才能とは夢を見続けられる能力のことである [それでもどっこい生きてます]
こんにちわ。
「才能とは夢を見続けられる能力のことである」、これは鴻上尚史さんのコトバです。
このコトバを見た時(20代前半)は、このことを能動的な能力のことだと理解していました。ただ、最近は受動的な能力という意味で言っていたのだろうか?と思う様になりました。
「(みずから)夢を見続けられる」のではなく、「(おのずから)夢を見続けられる」ということです。さらに一歩進むと、人からは「夢を見続けられる」人と見られても、本人としては「(いやおうなく)夢を見続けさせられている」になるのかも知れません。
今読んでいる本は、古代中国、江戸、明治など、色々な時代に生きながら、自分からの行為としての「自ら(みずから)」と、大いなるものから受けるものとしての「自ずから(おのずから)」について、自分の問題として考え続けた人たちについて取り上げています。
まさに「古今東西、むむむ本」です。
先日の日記で書いた人以外に、国木田独歩が出てきました。この人の作品は読んだことないのですが(小学校で読んだかも...?)、なかなかわたしにとっては興味深い人のようです。
今度、文庫本をあさってみたいと思います。
半分ほど読んだのですが、この本はかなりアタリでした。今の自分にぴったりです。内田樹は「本を読むのはなく、本が読む。本から自分を呼ぶ時がある」といっていますが、そのコトバにふさわしい本です。
この本を読んでいて思うのは、むか~しから色々な人が悩んで考えてきたことを、自分もまた悩んで考えている、その点、何百年経っても何も変わりもない、ということです。何か不思議なような、当然なような、微妙な思いですね。
では、また!
コメント 0