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家計の見直しと泥流地帯と近代化 [いま、ここ、わたし]

先月今月と家計の見直し中。

1月末から近所のスーパーの水産コーナーでバイトを始めて三ヶ月半ぐらい経ち、大分慣れてきて仕事自体はなんとかなってきてるんだけど、収入はかなり少ない。

そこで家計の見直し。

家賃は変えられないので、月々の食費、光熱費、水道代、携帯料金、自宅ネット回線などなど。

プロバイダーを変えるのもその一環。

あと、韓国語とボイトレのレッスンの回数をギリギリまで減らそうとしてたり。

レッスンはかなりお金かかってるし、やめちゃえば一番簡単なんだけど、まだ、もうちょっとだけ粘ってみたい気持ち。

電車も気軽に乗ってたけど、結構お金かかってるので、極力電車での移動は避けて歩ける範囲で行動してる。

最初は、お金がないことを認めるのが恥ずかしかったし難しかったけど、友達に「お金ない」って言えるようになって、大分楽になって、開き直ってあれこれ見直しができるようになった。

さて、どこまでやれるか気負わずにチャレンジだ。

★ ★ ★

家計の見直しをしてて、いつも思い出すのが、三浦綾子の「泥流地帯」という小説。

北海道に移り住んで、貧しい暮らしをしながら原野を開拓しているんだけど、白米すらお祝いの日に食べるもので、普段はお芋とか質素なものしか食べてない。

それでも生きていけるし、何かをやっていける。

豊かなのがいいのは当たり前かもしれないけど、そうじゃなくても人は生きてきた。

最初に読んだときから、その点がずっとひっかかってて、今の自分に引き寄せてなんとなく支えにしている。



★ ★ ★

まだ読んでないけど、橋本治の「貧乏は正しい!」シリーズを買った。

あと、「’89」と「ナインティーンズ」も。

最近、橋本治の未読の本を何冊か読んだんだけど、そこには橋本治が昭和が終わった時に、はっきり時代の終わりを感じて、そこから色々な作品を書いていった、みたいな本人の言葉があって、ああ、今の自分の感じはそれに近いかもな、と思って、どうしても読みたくなった。

家計の見直しの話とも関連してくるけど、昭和が終わった当時の橋本治がなにを思っていたのか、近代化ってなんなのかをなんで橋本治があんなに繰り返し書いているのか、今ならもう少し実感を持って読める気がしている。

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