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炊き出しとワンダーグレープ [それでもどっこい生きてます]

土曜日は、小雨の中、【TENOHASI(てのはし)】の炊き出しへ。

月に二回ある炊き出しで雨が降ったのは実に4ヶ月ぶり。
小雨とはいえ、そのまま作業はできないのでテントを張ったりしました。
越冬以来、久々のテントってことで、なんとなく雰囲気があるな、と思ったりして。

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日曜日は、天気も良かったので、ひさびさに【ワンダーグレープ】へ。
ぼんやりしたり、コーヒー飲んだり、遊びに来た知り合いと話したり、ぼんやりしたり。
やっぱし音楽がある空間はいい。

この日は、近くの音楽大学のホルンサークルの方の生演奏があったりして、得した気分。
ホルンが鳴る仕組みや、音の出し方の話もあって、いちいちうなづいて聞いていたのでした。

★ ★ ★




↑4巻で完結。「オカネがいらない」という主人公をめぐるテーマとは別に、怒りっぽい村長と主人公の怒鳴りあいが、個人的には興味深かったです。
「喧嘩するほど仲が良い」と言うのとは別な、仲が良くなるのではなく、どこまでも価値観の違う者同士の「共存の作法」とでもいうものを読み取っていました。

↑なんか、久々の高橋源一郎。
はじめに、の一文から引用してみます。
 わたしは、この本の中で、「過去」の小説を、その「評判」から取り戻そうと思いました。陳列されているガラスの棚から脱走するよう、説得してみることにしました。要するに、「過去」で眠っているのを止め、起きて、現在に遊びに来るようにいったのです。
 そして、「現在」の小説には、その逆に、「過去」に行って、「過去」の小説と遊んで来るよう命じたのでした。
 「歴史」というものは、鑑賞するために壁にかけられた絵ではありません。なんというか、それを使って、誰も考えたことのないヘンテコなものを作りだせるオモチャみたいなものではないでしょうか。いや、そうであるべきなのです。

これは、私が博物館に行く理由や、中世の民衆史を読んだりすることの一部を説明してくれてもいます。
過去は、過去というだけで、立派だったり、偉かったり、凄かったりするものじゃなくて、今の自分と変わらない、一緒に遊べる「友達」なんだ、と思うわけです。

↑のちのち、本の選択にこまったら便利かと思い購入。竹内洋だし。
取り上げられていた、ロバート・D・パットナムの、「孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生」を読みたくて探したんですが、うまく見つからず時間切れで撤退。でも、高いんだよね...。

↑先日読んだ「戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)」で、中世の社会とお寺の関係に興味がでてたので。

↑表題だけ見るとコミュニティ再生の本かと思いますが、サブタイトルは「反コミュニティのデモクラシー」となっていて、このサブタイトルにひかれて買ってみました。さてどーでしょう?

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