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日記をつける、ということ [それでもどっこい生きてます]

こんにちわ。

「俘虜記」で、兵士がよく日記をつけているのはなぜか?という話が出てきます。
筆者である主人公は、過ぎ去り行くだけの自分の生活を言葉に残し、読み返す、という行為をナルシシズムとして嫌悪していました。
ただ、捕虜になり退屈な毎日を送っていた主人公は「書く」という欲望に目覚めます。
そして、毎日を反省したことを書き綴っているうちに、「遂に自分が何者でもない、こうして南海の人知れぬ孤島で無意味に死んでも、少ししも惜しくはない人間だ」という確信に達します。
そして彼は、兵士が日記をつける習慣について、「彼等とてもそれを後日読み返す希望を持ち得ないのは私と同じである。彼等はただ毎日反省して自分をいたわる習慣を持ったにすぎ」ないと理解します。

自分をいたわる習慣としての日記。

自分なりに解釈すると、「今日一日の反省を言葉として外にだしてやり、自分とはまた別なものとして扱い、眠らせてあげる」といったところでしょうか。
辛く先が見えない毎日であればこそ、昨日の反省をも背負っていき続けることは難しい、とでもいえるでしょうか。

んじゃ、また~。


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