気が狂いそう [それでもどっこい生きてます]
朝帰りがたたって、昼夜逆転中。
だらだらとWebを見る。
【いちヘルパーの小規模な日常:lessorさんの「苦境」について】
【いちヘルパーの小規模な日常:或る苛立ち】
また心の変なボタンを押されてしまう。
昨日のblogには書きたかったけど書けなかったことがある。
でも、深夜なら書けることもある。
誤解されることが分かっていて、それを想像して自分がダメージを受けることが分かっていても(「想像力だけが自分を傷つける」by鴻上尚史)、深夜なら書けることがある。
自分は、ボランティアとかなんたら支援活動に、とても強く興味を持っている。
ちょっと脅迫的な感じもある。
なんでか?
わからない。
いい人になりたいだけ、ちゃうんか?、とも思う。
罪悪感にさいなまれているのか、とも思う。
自分はいまだにこの気持ちに名前を付けられません。
【2006年2月12日:「<野宿者襲撃>論」生田武志】で書いたことは、今も変わっていなくて、このちょっと悲壮でアブナい感じや、自分にとっての切実さ(支援される方の切実さではなく)がなんなのか、まったく分からない。
しかし、こういう催しに行くってことが、なんとなく恥ずかしかったり、人には言えない感じがあったりするのは、なんなんでしょうね?
【2006年8月21日:レバノン/イスラエル停戦を願うキャンドル・アクション(アムネスティ)】で書いたことも、まったく変わっていない。
ちょっと違った角度の話。
今は嫌いでみることもない日テレの24時間テレビだけど、小さいころあの番組は自分にとって特別な番組だった。
コカコーラの瓶に一年間貯めたお金を持って並ぶ人の列。
次の年に放送される、募金のお金の使い道。
小学生の時に剣道をやっていて、その地方大会がいつもこの24時間テレビの放送の日で夜更かしすることができず、ものすごく悔しい思いをしたことをとてもよく覚えている。
あそこには、多くの人の「何か人のためになることをしたい」という切実さがあったと思う。
でも、それだけじゃない。
あの当時、一般人がテレビに出れる、ということは大きかったと思う。
芸能人に会える。握手もできる。
大手をふって深夜に街に出ることができる。
手塚治虫のアニメも見れる。
北海道の端っこに住んでた私は、あの「お祭り」に参加したくてしょうがなかった。
それは、「地球横断ウルトラクイズ」に出たかった気持ちと、多分、あまり変わらない。
「何か人のためになることしたい」という表立って表すことができない気持ちを、気持ちよく吸い上げてくれる「装置としての24時間テレビ」は、今考えると、とてもステキなものだったと思う。
今、24時間テレビを見る気にもならないのは、そういう気持ちを「吸い上げさせられる」からかも知れないし、そう自分が思い込んでいるからかも知れない。
昔はよかったと言いたいわけじゃない。
昔だって今とそれほど変わるわけじゃない。
でも、なぜか私は無邪気に「そっち側」にいけない。
もう小銭の入ったボトルを抱えて並べない。
自分は甘えた平和ボケしたヤツではないと、すべて世の中は戦いなのだと、誰に向かって言いたいのかも分からずに叫びつつける。
それと同時に小さいころの自分から、それでいいのかと、常に問いかけられる。
わからない。
自分がどうしたらいいのか、どうしたいのか。
★ ★ ★
叫ばなければ やりきれない思いを ああ 大切に捨てないで (人にやさしく by THE BLUE HEARTS)
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