広告と付き合う [いま、ここ、わたし]
先日【2021/06/29 韓国語をduolingoで】で書いたとおり韓国語の学習の為【duolingo】というサービスを使い始めた。
無料版は広告つき、有料版は月額717円で広告なしなんだけど、生活費を節約していることもあって無料版のままにしている。
一週間ほど使ってみてduolingoはとても丁寧に作られているなと感じている。広告表示も割とあっさり終わったりして、あくまで学習者の負担にならないようにしてある。
自分は広告が好きじゃなくて、このブログも広告を消したいと思っているんだけど、duolingoを使いながら出てくる広告をみてて、少し感じていることがある。
★ ★ ★
去年から多摩川を散歩するようになったけど、元々加入していた東急のクレジットカードのアプリに歩数を数えてそれに応じて東急ポイントの抽選ができる機能が入っていて、ほぼ毎日散歩するようになったことで、ちょいちょい抽選に応募できたりしてる。
さらに、今年に入って散歩でWAONポイントがたまる【RenoBody】というアプリがあることも知ってこっちも使っている。
どっちもたまにアプリを起動すればいいだけなので、負担にはなっていない。
そんな風に散歩アプリを使っていたんだけど、duolingoを使ってて流れてきた広告に【トリマ】というアプリの紹介があって、これも散歩でポイントを貯めて色々な応募ができるみたいだったので入れ、さらに広告に出てきた【あるくと】と【Coke ON】という散歩アプリもインストールした。
広告がきっかけで3つもアプリを入れたことになる。
「トリマ」と「あるくと」も広告があるので、急に色々な広告を目にするようになった。
あまり広告を見なくなっていた自分としては「あー、今はアプリでこんな感じに広告が流れてくるのが当たり前なのか」と少し新しいものに触れた感じがしている。
★ ★ ★
そんな広告への気持ちの変化があって、ちょっと民放テレビを見てみた。
自分はテレビは持っているけどほとんど見なくなっていて、たまに実家に帰った時に見るぐらいだった。
改めて民放テレビを見てみて、その広告時間の長さにびっくりした。
思えば広告が嫌いになったのは、テレビ番組で盛り上がっている時にわざと中断させて広告を出し、広告が終わった後その続きを流す、みたいなことが一般化してきた時だった。
いつごろだっただろう、高校生ぐらいの時だったか、明石家さんまの番組でそんなことが始まって、せっかく面白い番組なのに気持ちよくみれないなぁ、と思っていた。
でも、民放は無料で番組を放送をしているわけで、番組を作る費用は広告などで得る必要があるから、視聴者になるべく広告を見てもらわないといけない。
こう書いてて当たり前だよなと思うけど、自分はそれをどこか納得していない。
「いいものは広告しなくとも売れる」、そう強く思っているからだと思う。
でも、いいものでも知る機会がなければ広がらない。
だから、いろいろな手段を使って広告をする。
それは理屈にかなっているし、実際そうだろう。
自分もduolingoの広告がなければ、新しいアプリをインストールすることはなった訳だから。
でも、なんだろうな、この微妙な気持ち。
広告は嫌いだけど、それを土台にして色々なものが回っていることは分かる。
それが当たり前になっていることも分かる。
最近、節約生活をしてることもあって「消費」という言葉が気持ちにひっかかってるんだけど、その「当たり前」から距離をとっていると、それが今の自分には「当たり前」ではないことが分かる。
土台が違うというか、見てる向きが違うというか。
でも、いい機会だから広告も見てみて、これからテレビも見るようにしてみよう、という気持ちが湧いてきている。
広告が嫌いだという自分の気持ちは大切だしそれを無視はしないけど、自分の外側にあるもの、違和感を感じるものと一緒にいてみること、それが存在していることを無視しないこともまた大切にも思う。
★ ★ ★
2021/07/13 追記
この記事を読んでduolingo始めたいなと思った方、
【duolingo】
↑のリンクで始めてもらえたら、紹介ポイントがもらえるので嬉しいです!
私のアカウントはhigetamaで検索すれば出てくるので、フォローもお気軽に~。
無料版は広告つき、有料版は月額717円で広告なしなんだけど、生活費を節約していることもあって無料版のままにしている。
一週間ほど使ってみてduolingoはとても丁寧に作られているなと感じている。広告表示も割とあっさり終わったりして、あくまで学習者の負担にならないようにしてある。
自分は広告が好きじゃなくて、このブログも広告を消したいと思っているんだけど、duolingoを使いながら出てくる広告をみてて、少し感じていることがある。
★ ★ ★
去年から多摩川を散歩するようになったけど、元々加入していた東急のクレジットカードのアプリに歩数を数えてそれに応じて東急ポイントの抽選ができる機能が入っていて、ほぼ毎日散歩するようになったことで、ちょいちょい抽選に応募できたりしてる。
さらに、今年に入って散歩でWAONポイントがたまる【RenoBody】というアプリがあることも知ってこっちも使っている。
どっちもたまにアプリを起動すればいいだけなので、負担にはなっていない。
そんな風に散歩アプリを使っていたんだけど、duolingoを使ってて流れてきた広告に【トリマ】というアプリの紹介があって、これも散歩でポイントを貯めて色々な応募ができるみたいだったので入れ、さらに広告に出てきた【あるくと】と【Coke ON】という散歩アプリもインストールした。
広告がきっかけで3つもアプリを入れたことになる。
「トリマ」と「あるくと」も広告があるので、急に色々な広告を目にするようになった。
あまり広告を見なくなっていた自分としては「あー、今はアプリでこんな感じに広告が流れてくるのが当たり前なのか」と少し新しいものに触れた感じがしている。
★ ★ ★
そんな広告への気持ちの変化があって、ちょっと民放テレビを見てみた。
自分はテレビは持っているけどほとんど見なくなっていて、たまに実家に帰った時に見るぐらいだった。
改めて民放テレビを見てみて、その広告時間の長さにびっくりした。
思えば広告が嫌いになったのは、テレビ番組で盛り上がっている時にわざと中断させて広告を出し、広告が終わった後その続きを流す、みたいなことが一般化してきた時だった。
いつごろだっただろう、高校生ぐらいの時だったか、明石家さんまの番組でそんなことが始まって、せっかく面白い番組なのに気持ちよくみれないなぁ、と思っていた。
でも、民放は無料で番組を放送をしているわけで、番組を作る費用は広告などで得る必要があるから、視聴者になるべく広告を見てもらわないといけない。
こう書いてて当たり前だよなと思うけど、自分はそれをどこか納得していない。
「いいものは広告しなくとも売れる」、そう強く思っているからだと思う。
でも、いいものでも知る機会がなければ広がらない。
だから、いろいろな手段を使って広告をする。
それは理屈にかなっているし、実際そうだろう。
自分もduolingoの広告がなければ、新しいアプリをインストールすることはなった訳だから。
でも、なんだろうな、この微妙な気持ち。
広告は嫌いだけど、それを土台にして色々なものが回っていることは分かる。
それが当たり前になっていることも分かる。
最近、節約生活をしてることもあって「消費」という言葉が気持ちにひっかかってるんだけど、その「当たり前」から距離をとっていると、それが今の自分には「当たり前」ではないことが分かる。
土台が違うというか、見てる向きが違うというか。
でも、いい機会だから広告も見てみて、これからテレビも見るようにしてみよう、という気持ちが湧いてきている。
広告が嫌いだという自分の気持ちは大切だしそれを無視はしないけど、自分の外側にあるもの、違和感を感じるものと一緒にいてみること、それが存在していることを無視しないこともまた大切にも思う。
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2021/07/13 追記
この記事を読んでduolingo始めたいなと思った方、
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