だるい体で会社へいくものの [それでもどっこい生きてます]
打ち合わせがあったので、まだ本調子でないものの会社へ。
そしたら、打ち合わせはキャンセルになってましたとさ。
あはは。
まぁ、夕方ぐらいまで、ちょこちょこ仕事して帰ってきました。
明日も用事があるし、ちょっとでも回復することを狙ってねまする。
★ ★ ★
「自分が人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待しているかが問題だ」
ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」は、何かの本でこんな風な一節を読んだときから、いつか読もうと思っていました。
鷲田清一の本だったか、他の誰だったか良く覚えてないのですが、この一文を読んで、「そうか、なるほど」と、自分でもびっくりするぐらい、すっきりしたことをとてもよく覚えています。
今回改めて読んでみて、この文章はナチスが作った強制収容所で、生きる意味を失い、励ましや慰めを拒絶した人が口にする、「生きていることにもうなんにも期待が持てない」という言葉に対する、精神科医でもある筆者の応答の言葉でした。
生きる意味なんて、人生が順風満帆なときには「プゲラッチョ(笑)」って感じに思われるでしょうが、本当に何かに行き詰ったとき、しかもその時の自分ではどうしようもないと思ったとき、考えてしまうものではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
そしたら、打ち合わせはキャンセルになってましたとさ。
あはは。
まぁ、夕方ぐらいまで、ちょこちょこ仕事して帰ってきました。
明日も用事があるし、ちょっとでも回復することを狙ってねまする。
★ ★ ★
「自分が人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待しているかが問題だ」
ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」は、何かの本でこんな風な一節を読んだときから、いつか読もうと思っていました。
鷲田清一の本だったか、他の誰だったか良く覚えてないのですが、この一文を読んで、「そうか、なるほど」と、自分でもびっくりするぐらい、すっきりしたことをとてもよく覚えています。
今回改めて読んでみて、この文章はナチスが作った強制収容所で、生きる意味を失い、励ましや慰めを拒絶した人が口にする、「生きていることにもうなんにも期待が持てない」という言葉に対する、精神科医でもある筆者の応答の言葉でした。
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
生きる意味なんて、人生が順風満帆なときには「プゲラッチョ(笑)」って感じに思われるでしょうが、本当に何かに行き詰ったとき、しかもその時の自分ではどうしようもないと思ったとき、考えてしまうものではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
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