メガネをはずしてあるく [いま、ここ、わたし]
散歩のとき、たまにメガネをはずしてあるく。
裸眼視力は0.02ぐらいなので、ぜんぶがぼやけてみえるんだけど、メガネをしてるとものが歪んでみえたり、色合いが変わったりしてるのがなくなって、ものをそのまま見れてる感じがして好き。
このことに気づいたのは、二年前にコンタクトレンズをつけたときから。
コンタクトレンズも乱視の矯正がメガネほどはできなくてぼやけてみえるんだけど、それでも何かクリアな感じがして、へー、と思って、それからたまにコンタクトで散歩するようになった。
ただ、コンタクトは使い捨てのにしたので、あんまり使っちゃうとまた買わなきゃいけなくなるからあまり使えなくて、その代わりメガネを外して歩いてる。
ぼやけた景色をぼんやり見ながらあるいてると、ものの輪郭がはっきりみえなくとも存在ははっきり感じるなー、とか、色は輪郭とは関係ないなー、とか、小学四年生からメガネをずっとしてきてそれが当たり前だったけどメガネがないほうが当たり前なんだよなー、とか思う。
そういえばコンタクトを作りに眼科に行ったとき、色々検査が終わった後、先生に「あなたはとても目の感度がいい。普通、裸眼でこれほど視力が低い人はメガネをしても、ここまで見えるようにならないですよ」って言われて、ずっと自分は目が悪いと思ってたから、とても意外で嬉しかった。
視力は低いけど、感度はいいのかー、って。
小さいときから太陽をじーっと見るのが大好きで、そのせいで目が悪くなったと思ってて、少し後悔したりもしてたんだけど、感度がいいっていわれてほっとしたし、今も太陽をじーっとみるのは好き。
メガネなしの自分、そのままの自分。そんな自分が好き。
裸眼視力は0.02ぐらいなので、ぜんぶがぼやけてみえるんだけど、メガネをしてるとものが歪んでみえたり、色合いが変わったりしてるのがなくなって、ものをそのまま見れてる感じがして好き。
このことに気づいたのは、二年前にコンタクトレンズをつけたときから。
コンタクトレンズも乱視の矯正がメガネほどはできなくてぼやけてみえるんだけど、それでも何かクリアな感じがして、へー、と思って、それからたまにコンタクトで散歩するようになった。
ただ、コンタクトは使い捨てのにしたので、あんまり使っちゃうとまた買わなきゃいけなくなるからあまり使えなくて、その代わりメガネを外して歩いてる。
ぼやけた景色をぼんやり見ながらあるいてると、ものの輪郭がはっきりみえなくとも存在ははっきり感じるなー、とか、色は輪郭とは関係ないなー、とか、小学四年生からメガネをずっとしてきてそれが当たり前だったけどメガネがないほうが当たり前なんだよなー、とか思う。
そういえばコンタクトを作りに眼科に行ったとき、色々検査が終わった後、先生に「あなたはとても目の感度がいい。普通、裸眼でこれほど視力が低い人はメガネをしても、ここまで見えるようにならないですよ」って言われて、ずっと自分は目が悪いと思ってたから、とても意外で嬉しかった。
視力は低いけど、感度はいいのかー、って。
小さいときから太陽をじーっと見るのが大好きで、そのせいで目が悪くなったと思ってて、少し後悔したりもしてたんだけど、感度がいいっていわれてほっとしたし、今も太陽をじーっとみるのは好き。
メガネなしの自分、そのままの自分。そんな自分が好き。
やりたいこと、と、たのしいこと [いま、ここ、わたし]
ここんところずっと、やりたいことってなんだろうなー、って考えてた。
自分の時間をどーつかっていくか、やりたいことがあるなら、それをやれるんだけどなー、って思って。
でも、どーにもピンとこなかった。
やりたいこと、って考えると、なにか目標を立てる、みたいな感じが自分にあるのか、どーも気持ちが乗らなくて、なにも浮かんでこない。
歌やピアノ、ギターやクレパス画、あと詩とか英語とか韓国語とか、ここ数年でやってきたことはやりたくてやったし嫌いじゃないけど、やりたいこと、って枠で考えると、どうもぼやけていく。
そんななか、このまえ、たのしいこと、ってなんだろう、って思った。
川崎でソフトクリームを食べたり、行きつけのパン屋さんでどーでもいい話をしたり、そんなことがたのしいな、って思って、あれ?、もしかして、やりたいことじゃなくて、たのしいことをやればいいのかな?どーなのかな?って思った。
植え込みやベランダを整えて、楽しいとは微妙に違うけど、嬉しいし、気持ちいい、と感じる。
それは、やりたいこと、って言えば言えるかもしれないけど、そういう未来っぽいことじゃなくて、今やったこと、今感じてることで、あー楽しい、すーっと楽になる、そんなことをやればいいのかもしれないなー、と思う。
生きてきて、そういう時期もあった気もするけど、あんまり思い出せない。
それがその時は当たり前だったからかなぁ。
この感じにはまだあまり慣れてなくて、これからどーなっていくかわからないけど、ちょっと試したくて試してる。
たのしー、って、いいよなー。
自分の時間をどーつかっていくか、やりたいことがあるなら、それをやれるんだけどなー、って思って。
でも、どーにもピンとこなかった。
やりたいこと、って考えると、なにか目標を立てる、みたいな感じが自分にあるのか、どーも気持ちが乗らなくて、なにも浮かんでこない。
歌やピアノ、ギターやクレパス画、あと詩とか英語とか韓国語とか、ここ数年でやってきたことはやりたくてやったし嫌いじゃないけど、やりたいこと、って枠で考えると、どうもぼやけていく。
そんななか、このまえ、たのしいこと、ってなんだろう、って思った。
川崎でソフトクリームを食べたり、行きつけのパン屋さんでどーでもいい話をしたり、そんなことがたのしいな、って思って、あれ?、もしかして、やりたいことじゃなくて、たのしいことをやればいいのかな?どーなのかな?って思った。
植え込みやベランダを整えて、楽しいとは微妙に違うけど、嬉しいし、気持ちいい、と感じる。
それは、やりたいこと、って言えば言えるかもしれないけど、そういう未来っぽいことじゃなくて、今やったこと、今感じてることで、あー楽しい、すーっと楽になる、そんなことをやればいいのかもしれないなー、と思う。
生きてきて、そういう時期もあった気もするけど、あんまり思い出せない。
それがその時は当たり前だったからかなぁ。
この感じにはまだあまり慣れてなくて、これからどーなっていくかわからないけど、ちょっと試したくて試してる。
たのしー、って、いいよなー。
なにもしなくていいよ [いま、ここ、わたし]
散歩しながら、たまに、なにもしなくていいよ、と自分に語ってる。
歩数でポイントがつくアプリをやってるから、ついつい、ポイントを稼ごうとして無理しちゃう。
そんなとき、ポイントなんてどーでもいいから好きにすればいいよ、なにもしなくていいよ、と言ってみる。
そうすると、すーっと気持ちが楽になって、あー、それでいいんだな、と思う。
効率とか数字とか、そんなことを目標にして行動しなくていい、気持ちを感じて、やりたいようにやればいい、と思える。
ほんとうに楽になるんだよね。すーっと。
まいかい、自分でも驚くぐらい。
なにもしなくていい。
追い求めなくていい。
その時やりたいと思ったことを、その時やればいい。
少し前から、決めたことをひっくり返すことを意識してて、左に曲がってここに行こう、と思ってても、その曲がる場所に来たときに、やっぱり右に行きたいとおもったら、右に行く。
決めたことを守らなくていい。
その時の気持ちに従えばいい。
毎日散歩しながら、そんなことを感じてる。
歩数でポイントがつくアプリをやってるから、ついつい、ポイントを稼ごうとして無理しちゃう。
そんなとき、ポイントなんてどーでもいいから好きにすればいいよ、なにもしなくていいよ、と言ってみる。
そうすると、すーっと気持ちが楽になって、あー、それでいいんだな、と思う。
効率とか数字とか、そんなことを目標にして行動しなくていい、気持ちを感じて、やりたいようにやればいい、と思える。
ほんとうに楽になるんだよね。すーっと。
まいかい、自分でも驚くぐらい。
なにもしなくていい。
追い求めなくていい。
その時やりたいと思ったことを、その時やればいい。
少し前から、決めたことをひっくり返すことを意識してて、左に曲がってここに行こう、と思ってても、その曲がる場所に来たときに、やっぱり右に行きたいとおもったら、右に行く。
決めたことを守らなくていい。
その時の気持ちに従えばいい。
毎日散歩しながら、そんなことを感じてる。
植え込みの土を掘り返して種をまく [いま、ここ、わたし]
家の前の植え込みにたねをまく気になれない。
理由はわかってて、植え込みの土が砂利だらけで嫌だったから。
去年の工事でそうなっちゃって、まいったなーと思って、そのことも植え込みに手を入れたり、なにかを植える気になれなかった理由の一つ。
先週、草取りはしたけど、土はそのままだった。
どーしていいかわからなかったから。
せっかくたねをかったし、はやくうえたいんだけど、うーん、というのが先週。
今日は仕事が休みだったこともあって、まぁ、とりあえず少しスコップで掘り返して、そこにたねだけまこう、とやりはじめたら、やっぱりひどくて、あれこれ試行錯誤するなかで、やっぱり土をなんとかしたくなって、えいやっと思い切ってベランダにある腐葉土を混ぜることにした。
この腐葉土、二年前の秋、多摩川や桜坂、その他いくつかの場所から拾ってきた枯れ葉で作ったもの。
腐葉土を作ったのは初めてで、いつか植え込みに使いたいなぁ、と、思っていたけど、先に牡丹とか球根を植えていたこともあって、掘り返すわけにもいかず、使わずにおいてあった。
かなりの量があったし、植え込みに混ぜても大丈夫かいまいち心配でもあってためらってたんだけど、今の土のままよりいいだろう、と思えた。
作業してて、そういえば、はじめて植え込みを掃除したとき、やっぱり土がひどくて、腐葉土を何袋か買ってまいたよなー、と、思い出した。
すっかり忘れてた。
植え込みの掃除をしたときも、あー、そういえば二年前同じようなことをやったよなー、と思ったけど、今回も、あー、同じことやってたー、って思った。
忘れてるもんだなぁ。
そんなこんなで大きい石をどかしつつ、腐葉土をまぜまぜすること約二時間。
すごいいい感じ、というわけではないけど、まー、少しはマシかなと思えて、たねを植えることができた。
昨日今日と暑かったこともあって、土がぱさぱさだったので、たっぷり水もまく。
水まきしながら、あー、おととしはこうやって水まいてたなー、と思う。
去年は仕事を始めたこともあったし、できる掃除はしたし、植えるものは植えてたから、あまり植え込みに手間をかけてなかった。
今回、色々やってみて、植え込みに少し愛着が戻ってきた。
やっぱり庭が好きなんだなー、自分。
さてさて、種たちはどうなるかなー。
理由はわかってて、植え込みの土が砂利だらけで嫌だったから。
去年の工事でそうなっちゃって、まいったなーと思って、そのことも植え込みに手を入れたり、なにかを植える気になれなかった理由の一つ。
先週、草取りはしたけど、土はそのままだった。
どーしていいかわからなかったから。
せっかくたねをかったし、はやくうえたいんだけど、うーん、というのが先週。
今日は仕事が休みだったこともあって、まぁ、とりあえず少しスコップで掘り返して、そこにたねだけまこう、とやりはじめたら、やっぱりひどくて、あれこれ試行錯誤するなかで、やっぱり土をなんとかしたくなって、えいやっと思い切ってベランダにある腐葉土を混ぜることにした。
この腐葉土、二年前の秋、多摩川や桜坂、その他いくつかの場所から拾ってきた枯れ葉で作ったもの。
腐葉土を作ったのは初めてで、いつか植え込みに使いたいなぁ、と、思っていたけど、先に牡丹とか球根を植えていたこともあって、掘り返すわけにもいかず、使わずにおいてあった。
かなりの量があったし、植え込みに混ぜても大丈夫かいまいち心配でもあってためらってたんだけど、今の土のままよりいいだろう、と思えた。
作業してて、そういえば、はじめて植え込みを掃除したとき、やっぱり土がひどくて、腐葉土を何袋か買ってまいたよなー、と、思い出した。
すっかり忘れてた。
植え込みの掃除をしたときも、あー、そういえば二年前同じようなことをやったよなー、と思ったけど、今回も、あー、同じことやってたー、って思った。
忘れてるもんだなぁ。
そんなこんなで大きい石をどかしつつ、腐葉土をまぜまぜすること約二時間。
すごいいい感じ、というわけではないけど、まー、少しはマシかなと思えて、たねを植えることができた。
昨日今日と暑かったこともあって、土がぱさぱさだったので、たっぷり水もまく。
水まきしながら、あー、おととしはこうやって水まいてたなー、と思う。
去年は仕事を始めたこともあったし、できる掃除はしたし、植えるものは植えてたから、あまり植え込みに手間をかけてなかった。
今回、色々やってみて、植え込みに少し愛着が戻ってきた。
やっぱり庭が好きなんだなー、自分。
さてさて、種たちはどうなるかなー。
ひさびさの即興ダンスワークショップ [いま、ここ、わたし]
ちょっとの懐かしさと、ちょっとの新しさと、きらくさと、そのままでいること。
自分の考えで動くのではなく、風にまかせて流れていく雲のように、力を抜いてまわりを感じながら体が動くことにまかせること。
そうだなぁ。
2016年5月にはじめていったときからあまり緊張しなかったし、それは今も変わらないけど、それでもこの6年間で少しだけ感じ方が変わってるようにも思った。
これが当たり前になった、のかな。
今の職場で働き出したときも、あー、これは即興ダンスと同じだなー、その経験が役に立つなー、って思ったし、実際そうだと思う。
まだ力が入ったり、思い込みで動くことはたくさんあるけど、それでも少しづつ雲のようにいられるようになってきてる気がする。
変わっていくことって自然なんだよなー。
またいこー。
自分の考えで動くのではなく、風にまかせて流れていく雲のように、力を抜いてまわりを感じながら体が動くことにまかせること。
そうだなぁ。
2016年5月にはじめていったときからあまり緊張しなかったし、それは今も変わらないけど、それでもこの6年間で少しだけ感じ方が変わってるようにも思った。
これが当たり前になった、のかな。
今の職場で働き出したときも、あー、これは即興ダンスと同じだなー、その経験が役に立つなー、って思ったし、実際そうだと思う。
まだ力が入ったり、思い込みで動くことはたくさんあるけど、それでも少しづつ雲のようにいられるようになってきてる気がする。
変わっていくことって自然なんだよなー。
またいこー。
夜勤終わり [いま、ここ、わたし]
今日の夜勤がおわった。
棚卸し業務は二回目ということもあって、一緒にやる社員の人も工夫してくれて、思ったよりスムーズに進み、いいかんじでおわりましたねー、って気楽に話せた。
マネージャーも私に気を使っているのか飲み物の差し入れがおいてあったし、そういえば前回もお菓子の差し入れがあったっけ。
棚卸しは20時からで、それまで結構時間があるんだけど、冷凍庫でがちがちに凍っている氷を割ったり、商品をのせるトレイを整理したり、普段なかなかできないことをやったりして、それはそれですっきりはした。
棚卸ししてたら、「おー、元気かー」って話しかけてきたおじさんがいて、だれだろーっと振り返ったら、いつも夜勤で入っていた他の人と間違ったらしく、「あ、ごめんなさい 人違いでした」と言われる。
その夜勤の人は、先月脳溢血で倒れてしまって今も入院中。
話しかけてきたその人は、「電話しても通じないんだ」と言っていて、他の人から入院してることは聞いてたみたいだけど、退院してきたんだと思って私に話しかけてきたとのこと。
魚の調理の仕方を教えてもらったことがきっかけで友達になって、お酒を一緒に飲んだりもしてたし、連絡が取れないことがとても悲しい、と話してくれた。
家は知らないし、会うことができないのが辛い、とも。
スーパーで働いてるとお客さんに声をかけられることはよくあって、同じ時間によく来るひととか、とても気さくに話してくるひとだとか、なんとなく知り合いになった気分になる。
そういうの自分は嫌いじゃなくて、だから売場に出てる時間は好き。
自分も住んでいる場所だし、こうやって、ゆっくりと知り合っていくこともあるのかなぁ、と思う。
話しかけてくれたおじさんの話を聞いて、ああ、やっぱりそういうこともあるんだな、って思えて、今日夜勤に行ってよかったな、と思う。
なにがおこるかなんて、さきまわりわかんないもんだよなー。
棚卸し業務は二回目ということもあって、一緒にやる社員の人も工夫してくれて、思ったよりスムーズに進み、いいかんじでおわりましたねー、って気楽に話せた。
マネージャーも私に気を使っているのか飲み物の差し入れがおいてあったし、そういえば前回もお菓子の差し入れがあったっけ。
棚卸しは20時からで、それまで結構時間があるんだけど、冷凍庫でがちがちに凍っている氷を割ったり、商品をのせるトレイを整理したり、普段なかなかできないことをやったりして、それはそれですっきりはした。
棚卸ししてたら、「おー、元気かー」って話しかけてきたおじさんがいて、だれだろーっと振り返ったら、いつも夜勤で入っていた他の人と間違ったらしく、「あ、ごめんなさい 人違いでした」と言われる。
その夜勤の人は、先月脳溢血で倒れてしまって今も入院中。
話しかけてきたその人は、「電話しても通じないんだ」と言っていて、他の人から入院してることは聞いてたみたいだけど、退院してきたんだと思って私に話しかけてきたとのこと。
魚の調理の仕方を教えてもらったことがきっかけで友達になって、お酒を一緒に飲んだりもしてたし、連絡が取れないことがとても悲しい、と話してくれた。
家は知らないし、会うことができないのが辛い、とも。
スーパーで働いてるとお客さんに声をかけられることはよくあって、同じ時間によく来るひととか、とても気さくに話してくるひとだとか、なんとなく知り合いになった気分になる。
そういうの自分は嫌いじゃなくて、だから売場に出てる時間は好き。
自分も住んでいる場所だし、こうやって、ゆっくりと知り合っていくこともあるのかなぁ、と思う。
話しかけてくれたおじさんの話を聞いて、ああ、やっぱりそういうこともあるんだな、って思えて、今日夜勤に行ってよかったな、と思う。
なにがおこるかなんて、さきまわりわかんないもんだよなー。
「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」東畑開人 [いま、ここ、わたし]
おとつい図書館に予約してた本が来たとのメールがきたので、とりにいったら、なぜか2冊の本を渡された。
あれ?とおもったら、もう一冊は東畑開人さんの「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」で、そういえばずいぶん前に予約して、でも全部貸出中で借りられなくて、予約してたことを忘れてた。
今日、ベランダの掃除が終わって、ぼーっとしてて、橋本治さんの本でも読もうかなーって思ったんだけど、なんとなく東畑さんのこの本を読み始めた。
東畑さんの本は「居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書」と「心はどこへ消えた?」を読んでて好きなんだけど、この本を読み始めたら、嫌な気持ちが湧いてきて、あれあれ?と思う。
前読んだ二冊はエッセイだったけど、今回は具体的なカウンセリングの話で、こーしなさい、あーしなさい、って言われてる感じがして、なにかに従うのがすごい嫌な今の自分にはあわないのかもなー、と思いつつ、それでも、もうちょっと、と思って読みすすめた。
第二章に、他人はわかってくれないから話さない、なにか決めるのも話さないで一人で決める、みたいな人の例が出てきて、あー、自分もそうだなーって思う。
よく兄貴には「お前は本当に家族に相談しない」って言われてて、実際、高校の進学もコンピューターの専門学校に行くことも、東京に出てくることも、勝手に決めて、勝手にやってきた。
それはたしかに、他人はわかってくれない、って思っていたから。
話しても否定され、拒否される、という気持ちが強いから。
同性が好きだ、ということも、わかってくれるはずはないと諦めてたから、ずっと誰にもはなす気になれなかった。
この本を読みながら、あー、まだそういう気持ちあるなー、話すの怖いんもんなー、って思う。
他人にあれこれ言われることを嫌に思う気持ちを感じながら、その上で、ひとにすなおに話せるようになっていきたいよなー、とも思う。
こころだけが見つからない、か。
うん。
最後まで読んでみよう。
あれ?とおもったら、もう一冊は東畑開人さんの「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」で、そういえばずいぶん前に予約して、でも全部貸出中で借りられなくて、予約してたことを忘れてた。
今日、ベランダの掃除が終わって、ぼーっとしてて、橋本治さんの本でも読もうかなーって思ったんだけど、なんとなく東畑さんのこの本を読み始めた。
東畑さんの本は「居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書」と「心はどこへ消えた?」を読んでて好きなんだけど、この本を読み始めたら、嫌な気持ちが湧いてきて、あれあれ?と思う。
前読んだ二冊はエッセイだったけど、今回は具体的なカウンセリングの話で、こーしなさい、あーしなさい、って言われてる感じがして、なにかに従うのがすごい嫌な今の自分にはあわないのかもなー、と思いつつ、それでも、もうちょっと、と思って読みすすめた。
第二章に、他人はわかってくれないから話さない、なにか決めるのも話さないで一人で決める、みたいな人の例が出てきて、あー、自分もそうだなーって思う。
よく兄貴には「お前は本当に家族に相談しない」って言われてて、実際、高校の進学もコンピューターの専門学校に行くことも、東京に出てくることも、勝手に決めて、勝手にやってきた。
それはたしかに、他人はわかってくれない、って思っていたから。
話しても否定され、拒否される、という気持ちが強いから。
同性が好きだ、ということも、わかってくれるはずはないと諦めてたから、ずっと誰にもはなす気になれなかった。
この本を読みながら、あー、まだそういう気持ちあるなー、話すの怖いんもんなー、って思う。
他人にあれこれ言われることを嫌に思う気持ちを感じながら、その上で、ひとにすなおに話せるようになっていきたいよなー、とも思う。
こころだけが見つからない、か。
うん。
最後まで読んでみよう。
ベランダの植物を整える [いま、ここ、わたし]
植え込みに続いて、ベランダの植物たちを整える。
ベランダも今年に入ってから掃除とかしてなくて、それは植え込みから無理やり持ってきた牡丹や球根たちが所狭しと並んでて、なにをどうするにも手がつけられない感じがしてたから。
でも、植え込みに牡丹や球根を戻すなら、このごちゃごちゃをなんとか整理して、牡丹も芽かきとかして、今後に備えたい気持ちが湧いてきたから、えいやっと、はじめてみた。
ほんとに空いてる場所がなくて、どうにもこうにもできなくて、最初は、うーん、、、って唸ってたんだけど、ちょっとひらめきがあってやりだしたら、なんとか進み始め、それっぽい感じに整えることができた。
本当にごちゃごちゃだったベランダが、久々にスッキリして嬉しい。
なんとかなるもんだねぇ。
牡丹や球根は秋に植え込みに移すつもり。
そんな感じできれいになったベランダを、ぼーっとみてたら、たまに話しかけてくれる93歳の近所のおばあちゃんが話しかけてきた。
近所のゴミ事情のことや、生活のこと、体調のこと、花が咲いててきれい(いまは白いあじさいが咲いてる)だって話とか、色々話してくれた。
「長生きなんてするもんじゃないわ。知り合いはほとんど死んじゃったし寂しいよ」
「若くて体調が良いうちに思いっきり楽しむのよ」
そんなことも話してくれた。
ベランダ掃除してよかったなー。
疲れてても気になってることをやれると気持ちいいな。
ベランダも今年に入ってから掃除とかしてなくて、それは植え込みから無理やり持ってきた牡丹や球根たちが所狭しと並んでて、なにをどうするにも手がつけられない感じがしてたから。
でも、植え込みに牡丹や球根を戻すなら、このごちゃごちゃをなんとか整理して、牡丹も芽かきとかして、今後に備えたい気持ちが湧いてきたから、えいやっと、はじめてみた。
ほんとに空いてる場所がなくて、どうにもこうにもできなくて、最初は、うーん、、、って唸ってたんだけど、ちょっとひらめきがあってやりだしたら、なんとか進み始め、それっぽい感じに整えることができた。
本当にごちゃごちゃだったベランダが、久々にスッキリして嬉しい。
なんとかなるもんだねぇ。
牡丹や球根は秋に植え込みに移すつもり。
そんな感じできれいになったベランダを、ぼーっとみてたら、たまに話しかけてくれる93歳の近所のおばあちゃんが話しかけてきた。
近所のゴミ事情のことや、生活のこと、体調のこと、花が咲いててきれい(いまは白いあじさいが咲いてる)だって話とか、色々話してくれた。
「長生きなんてするもんじゃないわ。知り合いはほとんど死んじゃったし寂しいよ」
「若くて体調が良いうちに思いっきり楽しむのよ」
そんなことも話してくれた。
ベランダ掃除してよかったなー。
疲れてても気になってることをやれると気持ちいいな。
明日はいやな夜勤 [いま、ここ、わたし]
夜勤といっても17:30~21:30の間。
やだなー、って思う。
もともと勤務時間としては午前から13時までで申請してたのに、先月からなんの相談もなくこの時間のシフトを月一回、入れられた。
これなんですか?ってマネージャーに聞いたら、棚卸しをやってほしい、とのこと。
今までは業者に頼んでいた棚卸しを従業員でやることになったそうで、それをやる係にされたんだ。
事前に相談があればまだしも、勝手に決められて、やだなーって思う。
やだやだー。
先月も当日すごーいやな気持ちになって、まぁなんとか行ってやりはしたけど、すっきりはしなかった。
新しいことだったり、へー、って思うことがないわけではないけど、それでも、やだ。
マネージャーは、自分は家が遠くて終わる時間までやると深夜勤務になっちゃってコストが上がるからできない、って言ってたけど、そんなのしらねーよ。
家が近いってのは、こういうとき裏目にでるなー。
はー。
やだなー、って思う。
もともと勤務時間としては午前から13時までで申請してたのに、先月からなんの相談もなくこの時間のシフトを月一回、入れられた。
これなんですか?ってマネージャーに聞いたら、棚卸しをやってほしい、とのこと。
今までは業者に頼んでいた棚卸しを従業員でやることになったそうで、それをやる係にされたんだ。
事前に相談があればまだしも、勝手に決められて、やだなーって思う。
やだやだー。
先月も当日すごーいやな気持ちになって、まぁなんとか行ってやりはしたけど、すっきりはしなかった。
新しいことだったり、へー、って思うことがないわけではないけど、それでも、やだ。
マネージャーは、自分は家が遠くて終わる時間までやると深夜勤務になっちゃってコストが上がるからできない、って言ってたけど、そんなのしらねーよ。
家が近いってのは、こういうとき裏目にでるなー。
はー。
即興ダンスの夢をみた [いま、ここ、わたし]
今朝、即興ダンスをやってる夢をみて起きた。
それはいつも通っているダンスの場所とは違ってて、周りは外国の人で言葉は通じないし、初めて参加してるみたいな感覚だった。
最初の何回かは全然うまくできなくて、ひとりで迷って、試行錯誤するけど、なんかしっくりこなかった。
でも、最後にみんなと踊りだしたとき、もういいや、って思って、開き直って好き勝手に踊りだしたら、周りの人が笑顔になって、自分も楽しくなって、気持ちよく踊ってたところで目が覚めた。
目が覚めて、ぼーっとしながら、いろいろふりかえる。
うまくいかない感じ、必死な感じ、開き直って適当にやって楽しくなる感じ、周りの人の楽しそうな笑顔。
そういえば、今年に入ってから、ほとんど即興ダンスのワークショップには行ってなくて、お金のこともあるし、行こう、という気にならなかった。
でも、この夢を見て、ああ、ひさびさに行ってみたいな、と思った。
ちょうど今度の土曜日、ワークショップがあるメールが来てたから、行きます、と返信。
開き直ってやれたら楽しいかなー。夢のときみたいに。
それはいつも通っているダンスの場所とは違ってて、周りは外国の人で言葉は通じないし、初めて参加してるみたいな感覚だった。
最初の何回かは全然うまくできなくて、ひとりで迷って、試行錯誤するけど、なんかしっくりこなかった。
でも、最後にみんなと踊りだしたとき、もういいや、って思って、開き直って好き勝手に踊りだしたら、周りの人が笑顔になって、自分も楽しくなって、気持ちよく踊ってたところで目が覚めた。
目が覚めて、ぼーっとしながら、いろいろふりかえる。
うまくいかない感じ、必死な感じ、開き直って適当にやって楽しくなる感じ、周りの人の楽しそうな笑顔。
そういえば、今年に入ってから、ほとんど即興ダンスのワークショップには行ってなくて、お金のこともあるし、行こう、という気にならなかった。
でも、この夢を見て、ああ、ひさびさに行ってみたいな、と思った。
ちょうど今度の土曜日、ワークショップがあるメールが来てたから、行きます、と返信。
開き直ってやれたら楽しいかなー。夢のときみたいに。
花の種を買う [いま、ここ、わたし]
散歩でいつもと違う道を通ってたら、スーパーの植物売場が目に入ったので、寄り道。
売場をうろうろしながら、ばくぜんと花の苗たちをながめて、やっぱり高いなー、と思う。
この前の月曜日、行ってみたかった花屋に行ったときも、日々草やマリーゴールドがいいなー、と思ったけど、ほしい分だけ買うと高いし、でも金額で決めちゃうとすごい少なくて寂しいなー、って思って、結局買わずに帰った。
今日、多摩川を散歩しながら、そういえば自分は切り花や苗よりも、球根や種から育てるのが好きだよなー、花は好きだけど、どっちかというと育っていく過程を見ることが好きだし、花が咲くのはひとつの通過点みたいなものだよなー、って思い返してた。
だから、スーパーの苗の売場を通り過ぎて種を見に行ったら、ちょうど日々草とマリーゴールドの種が売ってて、値段も買える範囲だったから、あー、これでいくかー、と思って買ってきた。
ふふふ。
種まきとしては時期的には少し遅いけど、植物はたくましいから大丈夫だろー。
今度の金曜日でもまこうかなー。
昨日、今日ときれいになった植え込みを見ながら、やっぱりなにかしたいよなー、って思ってたから、一歩すすめて嬉しい。
それと、やっぱり牡丹と球根も植え込みに戻そうかと思ってる。
特に牡丹はちょっと無理やり感はでるけど、植え込みを見ながら、まったく植えられないわけではない感じがしてきてる。
新しくきたツツジやつる植物と一緒に楽しくやっていきたいなー。
これが新しいスタートだなー。
売場をうろうろしながら、ばくぜんと花の苗たちをながめて、やっぱり高いなー、と思う。
この前の月曜日、行ってみたかった花屋に行ったときも、日々草やマリーゴールドがいいなー、と思ったけど、ほしい分だけ買うと高いし、でも金額で決めちゃうとすごい少なくて寂しいなー、って思って、結局買わずに帰った。
今日、多摩川を散歩しながら、そういえば自分は切り花や苗よりも、球根や種から育てるのが好きだよなー、花は好きだけど、どっちかというと育っていく過程を見ることが好きだし、花が咲くのはひとつの通過点みたいなものだよなー、って思い返してた。
だから、スーパーの苗の売場を通り過ぎて種を見に行ったら、ちょうど日々草とマリーゴールドの種が売ってて、値段も買える範囲だったから、あー、これでいくかー、と思って買ってきた。
ふふふ。
種まきとしては時期的には少し遅いけど、植物はたくましいから大丈夫だろー。
今度の金曜日でもまこうかなー。
昨日、今日ときれいになった植え込みを見ながら、やっぱりなにかしたいよなー、って思ってたから、一歩すすめて嬉しい。
それと、やっぱり牡丹と球根も植え込みに戻そうかと思ってる。
特に牡丹はちょっと無理やり感はでるけど、植え込みを見ながら、まったく植えられないわけではない感じがしてきてる。
新しくきたツツジやつる植物と一緒に楽しくやっていきたいなー。
これが新しいスタートだなー。
疲れたー [いま、ここ、わたし]
なんか、やり過ぎなんだろうなー、と思う。
散歩の距離ふやしたり、植え込み掃除したり、仕事でもちょっと無理したり。
なんだろーなー。
特に今日、仕事で「もし余裕があったら、後でこれやってほしい」って言われて、ちょっと無理してやっちゃったんだけど、あんまり余裕なかったんだから、そこまでやる必要ないんだよなー。
前にもその人は仕事で「そこまで頑張らなくていいですよー」って言ってくれたのに、またやっちゃった。
気に入られたいのか?とも考えたけど、これをやるとこうなる、やったほうがいい、できそう、っていう風に思うと、無理してもついついやりたくなっちゃう、って感じがある。
普段の生活でもそうなんだけど、やっちゃえばすっきりすることは、やっちゃいたくなっちゃう。
やってないとそのことについていつまでも考えちゃうから。
やっちゃえばそれで終わりだから楽。
でもなー、それが続くと疲れるし、結果としてやること増えちゃうんだよなー。
散歩も川崎まで歩くのはやりたいなーって思ってたし、気楽に安定してできる気分になりたかったから、慣れるためにここ二週間ぐらいちょいちょい行ってたんだけど、遠いし足も痛くなったりしてるんだよなー。
まー、やらないとわからない、ってのはあるから、やるのはいいんだけど、疲れてるってことはやりすぎなんだろーなー。
池袋でのボランティアもそうだったけど、つい無理しちゃうんだよなー。
来週月曜日は大田区の社会福祉協議会のボランティアもあるし、今週は少し休んだほうがいいかも知れないなー。
やったほうがいいことなんて、どこまでやっても減らないもんな。
散歩の距離ふやしたり、植え込み掃除したり、仕事でもちょっと無理したり。
なんだろーなー。
特に今日、仕事で「もし余裕があったら、後でこれやってほしい」って言われて、ちょっと無理してやっちゃったんだけど、あんまり余裕なかったんだから、そこまでやる必要ないんだよなー。
前にもその人は仕事で「そこまで頑張らなくていいですよー」って言ってくれたのに、またやっちゃった。
気に入られたいのか?とも考えたけど、これをやるとこうなる、やったほうがいい、できそう、っていう風に思うと、無理してもついついやりたくなっちゃう、って感じがある。
普段の生活でもそうなんだけど、やっちゃえばすっきりすることは、やっちゃいたくなっちゃう。
やってないとそのことについていつまでも考えちゃうから。
やっちゃえばそれで終わりだから楽。
でもなー、それが続くと疲れるし、結果としてやること増えちゃうんだよなー。
散歩も川崎まで歩くのはやりたいなーって思ってたし、気楽に安定してできる気分になりたかったから、慣れるためにここ二週間ぐらいちょいちょい行ってたんだけど、遠いし足も痛くなったりしてるんだよなー。
まー、やらないとわからない、ってのはあるから、やるのはいいんだけど、疲れてるってことはやりすぎなんだろーなー。
池袋でのボランティアもそうだったけど、つい無理しちゃうんだよなー。
来週月曜日は大田区の社会福祉協議会のボランティアもあるし、今週は少し休んだほうがいいかも知れないなー。
やったほうがいいことなんて、どこまでやっても減らないもんな。
植え込みの掃除をする [いま、ここ、わたし]
今年入ってから初めて家の前の植え込みの掃除をした。
もくもくと草を取る2時間。つかれたー。
去年の秋、植え込み周りの工事があって、植えてた牡丹や球根を全部ベランダに移さないといけなくなった。
悲しかったし、通りすがりに「きれいですね。通るたびに楽しみにしてます」って言ってくれる人もいたから、すごい残念だった。
工事後、ガードレールやブロックなどが取り替えられ、きれいになり、植え込みには新しいつる植物とツツジが植えられた。
ツツジが結構大きくて、あーもーなにも植えられないなー、って思ってた。
だから、草がぼーぼーに生えてきて気になってても、掃除をするところまでは気持ちが動かなかった。
それに、ツツジがちょっと咲いたり(ほんとにちょっとだけ)、つる植物も小さい花をつけたりもした(ほんとに小さいけど)から、まーこのままでもいいのかなー、とも思ったりもした。
お金もないし、苗を買ったりするのも厳しいな、とも思ったりして。
それでも、ずっと気にはなってて、今朝、食料の買い出しをした後、ぼんやりと、あー、やっぱりやるかー、ちょっとだけでもー、と思ってやり始めた。
まぁ、自分でも予想はしてたけど、ちょっとじゃすまなくて、やり始めたらやっちゃいたい気持ちが強く、結局、45Lのゴミ袋4袋分の雑草をとった。
腰も痛くなって、すごい疲れてるのが、今。
やってて思い出したのは、一番最初に植え込みの掃除を始めた時も、なにかを植えようと思ったんじゃなくて、あまりにごちゃごちゃと草やゴミがあったから、きれいにしたかっただけだった。
今回も同じような気持ちでやったことになる。
あ、でも、春に朝顔の種だけは植えたんだ。
去年咲いた朝顔から取った種がたくさんあったから、ツル植物の脇にとりあえず撒いた。
その種たちは元気に育ってきてて、新しいカードレールにくるくる巻き付いてる。
早いやつは咲き始めてもいる。
せっかく朝顔が出てきてるのに、そのままにしとくのも嫌だなーとも思ったんだった。
のびのびと育つ朝顔が、ねー、のびてきたよー、って話しかけて来てる感じがあってさ。
大きい雑草とかも生えてきてて道幅を狭くしてたし。
ジョギングする人も通るからね。
雑草とったら、なにか気分が変わるかなぁ、どうかなぁ、とも思ってた。
そういえば二子玉川の先に行ってみたい花屋さんがあるんだよなぁ。遠いけど。
そこでぼんやり眺めて、安~い日々草でも買って、植え込みに2つづつぐらい植えたら、それだけでも嬉しいかもなー。
そんな気持ちに、今、なってる。疲れながら。
花が咲いてるのって好きなんだよな。
そこに理屈はないんだ。
ただ好き。
もくもくと草を取る2時間。つかれたー。
去年の秋、植え込み周りの工事があって、植えてた牡丹や球根を全部ベランダに移さないといけなくなった。
悲しかったし、通りすがりに「きれいですね。通るたびに楽しみにしてます」って言ってくれる人もいたから、すごい残念だった。
工事後、ガードレールやブロックなどが取り替えられ、きれいになり、植え込みには新しいつる植物とツツジが植えられた。
ツツジが結構大きくて、あーもーなにも植えられないなー、って思ってた。
だから、草がぼーぼーに生えてきて気になってても、掃除をするところまでは気持ちが動かなかった。
それに、ツツジがちょっと咲いたり(ほんとにちょっとだけ)、つる植物も小さい花をつけたりもした(ほんとに小さいけど)から、まーこのままでもいいのかなー、とも思ったりもした。
お金もないし、苗を買ったりするのも厳しいな、とも思ったりして。
それでも、ずっと気にはなってて、今朝、食料の買い出しをした後、ぼんやりと、あー、やっぱりやるかー、ちょっとだけでもー、と思ってやり始めた。
まぁ、自分でも予想はしてたけど、ちょっとじゃすまなくて、やり始めたらやっちゃいたい気持ちが強く、結局、45Lのゴミ袋4袋分の雑草をとった。
腰も痛くなって、すごい疲れてるのが、今。
やってて思い出したのは、一番最初に植え込みの掃除を始めた時も、なにかを植えようと思ったんじゃなくて、あまりにごちゃごちゃと草やゴミがあったから、きれいにしたかっただけだった。
今回も同じような気持ちでやったことになる。
あ、でも、春に朝顔の種だけは植えたんだ。
去年咲いた朝顔から取った種がたくさんあったから、ツル植物の脇にとりあえず撒いた。
その種たちは元気に育ってきてて、新しいカードレールにくるくる巻き付いてる。
早いやつは咲き始めてもいる。
せっかく朝顔が出てきてるのに、そのままにしとくのも嫌だなーとも思ったんだった。
のびのびと育つ朝顔が、ねー、のびてきたよー、って話しかけて来てる感じがあってさ。
大きい雑草とかも生えてきてて道幅を狭くしてたし。
ジョギングする人も通るからね。
雑草とったら、なにか気分が変わるかなぁ、どうかなぁ、とも思ってた。
そういえば二子玉川の先に行ってみたい花屋さんがあるんだよなぁ。遠いけど。
そこでぼんやり眺めて、安~い日々草でも買って、植え込みに2つづつぐらい植えたら、それだけでも嬉しいかもなー。
そんな気持ちに、今、なってる。疲れながら。
花が咲いてるのって好きなんだよな。
そこに理屈はないんだ。
ただ好き。
川崎まで歩く。ここはオホーツク [いま、ここ、わたし]
先週ぐらいから多摩川沿いを川崎まで歩いてて往復で4時間ちょっと。
仕事のあとだったりもして、かなり疲れるんだけど、それはそれでいい感じもしてて、川崎の街の中や競馬場の近くを歩くのが好き。
六郷土手も気持ちがいい。
散歩の習慣ができて二年ぐらい。
川崎まで歩くと、その最初の頃の疲れ具合が戻ってくる感じがあって、あー、最初は短い距離でもすごい疲れたし、歩いた感じがしてたなー、って思う。
散歩の前半はアレコレ考えながら歩いてても、後半疲れてくるとどーでもよくなったりして、それがなんかいい感じがしてる。
北海道から帰ってきてから、ここはオホーツクだ、っていう言葉が湧いてきてて、それをつぶやいたりもしてる。
ラゾーナ川崎にある「北海道うまいもの館」に立ち寄ると、なんか涙が出そうになったりもする。
懐かしいの?とか、北海道に帰りたいの?とか、自分に問いかけたりするけど、どれもいまいちピンとこなくて、いまだにこの気持ちがなんなのかわかってない。
実家を出て帰る時、仏壇の前で鐘をならして、おばあちゃん、父さん、兄貴に、挨拶っぽいことをしたんだけど、その時、ものすごいビビビって感覚があって、それもなんなのかわかっていない。
帰るな、ここにいろ、ってことかな?と思ったりもしたけど、なんか違う気がしてる。
でも、その衝撃は強烈だったから、なにかあるんだとは思う。なんだろなぁ。
実家に帰って仏壇に座ったのはその帰る時だけだったから、もし家についたときだったら、どーだったのかなー、おなじインパクトあったのかなー、とか思ったりもしてる。
ここはオホーツク。
なぜか紋別じゃないんだよなぁ。北海道でもない。
あくまでオホーツク。
仕事のあとだったりもして、かなり疲れるんだけど、それはそれでいい感じもしてて、川崎の街の中や競馬場の近くを歩くのが好き。
六郷土手も気持ちがいい。
散歩の習慣ができて二年ぐらい。
川崎まで歩くと、その最初の頃の疲れ具合が戻ってくる感じがあって、あー、最初は短い距離でもすごい疲れたし、歩いた感じがしてたなー、って思う。
散歩の前半はアレコレ考えながら歩いてても、後半疲れてくるとどーでもよくなったりして、それがなんかいい感じがしてる。
北海道から帰ってきてから、ここはオホーツクだ、っていう言葉が湧いてきてて、それをつぶやいたりもしてる。
ラゾーナ川崎にある「北海道うまいもの館」に立ち寄ると、なんか涙が出そうになったりもする。
懐かしいの?とか、北海道に帰りたいの?とか、自分に問いかけたりするけど、どれもいまいちピンとこなくて、いまだにこの気持ちがなんなのかわかってない。
実家を出て帰る時、仏壇の前で鐘をならして、おばあちゃん、父さん、兄貴に、挨拶っぽいことをしたんだけど、その時、ものすごいビビビって感覚があって、それもなんなのかわかっていない。
帰るな、ここにいろ、ってことかな?と思ったりもしたけど、なんか違う気がしてる。
でも、その衝撃は強烈だったから、なにかあるんだとは思う。なんだろなぁ。
実家に帰って仏壇に座ったのはその帰る時だけだったから、もし家についたときだったら、どーだったのかなー、おなじインパクトあったのかなー、とか思ったりもしてる。
ここはオホーツク。
なぜか紋別じゃないんだよなぁ。北海道でもない。
あくまでオホーツク。
あと、そうそう [いま、ここ、わたし]
なにかやってると、焦る、ってのがある。
特にスーパーの仕事で気づくことが多いんだけど、ちょっとでも予定や想像と違うことが起こると、軽くパニックになる。
そうなると、手早くやろうとしてさらに失敗したりする。
なにか手違いがあっても、たんたんとやれば終わるんだけど、なんでかそうなる。
怒られる、怖い、って感じてる気がしてるけど、よくはわからない。
今は、あー焦ってるなー、怖いのかなー、怒られるって思ってるのかなー、って自分の気持ちを感じながら、やってる。
特に落ち着かせようともしないでね。
それと、勝手になにかやる、ってのも、怒られる感じがしてやりにくい。
自分がぱっと思いついたこととか、こうすればいいんじゃない?、って思うことを、すぐそのままやれない。
頭で考えて、おかしいところがないか、ほんとにいいのか、って考えるから、なかなか手が動かない。
ぱぱっとやっちゃえばそれでいいのになー、って思うんだけど、そうなる。
その辺は、いま、ぱぱっとやっちゃうようにしてる。
失敗しても、なんとかなるし、やっちゃえよー、って自分に言ってる。
特にスーパーの仕事で気づくことが多いんだけど、ちょっとでも予定や想像と違うことが起こると、軽くパニックになる。
そうなると、手早くやろうとしてさらに失敗したりする。
なにか手違いがあっても、たんたんとやれば終わるんだけど、なんでかそうなる。
怒られる、怖い、って感じてる気がしてるけど、よくはわからない。
今は、あー焦ってるなー、怖いのかなー、怒られるって思ってるのかなー、って自分の気持ちを感じながら、やってる。
特に落ち着かせようともしないでね。
それと、勝手になにかやる、ってのも、怒られる感じがしてやりにくい。
自分がぱっと思いついたこととか、こうすればいいんじゃない?、って思うことを、すぐそのままやれない。
頭で考えて、おかしいところがないか、ほんとにいいのか、って考えるから、なかなか手が動かない。
ぱぱっとやっちゃえばそれでいいのになー、って思うんだけど、そうなる。
その辺は、いま、ぱぱっとやっちゃうようにしてる。
失敗しても、なんとかなるし、やっちゃえよー、って自分に言ってる。
散歩散歩散歩 [いま、ここ、わたし]
とにかく歩いてる。
今日は仕事の分も含めて3万歩歩いた。
さすがに疲れたけど体が疲れることで頭が楽になる感じもあるから悪くはない。
北海道から帰ってきて5月6月と改めていままでの自分と向き合ってる感じがあって、それは主に人に気を使う自分についてで、それは自分を捨ててる面も強くて、いままで思ったより辛かったんだろうな、と感じてる。
その辛さ自体、わからないようにしてきてるから、なかなか気づけなくて、ややこしい。
あと、なにかに従うのは基本的に嫌いなんだな、とも思ってる。
あえて言葉にすれば、これからの自分は人から嫌われてもいい、怒られてもいい、あくまで自分のままでいく、という感じになっていくのかもしれないけど、あまりイメージはできてない。
今までの自分と違いすぎるんだよな。
でも、そうしたい気持ちがある感じがしてる。
さー、どーなってくのかな。
変にあおらず、ゆっくり行きたい。
今日は仕事の分も含めて3万歩歩いた。
さすがに疲れたけど体が疲れることで頭が楽になる感じもあるから悪くはない。
北海道から帰ってきて5月6月と改めていままでの自分と向き合ってる感じがあって、それは主に人に気を使う自分についてで、それは自分を捨ててる面も強くて、いままで思ったより辛かったんだろうな、と感じてる。
その辛さ自体、わからないようにしてきてるから、なかなか気づけなくて、ややこしい。
あと、なにかに従うのは基本的に嫌いなんだな、とも思ってる。
あえて言葉にすれば、これからの自分は人から嫌われてもいい、怒られてもいい、あくまで自分のままでいく、という感じになっていくのかもしれないけど、あまりイメージはできてない。
今までの自分と違いすぎるんだよな。
でも、そうしたい気持ちがある感じがしてる。
さー、どーなってくのかな。
変にあおらず、ゆっくり行きたい。