1400と悪人正機 [それでもどっこい生きてます]
1400HIT~。
それはさておき、今日は浄土真宗の築地本願寺へ公開講座を聞きにいきました。テーマは「悪人正機」。
親鸞関連では一番有名かもしれませんが、「善人なほもって往生をとぐ いわんや悪人をや」というヤツです。
池田行信さんと中西智海さんという二人のお坊さん(?)の講義。
人が成してしまう悪行を、生まれながらの業としてとらえる、というようなお話がありました。
そもそも生まれてきたこと自体が自分のコントロールの埒外であるわけで、生きていくことも自分のコントロールにあるわけではない。それを宿業としてとらえ、後は、宗教的にどういう救済の流れるになるのか、という様なことでしょうか。
私にとって刺激的だったのは、「それがそうある(そうあってしまう)こと」と、「それをそれとした救済の原理」は別だっていう部分でした。
「何かが分かれば救われるわけではない」というのは、ちょっと良い言葉でした。
救われようと強く思ったときに、救われるために何か根本的なことを知ろうとすることは、必ずしも救済にたどり着くわけではない。ふーむ。
宗教と哲学、また自分の生き続ける指針の模索、などは、微妙に違うものなのかも知れません。自分で考え続け更新していく宗教、というものがあるのかどうか分かりませんが、宗教と考えることは似ている様でいて、全然違うんでしょうね。むむむー。
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