40歳っす [それでもどっこい生きてます]
不惑だね♪
実家からは誕生日祝いの電話、知人からも祝いのメール。ありがとう!
★ ★ ★
さて、誕生日とは関係なく、今日は【TENOHASI(てのはし)】の次回の炊き出しに向けて、
仕込み作業を事務所でしてました。
最近、「てのはし」の話題を書いていなかった気がしますが、相変わらず月二回の炊き出しの
ボランティアは続けています。
「てのはし」のブログをご覧になっている方は知っていると思いますが、9月14日に南池袋公園が
工事で閉鎖になり、次からの炊き出しは、別の場所、別のやりかた、別の時間・・・と、すべてが
変わることになりました。
そんなわけで、ちょっとバタバタしています。
5連休があったのは、準備作業ができるという意味でナイスタイミングです。
なんやかんやで、炊き出しのボランティアを始めて、そろそろ2年になります。
早いもんですね。
たま~に、「なんでホームレス支援なんてやってるの?」と聞かれることがあります。
「人から評価されないことをなぜやるのか、わからない」と直球で言われたこともあります。
残念ながら、自分でも良く分かっていないです。
ボランティアを始める数ヶ月前、【気が狂いそう】という記事を書きました。
今も考え方は大きくは変わっていない気もします。
ただ、仕事をしながら「ホームレス」支援活動をすることが、偽善だとは思わなくなりました。
それは、矛盾が無い、ということではありません。
正しいことをしている、と言いたいわけでもありません。
自分が稼いだお金をすべて寄付していません。
家に「ホームレス」の人を住まわせているわけではありません。
高い金でうまいものを食ったり酒を飲んだりしています。
すべての「ホームレス」状態の人に等しく声をかけるわけではありません。
自分の仕事を無職の人に渡していません。
連帯保証人を頼まれて断ったりしています。(その人の自立生活には不可欠なのにも関わらず)
お金を貸したりしていません。
長話をうっとおしいとおもったりすることもあります。
もっと沢山ありますが、つまり、自分が「やれる」「やろう」と思うことしかしていません。
他の人と自分を比べて、「もっと何かできるのでは・・・」と悩んでしまうこともあります。
矛盾だらけです。
でもそれを、矛盾があるから、真に正しいとはいえないことだから、自分には無理だから、
行政がやるべきことだから、誰か他の適切な人がやるべきだから・・・、と考えていって、
そこで立ち止まってしまえば、それは単に「自分は何もしません。知りません。見ません」と
言っていることと同じ意味になってしまう。
多分、私はそれに耐えられなかったから、ボランティアを始めたんだと思います。
「自分が問題を感じたなら、自分が何かしなければならない」という思いです。
マイケル・ムーアが言うところの、「Do something」です。
偉いから、正しいから、善いことだからやるんではありません。
ただ、ちょっと「ホメラレタイ」と思う気持ちはあります。
完璧な人はいない、という言い方があります。
だから、今のこの自分から始めるしかないのだと思います。圧倒的に何かが足りなくても。
40年生きてきて、自分なりに今まで色々なことがありました。
これからも色々なことがあるハズです。
5年後、10年後の自分なら、今の自分に何をして欲しいと思うのか・・・。
ヴィクトール・E・フランクルが言うところの、
「人生に何かを期待するのではなく、人生から何を期待されているのか」
です。
考えることと、行動することを両立させるのは、自分にはとても難しいです。
考えすぎたり、考えなさ過ぎたりします。
気楽にやればよいことなのに、力を抜くことができないこともあります。
でも、それでも、自分にやれることはあると思うし、やっていけると思います。
とりあえず、次の炊き出しをうまく収めたいです。
不惑には遠いですが、たまにはこんなまとまりの無い長文も悪くないでしょう!
実家からは誕生日祝いの電話、知人からも祝いのメール。ありがとう!
★ ★ ★
さて、誕生日とは関係なく、今日は【TENOHASI(てのはし)】の次回の炊き出しに向けて、
仕込み作業を事務所でしてました。
最近、「てのはし」の話題を書いていなかった気がしますが、相変わらず月二回の炊き出しの
ボランティアは続けています。
「てのはし」のブログをご覧になっている方は知っていると思いますが、9月14日に南池袋公園が
工事で閉鎖になり、次からの炊き出しは、別の場所、別のやりかた、別の時間・・・と、すべてが
変わることになりました。
そんなわけで、ちょっとバタバタしています。
5連休があったのは、準備作業ができるという意味でナイスタイミングです。
なんやかんやで、炊き出しのボランティアを始めて、そろそろ2年になります。
早いもんですね。
たま~に、「なんでホームレス支援なんてやってるの?」と聞かれることがあります。
「人から評価されないことをなぜやるのか、わからない」と直球で言われたこともあります。
残念ながら、自分でも良く分かっていないです。
ボランティアを始める数ヶ月前、【気が狂いそう】という記事を書きました。
今も考え方は大きくは変わっていない気もします。
ただ、仕事をしながら「ホームレス」支援活動をすることが、偽善だとは思わなくなりました。
それは、矛盾が無い、ということではありません。
正しいことをしている、と言いたいわけでもありません。
自分が稼いだお金をすべて寄付していません。
家に「ホームレス」の人を住まわせているわけではありません。
高い金でうまいものを食ったり酒を飲んだりしています。
すべての「ホームレス」状態の人に等しく声をかけるわけではありません。
自分の仕事を無職の人に渡していません。
連帯保証人を頼まれて断ったりしています。(その人の自立生活には不可欠なのにも関わらず)
お金を貸したりしていません。
長話をうっとおしいとおもったりすることもあります。
もっと沢山ありますが、つまり、自分が「やれる」「やろう」と思うことしかしていません。
他の人と自分を比べて、「もっと何かできるのでは・・・」と悩んでしまうこともあります。
矛盾だらけです。
でもそれを、矛盾があるから、真に正しいとはいえないことだから、自分には無理だから、
行政がやるべきことだから、誰か他の適切な人がやるべきだから・・・、と考えていって、
そこで立ち止まってしまえば、それは単に「自分は何もしません。知りません。見ません」と
言っていることと同じ意味になってしまう。
多分、私はそれに耐えられなかったから、ボランティアを始めたんだと思います。
「自分が問題を感じたなら、自分が何かしなければならない」という思いです。
マイケル・ムーアが言うところの、「Do something」です。
偉いから、正しいから、善いことだからやるんではありません。
ただ、ちょっと「ホメラレタイ」と思う気持ちはあります。
完璧な人はいない、という言い方があります。
だから、今のこの自分から始めるしかないのだと思います。圧倒的に何かが足りなくても。
40年生きてきて、自分なりに今まで色々なことがありました。
これからも色々なことがあるハズです。
5年後、10年後の自分なら、今の自分に何をして欲しいと思うのか・・・。
ヴィクトール・E・フランクルが言うところの、
「人生に何かを期待するのではなく、人生から何を期待されているのか」
です。
考えることと、行動することを両立させるのは、自分にはとても難しいです。
考えすぎたり、考えなさ過ぎたりします。
気楽にやればよいことなのに、力を抜くことができないこともあります。
でも、それでも、自分にやれることはあると思うし、やっていけると思います。
とりあえず、次の炊き出しをうまく収めたいです。
不惑には遠いですが、たまにはこんなまとまりの無い長文も悪くないでしょう!
コメント 0