戦争の反対の状態として平和を考えることの限界 [それでもどっこい生きてます]
最近よんだ何かの本(新聞?)で、
「平和について、今までの戦争体験を前提とした話はもう有効ではない。戦争体験が風化していくのは止められないのだから、戦争の反対の状態として平和を言うのではなく、もっと素朴に人が生きていくこと、幸せであろうとすること、としての平和を考えていく必要があるんじゃないか」
という様な文章を読みました。
今までの戦争体験を前提とした話って、気持ちをどこにおけば良いのかよくわからないので、落ち着かなかったんですよね。
「ああ、そういうことがあったのか」とは思えるし、自分なりに真剣に受け止めているとは思っても、どうしても自分の生活に連動させて考えることができない感じ。
そういう感じしませんか?
でも、「まず戦争があり、その後平和が訪れた」と考えるのではなく、「初めから求めていくものとしての平和」という様な考え方をするのであれば、戦争を経験していない人でも考えたり、受け入れたりすることはできそうに思います。
(少なくとも自分の身にリアルに降りかかる状態での)戦争を知らないのですから、戦争から考えはじめること自体に無理があったんですね。
なるほどなぁ、と思いました。
今日は、
「オーシャンライン」「リーフライン」BEGIN
というCDを買いました。
「ジョニーは戦場へ行った」読んでるんですが、すげー重く、生々しい話ですね...。
ではでは。
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