないな。お酒好きなんじゃなかったっけ?なんだろこの感じ?」と思ったんですよね。
そんなことを、ぼんやり思ってたどり着いたのが「会社員として、コミュニケーションのために大量のお酒を飲んでいた自分」だったのです。
これはちょっと衝撃でした。
それと同時にいままで無理してがんばってきた、自分をいとおしく感じました。
★ ★ ★
くだらない話をします。
会社のみならず、学校でもNPOでも、そして家庭でも、新しいコミュニティに継続的に入っていくとき、「新人」はレベル0からはじめなければなりません。
自分をメンバーとして最下層に置かなければなりません。
レベル0から初めて、他のメンバーに「認められ」、発言が「許され」、能力があれば「抜擢され」、何かを「まかせてもらえる」状態になります。
ただ、どこまでいってもあくまで主導権は「自分より前に参加したメンバー」にあり、自分にありません。
そして、その中で一定の立場(能力などには関係しません)を得られた人は、自分より新しいメンバーに対して、「認め」「許し」「抜擢し」「まかせる」人になります。
そういうコミュニティ文化の中で長い間サバイブしてきたなと、会社を辞めた今、思う訳です。
今もコミュニティでがんばっている人、これからがんばる人、離れた人、離れようとしている人、それらすべての人が、自分を損なうことなく、自分を大切に生きていってほしいと思います。
私も、ただにこやかに笑っていきたいと思います。
IKEAに行ってみた [それでもどっこい生きてます]
木曜日。
収納に興味シンシンな中、南船橋のIKEAに行ってみました。
【公式サイト:IKEA】
・・・すごい、すごすぎる。
子供の遊び場を随所に置いたり、休憩場所が中間と最後にあったり、買うものはメモして、最後にピックアップしたり・・・と、店を訪れる人が楽しく楽に買い物できるように、工夫されています。
20年ぐらい前、東京に出てきてハンズに初めて行った時はその品数の多さに圧倒され、ジュンク堂に初めて行ったときは、椅子が置いてあることに感動しましたが、IKEAもそういう自分の考える「好きなお店」の延長線上にある店でした。
もの作りの観点からいっても、店を訪れる人のことをよく研究していると感じられるし、IKEAで働く人のこともよく考えていると思えます。
すてきなお店です。
家具の博物館みたいな感じでしょうか。
安さや品数の多さだけじゃなく、想いや愛みたいなものが随所に詰まっているところが、IKEAの最大の強みなんでしょうね。
平たい顧客志向、みたいなものでは追いつけない、誠実さや思想を感じました。
自分も、そういうの目指したいですね〜。
収納に興味シンシンな中、南船橋のIKEAに行ってみました。
【公式サイト:IKEA】
・・・すごい、すごすぎる。
子供の遊び場を随所に置いたり、休憩場所が中間と最後にあったり、買うものはメモして、最後にピックアップしたり・・・と、店を訪れる人が楽しく楽に買い物できるように、工夫されています。
20年ぐらい前、東京に出てきてハンズに初めて行った時はその品数の多さに圧倒され、ジュンク堂に初めて行ったときは、椅子が置いてあることに感動しましたが、IKEAもそういう自分の考える「好きなお店」の延長線上にある店でした。
もの作りの観点からいっても、店を訪れる人のことをよく研究していると感じられるし、IKEAで働く人のこともよく考えていると思えます。
すてきなお店です。
家具の博物館みたいな感じでしょうか。
安さや品数の多さだけじゃなく、想いや愛みたいなものが随所に詰まっているところが、IKEAの最大の強みなんでしょうね。
平たい顧客志向、みたいなものでは追いつけない、誠実さや思想を感じました。
自分も、そういうの目指したいですね〜。
ぶらぶら満喫、収納追求 [それでもどっこい生きてます]
ぶらぶらしてます。ぶらぶら。
思いのほか、いいもんですね。
んで、日曜日はぶらぶらと、【根津美術館】まで行ってきました。
お目当ては、尾形光琳作「燕子花図屏風」。
【画像検索:「燕子花図屏風」】
んー、いい!
酒井抱一の「夏秋草図屏風」を東京国立博物館で見たときもビビビっとしびれましたが、この作品もたまらないですね。
屏風が好きになったのは、たぶん、京都旅行で二条城のふすま絵を見てからだと思います。
【2004/8/13:京都四日目最終日(1)】
ふすま絵も屏風も、部屋の中に意図した景色を出現させ、部屋にいる方をバーチャルワールドに誘うものだと思うのです。
こういう「時間と空間を圧縮して表現し、見るものの内部で再現させる方法」は、とても好きですね。
もちろんゲームもそういう要素があり、そういう意味ではある部分では連続した表現手法なんだと思います。
「燕子花図屏風」以外にも色々な作品がありましたが、月の出から入りまでを表現した屏風が、とてもインパクトがあり、好きになりました。
★ ★ ★
さて収納です。
引っ越してからあれこれ片付けをしているなかで、すっかり収納にハマってしまいました。
前回の引っ越しの時も、収納の便利さを実感してはいたんですが、今回は備え付けの収納が大きくラフなこともあり、どう何をつめるか、棚はどうするか、ハンガーは?などなど、考えることが多いのです。
ニトリや無印良品、ハンズなどのお店に行ったり、カタログ雑誌を見比べたりしていると、収納の解法が無限にあることがわかり、くらくらしてきます。
台所のシンクの下の攻防とか、ランドリーの隙間20cmへの想いとか、熱すぎます。
本当に面白い!
収納講座とかあったら通ってしまいそうだなっす。
思いのほか、いいもんですね。
んで、日曜日はぶらぶらと、【根津美術館】まで行ってきました。
お目当ては、尾形光琳作「燕子花図屏風」。
【画像検索:「燕子花図屏風」】
んー、いい!
酒井抱一の「夏秋草図屏風」を東京国立博物館で見たときもビビビっとしびれましたが、この作品もたまらないですね。
屏風が好きになったのは、たぶん、京都旅行で二条城のふすま絵を見てからだと思います。
【2004/8/13:京都四日目最終日(1)】
ふすま絵も屏風も、部屋の中に意図した景色を出現させ、部屋にいる方をバーチャルワールドに誘うものだと思うのです。
こういう「時間と空間を圧縮して表現し、見るものの内部で再現させる方法」は、とても好きですね。
もちろんゲームもそういう要素があり、そういう意味ではある部分では連続した表現手法なんだと思います。
「燕子花図屏風」以外にも色々な作品がありましたが、月の出から入りまでを表現した屏風が、とてもインパクトがあり、好きになりました。
★ ★ ★
さて収納です。
引っ越してからあれこれ片付けをしているなかで、すっかり収納にハマってしまいました。
前回の引っ越しの時も、収納の便利さを実感してはいたんですが、今回は備え付けの収納が大きくラフなこともあり、どう何をつめるか、棚はどうするか、ハンガーは?などなど、考えることが多いのです。
ニトリや無印良品、ハンズなどのお店に行ったり、カタログ雑誌を見比べたりしていると、収納の解法が無限にあることがわかり、くらくらしてきます。
台所のシンクの下の攻防とか、ランドリーの隙間20cmへの想いとか、熱すぎます。
本当に面白い!
収納講座とかあったら通ってしまいそうだなっす。
引っ越しその後 [それでもどっこい生きてます]
会社を退職するにあたり、固定費節約のため引っ越しをしたんです。3月に。
前のところは、会社を辞めない前提での高めのお家賃設定だったので。
んで、2ヶ月ほどかけてちまちま片付けて、やっとこさ段ボールで埋まってた部屋が使い物になりそうな気配。長かった。
周辺の買い物スポットとかも探索しつつ、だんだんとなじんできてます。
なにより、前の家は大通りに近かったのと消防署が近くにあったので、昼夜関係なくうるさかったのですが、今は通りから離れてることもあって快適な静けさ。テレビの音もきちんと聞こえる。
引っ越し当日から安眠です。
家変えて、会社辞めてと、色々一気にやっているので、あせらず少しずつ安定させて行きたいもんです。
前のところは、会社を辞めない前提での高めのお家賃設定だったので。
んで、2ヶ月ほどかけてちまちま片付けて、やっとこさ段ボールで埋まってた部屋が使い物になりそうな気配。長かった。
周辺の買い物スポットとかも探索しつつ、だんだんとなじんできてます。
なにより、前の家は大通りに近かったのと消防署が近くにあったので、昼夜関係なくうるさかったのですが、今は通りから離れてることもあって快適な静けさ。テレビの音もきちんと聞こえる。
引っ越し当日から安眠です。
家変えて、会社辞めてと、色々一気にやっているので、あせらず少しずつ安定させて行きたいもんです。
ブログを書く気分? [それでもどっこい生きてます]
ほぼ一年ぶりに再開したこのブログ。
なんか、書くのが難しいです。
昨日は「岡本太郎展」にいったり、鈴木先生の11巻を読んだりと、書くネタはあるのですが、まとまった文章を書く気になりません。
長い文章を書くのがおっくうなのかな?とも考えたのですが、自分の気持ちの問題もさることながら、TwitterやUSTなどで、よりリアルタイム性が上がったネット環境が出来上がった結果、ゆっくりとした作業をネットでするのが、そぐわないようになってきた、という点もありそうにも思います。
まとまった文章を書くのは、自分の考えを整理したり、記録に残したりする点で、有益なので続けたいのですが、さてどうしたものか。
無理にブログを続けるのも違う気がしますからね。自分に合わなくなったらやめた方が健康的だし。
★ ★ ★
そうそう。東京国立近代美術館でやってる岡本太郎展。
http://taroten100.com/index.html
開催期間が5月8日までだったので行ってきました。
岡本太郎美術館や記念館には何度かいっているのですが、1960年前後の作品が沢山あったのが印象的でした。
意味を持たせない絵があったり、いたずらみたいな絵があったり。
万博の時の会議の映像が流れていたのですが、太陽の塔の内部に設置する展示の意味について熱心に語る岡本太郎と、やや困惑している出席者、という対比が、何かものを作るとき、従来とは違った仕方で何かをやるときに、よくおこる対比に感じられて、意志を貫く困難さを感じました。
★ ★ ★
鈴木先生11巻
完結しました。
あまり漫画を読む方ではないのですが、今まで読んだ漫画の中では、とても好きな作品です。
「自分の頭で丁寧にものごと考えてよい、自分の考えで行動してよい」
いまの自分でやっと当たり前に思える様になったこの考え方を、一人一人の登場人物が身につけていく様は、とてもうらやましく、頼もしく思いました。
以前読んだ「レイコ@チョート校」の感想でも、「楽しくきちんと学べる学校生活」に対するあこがれを書きましたが、それと似た感じなのかも知れません〜。
なんか、書くのが難しいです。
昨日は「岡本太郎展」にいったり、鈴木先生の11巻を読んだりと、書くネタはあるのですが、まとまった文章を書く気になりません。
長い文章を書くのがおっくうなのかな?とも考えたのですが、自分の気持ちの問題もさることながら、TwitterやUSTなどで、よりリアルタイム性が上がったネット環境が出来上がった結果、ゆっくりとした作業をネットでするのが、そぐわないようになってきた、という点もありそうにも思います。
まとまった文章を書くのは、自分の考えを整理したり、記録に残したりする点で、有益なので続けたいのですが、さてどうしたものか。
無理にブログを続けるのも違う気がしますからね。自分に合わなくなったらやめた方が健康的だし。
★ ★ ★
そうそう。東京国立近代美術館でやってる岡本太郎展。
http://taroten100.com/index.html
開催期間が5月8日までだったので行ってきました。
岡本太郎美術館や記念館には何度かいっているのですが、1960年前後の作品が沢山あったのが印象的でした。
意味を持たせない絵があったり、いたずらみたいな絵があったり。
万博の時の会議の映像が流れていたのですが、太陽の塔の内部に設置する展示の意味について熱心に語る岡本太郎と、やや困惑している出席者、という対比が、何かものを作るとき、従来とは違った仕方で何かをやるときに、よくおこる対比に感じられて、意志を貫く困難さを感じました。
★ ★ ★
鈴木先生11巻
完結しました。
あまり漫画を読む方ではないのですが、今まで読んだ漫画の中では、とても好きな作品です。
「自分の頭で丁寧にものごと考えてよい、自分の考えで行動してよい」
いまの自分でやっと当たり前に思える様になったこの考え方を、一人一人の登場人物が身につけていく様は、とてもうらやましく、頼もしく思いました。
以前読んだ「レイコ@チョート校」の感想でも、「楽しくきちんと学べる学校生活」に対するあこがれを書きましたが、それと似た感じなのかも知れません〜。
送別会ふたたび [それでもどっこい生きてます]
今日は以前チームを組んでいたプログラマーズに送別会をしてもらいました。
下北沢のおいしいお寿司屋さん。二回目です。
もう飲み友達としては長い付き合いなので、ある意味いつも通りの飲み会となりました。
昔と違って、今はメールもあるしtwitterやFacebookもあるしで、会社辞めてもあまりお互いの関係は変わらなかったりします。
やや、しみじみ不足な感は否めませんですな。
おいしかったので、何か特別な日はまたいきたいもんです。
下北沢のおいしいお寿司屋さん。二回目です。
もう飲み友達としては長い付き合いなので、ある意味いつも通りの飲み会となりました。
昔と違って、今はメールもあるしtwitterやFacebookもあるしで、会社辞めてもあまりお互いの関係は変わらなかったりします。
やや、しみじみ不足な感は否めませんですな。
おいしかったので、何か特別な日はまたいきたいもんです。
れんきゅうちゅう [それでもどっこい生きてます]
(ブログ、リハビリ中)
5月になりました
朝から強風が吹くなか、ぼんやりと一日を過ごしています。
なんとなく放置してあった、facebookのアカウントをいじったり、こうやってブログを更新してみたり。
会社を辞めるにあたり、いくつかの送別会を開いてもらったのですが、いままで自分がやってきたことや考えてきたことが、どう周りに伝わっていたかが、改めてわかったりします。
苦労して地味に取り組んでいたことをわかってもらえてたりすると、率直にうれしく思ったりします。
★ ★ ★
そうそう、ブログを書いていない間も本は読んでました。
メディアマーカーに登録してるものは、基本的にすべて読んでますけど、電車の移動時間が短くなったので、あまり数はこなせてないかも。
そんななか新書とかだとさくっと読めていいですね〜。
5月になりました
朝から強風が吹くなか、ぼんやりと一日を過ごしています。
なんとなく放置してあった、facebookのアカウントをいじったり、こうやってブログを更新してみたり。
会社を辞めるにあたり、いくつかの送別会を開いてもらったのですが、いままで自分がやってきたことや考えてきたことが、どう周りに伝わっていたかが、改めてわかったりします。
苦労して地味に取り組んでいたことをわかってもらえてたりすると、率直にうれしく思ったりします。
★ ★ ★
そうそう、ブログを書いていない間も本は読んでました。
メディアマーカーに登録してるものは、基本的にすべて読んでますけど、電車の移動時間が短くなったので、あまり数はこなせてないかも。
そんななか新書とかだとさくっと読めていいですね〜。