シクラメンとの出会い [いま、ここ、わたし]
今日、よく行くカフェに行く途中にある花屋さんで、白いシクラメンに出会いました。
一目惚れして買ってきたんですが、ずっとシクラメンが欲しかったので、ものすごい嬉しいです。
実は今日、このシクラメンに出会う前、家にあった枯れてしまったシクラメンを処分したところでした。
★ ★ ★
その枯れてしまったシクラメン。
実は、去年の兄の葬儀で急に紋別へ帰った時、半分だけ枯れて、半分だけ生き残ったものでした。
なぜか、本当にきれいに半分だけ枯れたのです。
そのぴったり半分枯れた感じが、自分が兄の死で感じていた、体の中が半分空っぽになった感じととても似ていて、不思議に思いつつ、大切にしていました。
今まで、シクラメンは好きでたまに買っていたのですが、だいたい2年目には枯らしてしまっていたのに、このシクラメンは次の年も咲いた初めてのシクラメンでもありました。
↑これが半分枯れた状態ながらも、花をつけたシクラメンです。嬉しかったなぁ。
そんな大切なシクラメンですが、10月の台風の際に水浸しにしまい、残っていた半分も枯れてしまいました。
多分枯れてしまっただろうと思いつつ、いままで捨てられなくて、とってあったんです。
最近、シクラメンが欲しくて、気に入るのがないかな、とたまに花屋をみていたのですが、どうしてもピンとくる物がありませんでした。
それが、思い切って捨てたその日に、新しいシクラメンに出会うなんて、なんだかとても不思議です。
売っていた花屋さんは、前から少し気になっていた花屋さんで、今日初めて入ったお店でした。
「店先のシクラメン、とてもいいですね」と言ったら、店長さんらしき方が「そうでしょう?うちはシクラメンはいいものしか入れないの。そのシクラメンは市場で、絶対買ったほうがいいって勧められたのよ」と言っていました。
そんなシクラメンと出会えたことは、とても幸運で嬉しいことです。
★ ★ ★
兄の死で自分の体が半分からっぽになった感じは、実は兄の一周忌の法事の最中に変わりました。
住職がお経を読んでいる間、この感じをどうしたらいいのかなあと思いながら、心の中で兄に相談していたんです。
その時までは、からっぽになっている半分が、元に戻ることをどこか期待していたと思います。
兄にもそのつもりで相談していました。
でも、そんな相談をしていた最中、すっと、もう半分残っていた部分が消えていったんです。
びっくりしました。
結果、自分の中が全部空っぽになったんです。
でも、その時、分かりました。
ああ、半分からっぽになった場所にベンチを置いて色んな人に座ってもらっていたけど、これからは全部を使って自由に色んな人に遊んでもらえばいいんだな、って。
自分の中が半分だけじゃなく、全部空っぽになるなんて怖いし、そんなこと想像もできなかったけど、そうなってみたら、とても楽になった感じがしました。
兄も子供の姿に戻って、その中で自由に遊んでいる感じがしました。
その感じは、今もそのまま続いています。
だから、シクラメンが枯れてしまったことは悲しいけど、それでいいのだと思います。
そして、それでいいときちんと思えたから、新しいシクラメンに出会えたのだと思います。
新しいシクラメンさん、これからよろしくね。
一目惚れして買ってきたんですが、ずっとシクラメンが欲しかったので、ものすごい嬉しいです。
実は今日、このシクラメンに出会う前、家にあった枯れてしまったシクラメンを処分したところでした。
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その枯れてしまったシクラメン。
実は、去年の兄の葬儀で急に紋別へ帰った時、半分だけ枯れて、半分だけ生き残ったものでした。
なぜか、本当にきれいに半分だけ枯れたのです。
そのぴったり半分枯れた感じが、自分が兄の死で感じていた、体の中が半分空っぽになった感じととても似ていて、不思議に思いつつ、大切にしていました。
今まで、シクラメンは好きでたまに買っていたのですが、だいたい2年目には枯らしてしまっていたのに、このシクラメンは次の年も咲いた初めてのシクラメンでもありました。
↑これが半分枯れた状態ながらも、花をつけたシクラメンです。嬉しかったなぁ。
そんな大切なシクラメンですが、10月の台風の際に水浸しにしまい、残っていた半分も枯れてしまいました。
多分枯れてしまっただろうと思いつつ、いままで捨てられなくて、とってあったんです。
最近、シクラメンが欲しくて、気に入るのがないかな、とたまに花屋をみていたのですが、どうしてもピンとくる物がありませんでした。
それが、思い切って捨てたその日に、新しいシクラメンに出会うなんて、なんだかとても不思議です。
売っていた花屋さんは、前から少し気になっていた花屋さんで、今日初めて入ったお店でした。
「店先のシクラメン、とてもいいですね」と言ったら、店長さんらしき方が「そうでしょう?うちはシクラメンはいいものしか入れないの。そのシクラメンは市場で、絶対買ったほうがいいって勧められたのよ」と言っていました。
そんなシクラメンと出会えたことは、とても幸運で嬉しいことです。
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兄の死で自分の体が半分からっぽになった感じは、実は兄の一周忌の法事の最中に変わりました。
住職がお経を読んでいる間、この感じをどうしたらいいのかなあと思いながら、心の中で兄に相談していたんです。
その時までは、からっぽになっている半分が、元に戻ることをどこか期待していたと思います。
兄にもそのつもりで相談していました。
でも、そんな相談をしていた最中、すっと、もう半分残っていた部分が消えていったんです。
びっくりしました。
結果、自分の中が全部空っぽになったんです。
でも、その時、分かりました。
ああ、半分からっぽになった場所にベンチを置いて色んな人に座ってもらっていたけど、これからは全部を使って自由に色んな人に遊んでもらえばいいんだな、って。
自分の中が半分だけじゃなく、全部空っぽになるなんて怖いし、そんなこと想像もできなかったけど、そうなってみたら、とても楽になった感じがしました。
兄も子供の姿に戻って、その中で自由に遊んでいる感じがしました。
その感じは、今もそのまま続いています。
だから、シクラメンが枯れてしまったことは悲しいけど、それでいいのだと思います。
そして、それでいいときちんと思えたから、新しいシクラメンに出会えたのだと思います。
新しいシクラメンさん、これからよろしくね。
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