確定申告をがんばったご褒美 [いま、ここ、わたし]
やらなきゃなぁと思ってた確定申告を済ませました。
がんばった!
ということで、ご褒美に桃の花を買いました。
きれいな桃色。
幸せ。
つぼみが沢山。
つぼみは「これから咲くよぉ」って感じがして大好きです。
がんばった!
ということで、ご褒美に桃の花を買いました。
きれいな桃色。
幸せ。
つぼみが沢山。
つぼみは「これから咲くよぉ」って感じがして大好きです。
春近し [いま、ここ、わたし]
東京は、日中のおひさまが少しづつ暖かくなってきました。
写真は自宅のクロッカス。
ちょっと前に蕾を見つけたと思ったら、今朝2つも咲いてました。
嬉しいなぁ。
吉本隆明とマルクス [いま、ここ、わたし]
去年、本を大量に処分しました。
自分が好きだった本、大切に感じた本だから残してあったわけですが、それがいつの間にか執着みたいになってる気がして、思い切ってほとんど売ったんです。
そんな大処分の中、残った内の一冊がこれ。
好きだから残したというよりは、なんでか気になって売れなかった。
たぶん1、2回しか読んでないし、そこまで内容に引き込まれたわけじゃない。
読んで理解出来た気もしてない。
でも、吉本隆明には、ずっとゆる〜く心惹かれている。
自分でも不思議です。
そして、その残った共同幻想論をペラっとめくったら、こんな序文があってのけぞるわけです。
実は、先日読んだ「現代日本の思想」や「現代カトリシズムの思想」にもマルクスが出てきて、びっくりしてたんです。
まさか、吉本隆明でもマルクスが出て来るとは...。
...と思いつつ、吉本隆明とマルクスで検索したら、吉本隆明自身による「カール・マルクス」って本まであるんですね。
そっかぁ。
自分が知ろうとしてなかっただけで、色々な人がマルクスに影響を受けているんだな。
★ ★ ★
共同幻想論じゃなくて転向論についてですが、自分の昔の書評でちょっとだけ書いてました。
【2011-05-24:「吉本隆明と親鸞」高橋 順一】
この怖さって、震災から7年経った今も同じように感じています。
こうやって書評を残しておくの、いいもんですね。
過去の自分が本から何を感じたり、考えていたりしたのかって、結構大切。
過去を忘れるのでも、都合よく思い返すのでもなく、自分の思考の歴史をつかむことができる。
今自分が感じたり考えたりしていることが、ただの刺激による反応や反射なのか、それとも自分自身に根をはったものなのかが、少し見えてくる。
日本共産党への応援の流れで、偶然にマルクスに出会ったと思っていたんですが、どうも、そうではないかもしれない。
逆に、自分の根っこにマルクスと親和性が高いものがあるのかもしれないですね。
吉本隆明を経由して、マルクスに近づいてみようかな。
せっかく出会ったんだし。
★ ★ ★
関連書籍:
検索で見つけた書評:
【遠方からの手紙(別館) 吉本隆明 『カール・マルクス』】
自分が好きだった本、大切に感じた本だから残してあったわけですが、それがいつの間にか執着みたいになってる気がして、思い切ってほとんど売ったんです。
そんな大処分の中、残った内の一冊がこれ。
好きだから残したというよりは、なんでか気になって売れなかった。
たぶん1、2回しか読んでないし、そこまで内容に引き込まれたわけじゃない。
読んで理解出来た気もしてない。
でも、吉本隆明には、ずっとゆる〜く心惹かれている。
自分でも不思議です。
そして、その残った共同幻想論をペラっとめくったら、こんな序文があってのけぞるわけです。
国家は幻想の共同体だというかんがえを、わたしははじめにマルクスから知った。
実は、先日読んだ「現代日本の思想」や「現代カトリシズムの思想」にもマルクスが出てきて、びっくりしてたんです。
まさか、吉本隆明でもマルクスが出て来るとは...。
...と思いつつ、吉本隆明とマルクスで検索したら、吉本隆明自身による「カール・マルクス」って本まであるんですね。
そっかぁ。
自分が知ろうとしてなかっただけで、色々な人がマルクスに影響を受けているんだな。
★ ★ ★
共同幻想論じゃなくて転向論についてですが、自分の昔の書評でちょっとだけ書いてました。
【2011-05-24:「吉本隆明と親鸞」高橋 順一】
先日、転向論を読んだのは、震災後、自分を含め人がバラバラになり対立していく感じが怖くて、それを終戦後の転向の問題と似た現象としてとらえ直すことができるのかな、と思ったからです。
この怖さって、震災から7年経った今も同じように感じています。
こうやって書評を残しておくの、いいもんですね。
過去の自分が本から何を感じたり、考えていたりしたのかって、結構大切。
過去を忘れるのでも、都合よく思い返すのでもなく、自分の思考の歴史をつかむことができる。
今自分が感じたり考えたりしていることが、ただの刺激による反応や反射なのか、それとも自分自身に根をはったものなのかが、少し見えてくる。
日本共産党への応援の流れで、偶然にマルクスに出会ったと思っていたんですが、どうも、そうではないかもしれない。
逆に、自分の根っこにマルクスと親和性が高いものがあるのかもしれないですね。
吉本隆明を経由して、マルクスに近づいてみようかな。
せっかく出会ったんだし。
★ ★ ★
関連書籍:
検索で見つけた書評:
【遠方からの手紙(別館) 吉本隆明 『カール・マルクス』】
日曜日は礼拝に [いま、ここ、わたし]
今日は日曜日。これから主日礼拝へ
東京は晴れてますが、結構寒い...
火曜日は雪の予報も出ております
では、いってきまーす
東京は晴れてますが、結構寒い...
火曜日は雪の予報も出ております
では、いってきまーす
ブログの機能テスト [いま、ここ、わたし]
知らない間にブログに貼り付けられるものが増えてるっぽいので、ちょっとテスト
【地図】
【ツイッター】
【GooglePhoto】
★ ★ ★
最近、スマホで撮った写真をGooglePhotoにバックアップするようにしたので、貼り付けられるのは便利。
【地図】
【ツイッター】
aize_book1それでもアイデアが出えへんかったら、何回でも同じ話するねん。わざと飽きさせるねん。そしたら脳は次のアイデアを出しやすくなるねん。人間は飽きる。じゃ、【逆に】それを利用せな、もったいないやん。02/16 08:02
【GooglePhoto】
★ ★ ★
最近、スマホで撮った写真をGooglePhotoにバックアップするようにしたので、貼り付けられるのは便利。
「怒る」と「嫌だ」 [いま、ここ、わたし]
昨日、飲み会がありまして。
その時になんとはなしに、どんな時に怒るか、という話になり、色々話題がでたんです。
んで、気づいたんですが、他の人が怒るような時に私は怒ってない。
じゃあ、何も感じてないかというとそうじゃなくて、その状態を「嫌だ」って感じてる。
嫌だけど、怒るまで行けない。
さらにいえば、嫌だってことすら気づかないことも多いです。
んで、自分の気持ちに気づけないまま、エネルギーだけ削がれて、しょんぼりしてしまう。
なんか、怒ることができるの、うらやましく感じました。
自分の気持ちに、ひとつひとつ気付けるといいなぁと思いますね。
その時になんとはなしに、どんな時に怒るか、という話になり、色々話題がでたんです。
んで、気づいたんですが、他の人が怒るような時に私は怒ってない。
じゃあ、何も感じてないかというとそうじゃなくて、その状態を「嫌だ」って感じてる。
嫌だけど、怒るまで行けない。
さらにいえば、嫌だってことすら気づかないことも多いです。
んで、自分の気持ちに気づけないまま、エネルギーだけ削がれて、しょんぼりしてしまう。
なんか、怒ることができるの、うらやましく感じました。
自分の気持ちに、ひとつひとつ気付けるといいなぁと思いますね。
パソコンのHDD整理 [いま、ここ、わたし]
2010年にフリーランスになったタイミングで買ったMacBookPro。
HDDの整理をほとんどしてなかったから、ちまちま整理。
アプリのデータやら、日記っぽいテキストがでてきて、ひとしきり懐かしい気持ちに。
荷物の整理してたら、古いアルバムが出てきて見てしまうのと同じ感じですね。
まだプログラムは書き始めてないです。
ゆっくりゆっくり。
無理強いしないでやっていきます。
HDDの整理をほとんどしてなかったから、ちまちま整理。
アプリのデータやら、日記っぽいテキストがでてきて、ひとしきり懐かしい気持ちに。
荷物の整理してたら、古いアルバムが出てきて見てしまうのと同じ感じですね。
まだプログラムは書き始めてないです。
ゆっくりゆっくり。
無理強いしないでやっていきます。
プログラム、始めます [いま、ここ、わたし]
去年、【アイゼ演技ワークショップ】に通い始めると同時にデスクトップパソコン(Win10)買っておいたんです。
なぜかというと、プログラムへの気持ちが少しだけ残っていたから。
その時点ではやる気は出てなくて、それは自覚もあり、でも気が向いた時にパソコン買うところからだとハードルが高くなってしまうので、思い切って買っておいたんです。
やらないかもしれないけど、やりたくなったら躊躇なくやれるように。
★ ★ ★
先日、2017年の振り返りを書きましたが、いろいろ人生の棚卸しをして、プログラムもやめてしまっても良いと本気で思いました。
プログラムは辛いし嫌だ。
いつからかそう思う様になっていたし。
中学校以来、人生のほとんどをつぎ込んだプログラム。
そしてたまたま時流にのり、お金を稼げる様になったゲームプログラムという仕事。
捨てるのはもったいないという意識は当然あるけど、そういう消極的な選択はしたくなかった。
無理強いしても続かないことは、はっきりしていました。また鬱になって終わるだけ。
なんで嫌なのかなぁ。辛いと思うのかなぁ。あんなに好きだったのになぁ。
そんな自分とゆる〜く向き合いつつ半年ほどを過ごしてました。
★ ★ ★
今年に入って、ぼんやりと、やっぱりプログラムやりたいんだな、と思い始めました。
だから、もういちど低いところから始めてみよう。そう思います。
無理な目標は決めない。
好きに組む。誰のためにもやらない。ただコンピューターをいじってみる。
流行りを追いすぎない。人に合わせない。勝手にやる。
中学生の時の様にパソコンに向かってみる。
まずはそこから始めてみようと思います。
・・・なんか書いてたら、楽しみになってきた。何やろうかな〜。
なぜかというと、プログラムへの気持ちが少しだけ残っていたから。
その時点ではやる気は出てなくて、それは自覚もあり、でも気が向いた時にパソコン買うところからだとハードルが高くなってしまうので、思い切って買っておいたんです。
やらないかもしれないけど、やりたくなったら躊躇なくやれるように。
★ ★ ★
先日、2017年の振り返りを書きましたが、いろいろ人生の棚卸しをして、プログラムもやめてしまっても良いと本気で思いました。
プログラムは辛いし嫌だ。
いつからかそう思う様になっていたし。
中学校以来、人生のほとんどをつぎ込んだプログラム。
そしてたまたま時流にのり、お金を稼げる様になったゲームプログラムという仕事。
捨てるのはもったいないという意識は当然あるけど、そういう消極的な選択はしたくなかった。
無理強いしても続かないことは、はっきりしていました。また鬱になって終わるだけ。
なんで嫌なのかなぁ。辛いと思うのかなぁ。あんなに好きだったのになぁ。
そんな自分とゆる〜く向き合いつつ半年ほどを過ごしてました。
★ ★ ★
今年に入って、ぼんやりと、やっぱりプログラムやりたいんだな、と思い始めました。
だから、もういちど低いところから始めてみよう。そう思います。
無理な目標は決めない。
好きに組む。誰のためにもやらない。ただコンピューターをいじってみる。
流行りを追いすぎない。人に合わせない。勝手にやる。
中学生の時の様にパソコンに向かってみる。
まずはそこから始めてみようと思います。
・・・なんか書いてたら、楽しみになってきた。何やろうかな〜。