「失踪日記」を読み返し、自戒を込めてゲーム業界を思う [それでもどっこい生きてます]
「失踪日記」を読み返す。
「うつうつひでお日記」を読んで、もう一回読みたくなったのです。
漫画家としてデビューしてからの日々をつづった部分で、「どうせ仕事で好きなマンガはかけないから、同人誌でやる」というくだりがあるんですが、良く考えるとこれってマンガ業界としては、とてもおかしなことじゃないでしょうか?
だって仕事とはいえ漫画家なわけで、自分が好きなマンガがかけない、なんてのは変じゃないですか。
もし、それが当たり前とするなら、ほとんどの漫画家が「好きでもない作品を描かされている」ということになりますよね?
なんだそりゃ、って思うわけです。
当然、「仕事なんだからしょうがない」っていう考え方はあると思います。
「お金貰ってて好きな事やれるなんて思うな」という考え方もあると思います。
でも、それらの考え方が当たり前の業界は、率直に言ってかなり腐っていると思うのです。
「何のためにマンガを世に出すのか」
もちろん、読者に喜んでもらうためです。そのはずです。
でも、作者が面白いと思っていないものは、絶対に読者に見破られます。絶対です。
今のゲーム業界にも同じことがいえます。
「仕事なんだからしょうがない」
「お金貰ってて好きな事やれるなんて思うな」
が当たり前になっています。
もちろん、任天堂やカプコンやアイレムなどなど、ユーザーと向き合って、面白いゲームを出している会社もあります。
でも、多くの会社が「仕事」をしてるんじゃないでしょうか。
開発者が「仕事だからしょうがないよ」を逃げ道にしてるんじゃないでしょうか?
「何のためにゲームを世に出すのか」
もちろん、ユーザーに喜んでもらうためです。
発売されて、ユーザーから「面白い」の一言をもらえたときのうれしさ。
ユーザーからのアンケートはがきが、本当にうれしいこと。
作ってよかったと思える瞬間の数々。
でも、開発者が面白いと思っていないものは、絶対にユーザーに見破られ、「クソゲー」と呼ばれます。
「なんでこんなゲームになってしまったんだろう・・・」という後悔に苦しめられます。
「こんなはずじゃなかった」と毎回思うわけです。
もちろん理由はさまざまありますし、言い訳も山ほど思いつきます。
でも、そのほとんど、いや全部は内向きの理由で、ユーザーには関係ありません。
ユーザーからみて「面白くないゲームである」という一点は動かしようがないのです。
失踪日記に、
「私が少しずつ漫画に情熱を取り戻せたのは 山下洋輔さんの「好きなことをやってないやつの顔はゆがんでいる」という言葉と、同人誌で好きなように描いているアマチュアの人々に後押しされたからかな」
という文が出てきます。
とりあえず、自分が楽しく前を向いてゲームを作ること、それが必ずユーザーに伝わると信じること、そこからしか始まらないと思うわけです。
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