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おばあちゃんの指先 [いま、ここ、わたし]

生活はあまり変わりなく続いている。

月給に合わせた節約生活をしつつ、半日バイトに行って、多摩川を散歩しながらゴミを拾い、植え込みの掃除をして花を眺め、ピアノを弾いて、韓国語をやる。

変わったことといえば、数十年ぶりにテレビを見始めたことで、なんとなく昔に戻ったような感覚があるのに、ニュースとかは当然今のことをやっていて、特にコロナやオリンピックの話題をぼんやりと見たり聞いたりしている。

バラエティとかは、昔の「8時だよ全員集合!」とか「オレたちひょうきん族」は好きだったのに、今の番組はどうも笑えないし、共感できなくて見ていない。

NHKを見ることが多くて、NHK教育はやっぱりいいな、と、ここは昔から変わらない感覚。

高校生向けの歴史や科学の番組を仕事明けで見たりしている。

コンピューターに興味を持てたのもNHK教育の「マイコン入門」のおかけだし、NHKとは相性があうんだろうな。

この一年半の間、コロナのことはtwitterに流れてくる情報やニュースサイトを見て情報を得ていたんだけど、テレビのニュース番組や討論番組を見ていると、ものすごい違和感を感じる。

でもそれは、反発とか感情的なもの、というよりは、どこか自分と世間の当たり前が違うんだな、という少し冷静な感覚。

こういう感覚を持ったことは多分今までなくて、不思議に思っている。

お互いに違う当たり前が一緒に存在している、ただそれだけ。

しかも、だからしょうがない、できることはないと諦める感じもなくて、そうなんだな、だったらどうしていこうかな、自分はどうしていきたいかな、という、そういう感じが湧いてきている。

しかもそれが日本の中だけの話というよりは、世界的な当たり前との違和感、という感じもある。

この先に何があるかは、全然分からない。

【この前書いた】ように、おばあちゃんが前の方から抱きしめてくれている感覚があって、最近はさらに手を引いて、どこかに連れて行こうとしてくれてる感じも出てきている。

それは強引という感じではなくて、笑顔で見守りながら、どこか遠くを指差しながら、ゆっくり一緒に歩いていっているような感じ。

今はこれからどうしていくのか、どうしていきたいのか、ちょっと判断がつかなくて、ぼんやりしてることが多いんだけど、多分何かしたいんだろうな、とは思う。

それでも、あまり変わりなく、生活を整え、仕事をし、散歩とゴミ拾いをし、花を育てて、ピアノや韓国語を地道にコツコツ続けるのが、今はいい気もしている。テレビも見ながら。

あ、そうだ、一つだけやりたいことがあった。

来年、トウモロコシをベランダで育てたい。

トウモロコシ(北海道では「とうきび」)は、おばあちゃんが畑で育ててて、毎年とれたてのトウモロコシを茹でて食べるのが夏の楽しみだった。

ふと、自分で育てたいなぁ、と思ったんだよね。

それが来年やるつもりの新しいことかな。

今から楽しみ。

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