今日はおにいちゃんの誕生日 [いま、ここ、わたし]
49歳で亡くなった兄、生きてたら今日で54歳になる。
おにいちゃん。
中学か高校ぐらいから兄貴と呼ぶようになったけど、それまではおにいちゃん。
父をおやじ、母をおふくろ、みたいに、中学とか高校で呼び方を変える男の人は多いけど、私はとうさん、かあさん、で、おとうさん、おかあさん、から、お、を取っただけにしたんだよな。
それは、なんか、おやじ、おふくろ、みたいな言い方が好きじゃなかったから。
でも、兄だけは、兄貴、にしたんだよな。
それは、兄とは年をとっていくごとに話があわなくなっていって、距離を取りたかったからかもしれない。
1歳しか違わない兄弟だから、兄、弟、というよりは、双子みたいなものだったのかもな。
そういえば、専門学校の時、簿記を教えてくれてた先生が「1歳しか違わないなら、ライバルみたいなもんだろう」みたいなことを言われて、そんなこと考えたこともなかったけど、あー、そういわれるとそーだなー、と、すごく腑に落ちた記憶がある。
兄は「長男は大変だ」とよく言っていて、「お前は自由でいいよな」とも言っていた。
勉強も仕事も私の方がうまく回っていたから、「お前が長男だったらよかったのにな」とか言うこともあった。
結果的にライバルだったかもしれないけど、私にとっては兄は兄で、追い越そう、とか、勝とう、みたいに思ったことはなかった。
でも、私も私で兄が親に金銭面で頼り過ぎてることを指摘したりもしたし(そういう話をすると、「親は頼って欲しいもんだ。だから頼ってるんだ」とか言ってたな)、自分は母親に仕送りをしたりもして、なんか兄よりしっかりしてる、みたいな感じになってたりもしてたから、兄としては嫌だっただろうな。
自分としては、自分は同性愛者だから、家族を持たず、ひとりで生きていくことになるから、そのためになんとか自分で生きていけるようになるために必死だっただけなんだけども。
そんなこと知らない兄から見たら、なんでそんなに必死だったのかは分からなかったかもしれない。
あ、でも、母にカミングアウトしたとき、母は「そういえば、おにいちゃんはあなたが男が好きなんじゃないか、って言ってたよ。女性と結婚したから勘違いだったと思ったみたいだけども」って言ってて、そういう面では、兄はよく私のことを見ていたのだとも思う。
全然なにも相談しないで生き方を決めていく私に「お前は本当に家族に何も相談しないよな」って、少し怒って、少し寂しそうに、よく言ってたっけな。
兄は40歳過ぎたごろから体調を崩して何度か入院したり、勤めていた会社が倒産して無職になって借金まみれになったりもしてた。
私の方から借金の肩代わりをするっていってお金を貸したり、入院した病院にお見舞いに行ったりすると、兄としては情けなく感じるのか、私に対する嫌な気持ちが強かったみたいで、あまりうまく話せなかったりもした。
何がきっかけか忘れたけどメールで近況報告をしてくれるようになって、それにはそっけなく答えたりもしてたな。
そんな、おにいちゃん。
自分は兄が嫌いだと思ってから、兄が死んだ時、あんなに辛くなるなんて自分でもびっくりしたけど、やっぱりそれは一番近い存在だったからだし、はっきり喧嘩できる数少ない相手だった。
そんな、おにいちゃん。
今日、多摩川を散歩しながら、あー、おにいちゃんの誕生日だよなー、って思ったら、よくわからない気持ちが湧いてきて、それは結局うまくつかめなくて、なんなのかわからないままなんだけど、でも、そういう気持ちが湧いてくる唯一の相手なんだよなぁ。
おにいちゃんと今話したら、どんな話をするだろうな。
何話しても結局喧嘩しそうだけど、それは自分にとって貴重なことなんだよな。
自分の思ってることを、そのまま言える相手。
喧嘩してもいい相手。
今の自分にはそういう相手がいない。
それは、寂しい。
おにいちゃん。
おにいちゃん。
おにいちゃん。
おにいちゃん。
中学か高校ぐらいから兄貴と呼ぶようになったけど、それまではおにいちゃん。
父をおやじ、母をおふくろ、みたいに、中学とか高校で呼び方を変える男の人は多いけど、私はとうさん、かあさん、で、おとうさん、おかあさん、から、お、を取っただけにしたんだよな。
それは、なんか、おやじ、おふくろ、みたいな言い方が好きじゃなかったから。
でも、兄だけは、兄貴、にしたんだよな。
それは、兄とは年をとっていくごとに話があわなくなっていって、距離を取りたかったからかもしれない。
1歳しか違わない兄弟だから、兄、弟、というよりは、双子みたいなものだったのかもな。
そういえば、専門学校の時、簿記を教えてくれてた先生が「1歳しか違わないなら、ライバルみたいなもんだろう」みたいなことを言われて、そんなこと考えたこともなかったけど、あー、そういわれるとそーだなー、と、すごく腑に落ちた記憶がある。
兄は「長男は大変だ」とよく言っていて、「お前は自由でいいよな」とも言っていた。
勉強も仕事も私の方がうまく回っていたから、「お前が長男だったらよかったのにな」とか言うこともあった。
結果的にライバルだったかもしれないけど、私にとっては兄は兄で、追い越そう、とか、勝とう、みたいに思ったことはなかった。
でも、私も私で兄が親に金銭面で頼り過ぎてることを指摘したりもしたし(そういう話をすると、「親は頼って欲しいもんだ。だから頼ってるんだ」とか言ってたな)、自分は母親に仕送りをしたりもして、なんか兄よりしっかりしてる、みたいな感じになってたりもしてたから、兄としては嫌だっただろうな。
自分としては、自分は同性愛者だから、家族を持たず、ひとりで生きていくことになるから、そのためになんとか自分で生きていけるようになるために必死だっただけなんだけども。
そんなこと知らない兄から見たら、なんでそんなに必死だったのかは分からなかったかもしれない。
あ、でも、母にカミングアウトしたとき、母は「そういえば、おにいちゃんはあなたが男が好きなんじゃないか、って言ってたよ。女性と結婚したから勘違いだったと思ったみたいだけども」って言ってて、そういう面では、兄はよく私のことを見ていたのだとも思う。
全然なにも相談しないで生き方を決めていく私に「お前は本当に家族に何も相談しないよな」って、少し怒って、少し寂しそうに、よく言ってたっけな。
兄は40歳過ぎたごろから体調を崩して何度か入院したり、勤めていた会社が倒産して無職になって借金まみれになったりもしてた。
私の方から借金の肩代わりをするっていってお金を貸したり、入院した病院にお見舞いに行ったりすると、兄としては情けなく感じるのか、私に対する嫌な気持ちが強かったみたいで、あまりうまく話せなかったりもした。
何がきっかけか忘れたけどメールで近況報告をしてくれるようになって、それにはそっけなく答えたりもしてたな。
そんな、おにいちゃん。
自分は兄が嫌いだと思ってから、兄が死んだ時、あんなに辛くなるなんて自分でもびっくりしたけど、やっぱりそれは一番近い存在だったからだし、はっきり喧嘩できる数少ない相手だった。
そんな、おにいちゃん。
今日、多摩川を散歩しながら、あー、おにいちゃんの誕生日だよなー、って思ったら、よくわからない気持ちが湧いてきて、それは結局うまくつかめなくて、なんなのかわからないままなんだけど、でも、そういう気持ちが湧いてくる唯一の相手なんだよなぁ。
おにいちゃんと今話したら、どんな話をするだろうな。
何話しても結局喧嘩しそうだけど、それは自分にとって貴重なことなんだよな。
自分の思ってることを、そのまま言える相手。
喧嘩してもいい相手。
今の自分にはそういう相手がいない。
それは、寂しい。
おにいちゃん。
おにいちゃん。
おにいちゃん。
【読了】「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」東畑開人 [いま、ここ、わたし]
今日は仕事を休みにした日。
知り合いのライブに行こうかなーと思って休みを取ったんだけど、なんとなく今じゃないなー、という気持ちになってて行くのをやめた。
先日植え込みに撒いた腐葉土からなぜかたくさん朝顔が芽をだしてきてて、どーしよーかなー、抜くのやだけどこのままでも困るなー、と迷いつつ植え替えたりして、ついでに雑草抜いたりもし、近くの病院で2年ぶりのがん検診にいき、そのままだらだら散歩して、行きつけのパン屋に行って帰ってくる。
歩き疲れてたけどなんとかカレーを作り、食べて、一息ついたところで、昼寝しようかなー、と思ったけど、なんとなく東畑開人さんの「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」 を読み始める。
残り1/3ぐらい。
【この記事】で書いたけど最初は嫌ーな感じだったのに、あー、今の自分が読む本なんだなー、と思えて、残りをいっきに読んで、今19時30分。
今年の2月、5年前に別れて一切連絡してなかった元パートナーにメールして、返信があって、少しだけやりとりできたんだけど、そのことをぼんやり思い出したり。
三年前、兄の一周忌で母へ同性愛者だとカミングアウトしたこととか、兄との関係とか、そんなことも読んでるとちらほら思い浮かぶ。
今の職場でまったく新しい仕事をはじめたこととか、2007年からホームレス支援のボランティをしてた時のこととかも。
ここんとこ、なんで自分はゲーム開発を仕事にしたのかな、そしてなんでやめたのかな、と考えることがあるんだけど全然答えは湧いてこなくて、なんでプログラムが好きになったのか、なんでゲームが好きになったのか、とかも、考えても答えは出て来ないんだけど、この本を読んでいると、そんなことも、すごーくうすーくだけどなにかがかんじられてくる。
52年間生きてきた、そのことそのものをゆっくり時間をかけてなぞるような感じを持った。
読んでよかった。
あー、おなかすいた、パスタ茹で上がったから食べようー。
知り合いのライブに行こうかなーと思って休みを取ったんだけど、なんとなく今じゃないなー、という気持ちになってて行くのをやめた。
先日植え込みに撒いた腐葉土からなぜかたくさん朝顔が芽をだしてきてて、どーしよーかなー、抜くのやだけどこのままでも困るなー、と迷いつつ植え替えたりして、ついでに雑草抜いたりもし、近くの病院で2年ぶりのがん検診にいき、そのままだらだら散歩して、行きつけのパン屋に行って帰ってくる。
歩き疲れてたけどなんとかカレーを作り、食べて、一息ついたところで、昼寝しようかなー、と思ったけど、なんとなく東畑開人さんの「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」 を読み始める。
残り1/3ぐらい。
【この記事】で書いたけど最初は嫌ーな感じだったのに、あー、今の自分が読む本なんだなー、と思えて、残りをいっきに読んで、今19時30分。
今年の2月、5年前に別れて一切連絡してなかった元パートナーにメールして、返信があって、少しだけやりとりできたんだけど、そのことをぼんやり思い出したり。
三年前、兄の一周忌で母へ同性愛者だとカミングアウトしたこととか、兄との関係とか、そんなことも読んでるとちらほら思い浮かぶ。
今の職場でまったく新しい仕事をはじめたこととか、2007年からホームレス支援のボランティをしてた時のこととかも。
ここんとこ、なんで自分はゲーム開発を仕事にしたのかな、そしてなんでやめたのかな、と考えることがあるんだけど全然答えは湧いてこなくて、なんでプログラムが好きになったのか、なんでゲームが好きになったのか、とかも、考えても答えは出て来ないんだけど、この本を読んでいると、そんなことも、すごーくうすーくだけどなにかがかんじられてくる。
52年間生きてきた、そのことそのものをゆっくり時間をかけてなぞるような感じを持った。
読んでよかった。
あー、おなかすいた、パスタ茹で上がったから食べようー。