SSブログ

「人に言えない習慣、罪深い楽しみ」高橋源一郎 [それでもどっこい生きてます]

こんにちわ。

「新・考えるヒント」、読み終わりました。

考える、というよりは、考えて突き抜けて(筆者の言い方だと「底が抜けて」)、その先に現れるモノ、その普遍的なモノについて、書いてあった様に思います。

んで、

「人に言えない習慣、罪深い楽しみ」高橋源一郎

を読み始めました。
書評なので、さくさくと進んでいます。しかし、高橋源一郎は文章がうまい! テンポがすばらしいです。
この本で、紹介している本は、どれも面白そうに見えてくるので不思議です。やっぱり書評とか、何かを評価するものは「その人にとって良いと思ったもの」「その人が面白いと思ったもの」を取り上げてくれる方が、読んでて気持ちいいですね。
けなすだけの評論はみたいないです。

昨日、教育TVで、「メディアがひらく教育の未来(3) 教室にアーティストがやってきた」と題した番組をみました。
小学校の自由活動の時間(自主的なんとか?)に、アーティストを呼んでみた学校の体験レポートの様なものだったんですが、アーティストの人たちと学校の先生との考えのギャップがすごかったです。

アーティストの人達(作曲家とダンサー)は、子供に答えを求めず、やりたいことを見つけるまでは、自分達も一緒に遊んでしまえ!という考えだったのに対して、教師の人達は「この学習で~を養う」「豊かな人間性をはぐくむ」など目標がない授業は意味がない、と考えているようでした。
布団で横になりながら、アーティストの人達に共感する一方で、教師の人達に対する怒りににた感情が沸いてきていました。

「おいおい、どこに子供をつれてこうとしているんだ?」

ことばにすると、こんな感じでしょうか。

ただ、教師の人達も必死なんですよ。それは見ていて良く分かりました。分かりましたが、「コイツらが!」という気持ちはぬぐえませんでした。
また出てきていた女性の教師の人が、もう、、、なんというか、、、ガッチガチなんですよ。
出てくる言葉ひとつひとつが、きれいで正しく、それゆえまったく意味を持たない、そんな感じでした。

教師は、子供に対して、という理由ではなく、親や校長や他の教師に対して、という理由で、そういう行動を取っているのかもなぁ、と思いました。

そこまで行って、ぐるっと回って、どうしたらいいんだろうか? となったわけでした。むむむ。

では、また。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。