会食恐怖症を(ほぼ)克服したこと [それでもどっこい生きてます]
外で出される食事がほとんど食べられない子供でした。
特にお弁当が苦手で、子供の頃はまったくと言っていいほどお弁当が食べられず、遠足やその他行事で出されると、周りの友達はおいしそうに食べるのに、自分は食べられなくて、いつも辛い思いをしてました。
お弁当だけじゃなく、たとえば修学旅行などで出される旅館の食事とかもほとんど食べられませんでした。おかなが空いてても。
そういえば、一番最初の会社に新入社員として入社する際、役員の方とご飯を食べる機会がありましたが、その時もほとんど食べられず、「おなかの調子が悪いので」などと言っていたのを、今思い出しました。
そんなこんながあり、それを自分はずっと好き嫌いのせいだと思っていて、「大人になってもこんなに好き嫌いがあってはいけない!一緒に食べる相手に失礼だ!」と思い、実は、東京に出てきて一人ぐらしを始めた際、「お弁当を買って食べるトレーニング」をしていました。今思うととてもけなげですが、当時は必死でした。社会人として認められ一人で生きていくのに必要だと思っていたのです。
どれぐらいそんなことを続けていたのかよく覚えていませんが、努力のおかげで、お弁当が食べられるようになり、(嫌いだった)漬け物も食べられる様になり、みんなとご飯を食べにいっても、まったく何も食べられない、ということは減っていきました。
それどころか、今や「嫌いなものはほとんどありません」と言えるほどになったのです。(今でも食べられないのは「ほや」です。ここ試験に出ます)
・・・と、ここまでは食わず嫌いの克服、みたいな話です。
ただ、食わず嫌いがなおっても、何かよくわからないきっかけで食事ができなくなることがありました。
みんなでご飯を食べにいき、注文をし、食事が出てきたら、急に食べられなくなるのです。
これには困りました。
メニューを選んでる時に予測がつく時もあって、そういう時は麺類などの噛まないでよくて量が少ないものにして乗り切ったりしてましたが、予測がつかなかった時はどうしようもありません。
気持ちが落ち着くのを待つしかないのですが、焦るとうまく行かないので、トイレに行ったり、どうしてもダメな時は、「ちょっと気持ち悪くなって。。。」と言って食べなかったりしていました。
そういう時の自分に何が起こっているかというと、「食べられなかったらどうしょう」という不安と、「食べないと怒られる」という恐怖心みたいなものです。これがなかなか強烈なんですよね。
そんな感じで困っていたのですが、ある時、その恐怖を乗り切る方法を開発したのです。
その方法とは、「今は給食の時間じゃない。今は給食の時間じゃない。今は給食の時間じゃない」と心の中で言い続けることです。
私にとっては「給食の時間」は「嫌いなものでも食べないと怒られる時間」で、さすがに無理矢理口に入れられる様なことはなかったですが、それでもよく先生に怒られていました。
そのときの記憶が強く残っていて、人と食事をする際にちょっとでも苦手なものが出てきたりすると思い出しちゃうんだろうな、と自分なりに考えて、「今は給食の時間じゃない」というおまじないを開発した訳です。
このおまじないを開発してからは、そういう状態になってもまったく食べられないということはなくなったので、他の人から見たら、私がたまにそんな恐怖心と戦ってるとは想像もできないと思います。
それに最近ではそういう状態になること自体ほとんどなくて、自分でも忘れてるぐらいなんですが、それでも2〜3年に一度ぐらいはあります。つい最近も1度ありました。
いまさら、なんでこうやって書いてるかというと、こういう不安や恐怖心をやり過ごしたりした経験って、自分でも忘れちゃうんですよね。そんなことすら無かった様に思う訳です。
それはそれで健全だし、むしろ忘れちゃった方がいいとも思うのですが、また別種の不安や恐怖心に遭遇した際の為に「昔も似たようなことがあったけど、なんとかしてきたよ」と、自分に向けて残しておきたい気持ちになったのです。
新しい不安や恐怖に押しつぶされそうになった時、ふとこのブログの記事を読んで、「ああ、忘れてたけど、そんなことがあったな。じゃあ今度もなんとかなるか」と思って欲しいのです。
特にお弁当が苦手で、子供の頃はまったくと言っていいほどお弁当が食べられず、遠足やその他行事で出されると、周りの友達はおいしそうに食べるのに、自分は食べられなくて、いつも辛い思いをしてました。
お弁当だけじゃなく、たとえば修学旅行などで出される旅館の食事とかもほとんど食べられませんでした。おかなが空いてても。
そういえば、一番最初の会社に新入社員として入社する際、役員の方とご飯を食べる機会がありましたが、その時もほとんど食べられず、「おなかの調子が悪いので」などと言っていたのを、今思い出しました。
そんなこんながあり、それを自分はずっと好き嫌いのせいだと思っていて、「大人になってもこんなに好き嫌いがあってはいけない!一緒に食べる相手に失礼だ!」と思い、実は、東京に出てきて一人ぐらしを始めた際、「お弁当を買って食べるトレーニング」をしていました。今思うととてもけなげですが、当時は必死でした。社会人として認められ一人で生きていくのに必要だと思っていたのです。
どれぐらいそんなことを続けていたのかよく覚えていませんが、努力のおかげで、お弁当が食べられるようになり、(嫌いだった)漬け物も食べられる様になり、みんなとご飯を食べにいっても、まったく何も食べられない、ということは減っていきました。
それどころか、今や「嫌いなものはほとんどありません」と言えるほどになったのです。(今でも食べられないのは「ほや」です。ここ試験に出ます)
・・・と、ここまでは食わず嫌いの克服、みたいな話です。
ただ、食わず嫌いがなおっても、何かよくわからないきっかけで食事ができなくなることがありました。
みんなでご飯を食べにいき、注文をし、食事が出てきたら、急に食べられなくなるのです。
これには困りました。
メニューを選んでる時に予測がつく時もあって、そういう時は麺類などの噛まないでよくて量が少ないものにして乗り切ったりしてましたが、予測がつかなかった時はどうしようもありません。
気持ちが落ち着くのを待つしかないのですが、焦るとうまく行かないので、トイレに行ったり、どうしてもダメな時は、「ちょっと気持ち悪くなって。。。」と言って食べなかったりしていました。
そういう時の自分に何が起こっているかというと、「食べられなかったらどうしょう」という不安と、「食べないと怒られる」という恐怖心みたいなものです。これがなかなか強烈なんですよね。
そんな感じで困っていたのですが、ある時、その恐怖を乗り切る方法を開発したのです。
その方法とは、「今は給食の時間じゃない。今は給食の時間じゃない。今は給食の時間じゃない」と心の中で言い続けることです。
私にとっては「給食の時間」は「嫌いなものでも食べないと怒られる時間」で、さすがに無理矢理口に入れられる様なことはなかったですが、それでもよく先生に怒られていました。
そのときの記憶が強く残っていて、人と食事をする際にちょっとでも苦手なものが出てきたりすると思い出しちゃうんだろうな、と自分なりに考えて、「今は給食の時間じゃない」というおまじないを開発した訳です。
このおまじないを開発してからは、そういう状態になってもまったく食べられないということはなくなったので、他の人から見たら、私がたまにそんな恐怖心と戦ってるとは想像もできないと思います。
それに最近ではそういう状態になること自体ほとんどなくて、自分でも忘れてるぐらいなんですが、それでも2〜3年に一度ぐらいはあります。つい最近も1度ありました。
いまさら、なんでこうやって書いてるかというと、こういう不安や恐怖心をやり過ごしたりした経験って、自分でも忘れちゃうんですよね。そんなことすら無かった様に思う訳です。
それはそれで健全だし、むしろ忘れちゃった方がいいとも思うのですが、また別種の不安や恐怖心に遭遇した際の為に「昔も似たようなことがあったけど、なんとかしてきたよ」と、自分に向けて残しておきたい気持ちになったのです。
新しい不安や恐怖に押しつぶされそうになった時、ふとこのブログの記事を読んで、「ああ、忘れてたけど、そんなことがあったな。じゃあ今度もなんとかなるか」と思って欲しいのです。