「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」橋本治 [それでもどっこい生きてます]
「今の日本はなんかおかしい」と思うことは多くて、「今の状態がこのまま続くのは嫌」なのははっきりしてるのに、「原因はなんだ?政治?教育?不況?アメリカ?姉歯元建築士?」と日々押しよせてくるニュースを見ながら考えてもさっぱり分からず、「自分の考え方次第なんだろうか?」と内面を見つめてみても、やっぱりわからない。
だから、もちろん「この嫌なのを解消するにはどうすればいいのか」も、全然分からない。
もちろん、この本にもそんなことの答えはのっていません。当たり前です。
でもこの本は「今の日本の社会のありかたはおかしい」という点をはっきりさせた上で、「どういう点をおかしいと感じているのか」を、自分で考えるきっかけをくれます。
途中で「勝ち組か負け組みで評価される人生」についての話が出てくるのですが、ずいぶん前の日記で書いた「小学生の時、ネクラ、ネアカという分類が出来て、それが嫌でしょうがなかった」という話を思い出しました。
「正しい性格」というものがあるという前提。それは「明るい人」といわれるもので、それに向かうことが「正しい」。一体それはなんなんでしょうか?
たとえば「自分の子供はどうなって欲しいですか?」というアンケートがあって「明るい人」と「暗い人」とあったら、当然何の疑問も持たずに「明るい人」を選びますよね?
でもそれは何かが違うと思うのです。
なんで、そんな「評価」をしないといけないのか。そんなこと決めなくてもいいじゃないですか。それに何の意味があるんですか?
全員が全員明るい人であれば、それでみんな幸せになりますか?私はそうは思いません。
一つの性格しか選べないより、どんな性格でもいいほうが幸せじゃないですか?
人から好かれる「正しい」性格を決められてそれに従うなんて、「バカ」のやることです。(ココ自戒を含みます)
別にネクラネアカの話だけじゃなく、なんか、こう、「~せねばならない」ということが多いんだと思うのです。
でも、普段は「従わされている」とは思っていないので、「なんだと!オレに命令するな!」とはっきり大声で叫べない。なんとなく「なんか世の中おかしいなぁ~。なんか嫌だなぁ~」と思っているだけになっていると思うのです。結構根深い話です。
この本を含め、「「分からない」という方法」「上司は思いつきでものを言う」をあわせて読めば(どうやら三部作、ということらしいです)、もうちょっとこういう「なんだかわからないけど嫌だとは思っていること」を意識できるようになるかも知れません。
んで、ちょっとずつでも意識できれば、ちょっとずつでも「どうすればいいか」も分かってくるかも知れません。
とにかく、明日死なないのであれば、なんとかする方法を探らないといけないのです。
会社や国や世界やグローバルスタンダードなどにしがみついていては、結局ぼろ雑巾の様にされるだけなのですから。
#7月26日追記
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ひげたまサン、こんにちは。
橋本治氏の魅力についての(当方ブログへの)魅力的なコメントありがとうございました。実は、ブログで紹介していながら、まだ一冊も読んでいないのです。大辞林の魅力について記した橋本氏の著作を読みたいと思いつつソレきりになっております。これから、実際に手に取って、橋本治の「やさしさ」に触れてみたいと思います。
ひげたまサンの当該記事のラストは厳しいコトバですね。敬愛する橋本氏の薫陶が利いているのかもしれませんね。結局、他者の規準をうかつに取り込むと自分を大切にしないことになりますよね。有り難がって、自分を苦しめ、最期にボロ雑巾ではツマラナイはなしです。ホントに。
勝手なことを記しました。また、遊びに参ります。失礼いたしました。
by 環虚洞 (2006-06-22 22:20)