SSブログ
いま、ここ、わたし ブログトップ
前の10件 | 次の10件

疲れたー [いま、ここ、わたし]

なんか、やり過ぎなんだろうなー、と思う。

散歩の距離ふやしたり、植え込み掃除したり、仕事でもちょっと無理したり。

なんだろーなー。

特に今日、仕事で「もし余裕があったら、後でこれやってほしい」って言われて、ちょっと無理してやっちゃったんだけど、あんまり余裕なかったんだから、そこまでやる必要ないんだよなー。

前にもその人は仕事で「そこまで頑張らなくていいですよー」って言ってくれたのに、またやっちゃった。

気に入られたいのか?とも考えたけど、これをやるとこうなる、やったほうがいい、できそう、っていう風に思うと、無理してもついついやりたくなっちゃう、って感じがある。

普段の生活でもそうなんだけど、やっちゃえばすっきりすることは、やっちゃいたくなっちゃう。

やってないとそのことについていつまでも考えちゃうから。

やっちゃえばそれで終わりだから楽。

でもなー、それが続くと疲れるし、結果としてやること増えちゃうんだよなー。

散歩も川崎まで歩くのはやりたいなーって思ってたし、気楽に安定してできる気分になりたかったから、慣れるためにここ二週間ぐらいちょいちょい行ってたんだけど、遠いし足も痛くなったりしてるんだよなー。

まー、やらないとわからない、ってのはあるから、やるのはいいんだけど、疲れてるってことはやりすぎなんだろーなー。

池袋でのボランティアもそうだったけど、つい無理しちゃうんだよなー。

来週月曜日は大田区の社会福祉協議会のボランティアもあるし、今週は少し休んだほうがいいかも知れないなー。

やったほうがいいことなんて、どこまでやっても減らないもんな。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

植え込みの掃除をする [いま、ここ、わたし]

今年入ってから初めて家の前の植え込みの掃除をした。

もくもくと草を取る2時間。つかれたー。

去年の秋、植え込み周りの工事があって、植えてた牡丹や球根を全部ベランダに移さないといけなくなった。

悲しかったし、通りすがりに「きれいですね。通るたびに楽しみにしてます」って言ってくれる人もいたから、すごい残念だった。

工事後、ガードレールやブロックなどが取り替えられ、きれいになり、植え込みには新しいつる植物とツツジが植えられた。

ツツジが結構大きくて、あーもーなにも植えられないなー、って思ってた。

だから、草がぼーぼーに生えてきて気になってても、掃除をするところまでは気持ちが動かなかった。

それに、ツツジがちょっと咲いたり(ほんとにちょっとだけ)、つる植物も小さい花をつけたりもした(ほんとに小さいけど)から、まーこのままでもいいのかなー、とも思ったりもした。

お金もないし、苗を買ったりするのも厳しいな、とも思ったりして。

それでも、ずっと気にはなってて、今朝、食料の買い出しをした後、ぼんやりと、あー、やっぱりやるかー、ちょっとだけでもー、と思ってやり始めた。

まぁ、自分でも予想はしてたけど、ちょっとじゃすまなくて、やり始めたらやっちゃいたい気持ちが強く、結局、45Lのゴミ袋4袋分の雑草をとった。

腰も痛くなって、すごい疲れてるのが、今。

やってて思い出したのは、一番最初に植え込みの掃除を始めた時も、なにかを植えようと思ったんじゃなくて、あまりにごちゃごちゃと草やゴミがあったから、きれいにしたかっただけだった。

今回も同じような気持ちでやったことになる。

あ、でも、春に朝顔の種だけは植えたんだ。

去年咲いた朝顔から取った種がたくさんあったから、ツル植物の脇にとりあえず撒いた。

その種たちは元気に育ってきてて、新しいカードレールにくるくる巻き付いてる。

早いやつは咲き始めてもいる。

せっかく朝顔が出てきてるのに、そのままにしとくのも嫌だなーとも思ったんだった。

のびのびと育つ朝顔が、ねー、のびてきたよー、って話しかけて来てる感じがあってさ。

大きい雑草とかも生えてきてて道幅を狭くしてたし。

ジョギングする人も通るからね。

雑草とったら、なにか気分が変わるかなぁ、どうかなぁ、とも思ってた。

そういえば二子玉川の先に行ってみたい花屋さんがあるんだよなぁ。遠いけど。

そこでぼんやり眺めて、安~い日々草でも買って、植え込みに2つづつぐらい植えたら、それだけでも嬉しいかもなー。

そんな気持ちに、今、なってる。疲れながら。

花が咲いてるのって好きなんだよな。

そこに理屈はないんだ。

ただ好き。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

川崎まで歩く。ここはオホーツク [いま、ここ、わたし]

先週ぐらいから多摩川沿いを川崎まで歩いてて往復で4時間ちょっと。

仕事のあとだったりもして、かなり疲れるんだけど、それはそれでいい感じもしてて、川崎の街の中や競馬場の近くを歩くのが好き。

六郷土手も気持ちがいい。

散歩の習慣ができて二年ぐらい。

川崎まで歩くと、その最初の頃の疲れ具合が戻ってくる感じがあって、あー、最初は短い距離でもすごい疲れたし、歩いた感じがしてたなー、って思う。

散歩の前半はアレコレ考えながら歩いてても、後半疲れてくるとどーでもよくなったりして、それがなんかいい感じがしてる。

北海道から帰ってきてから、ここはオホーツクだ、っていう言葉が湧いてきてて、それをつぶやいたりもしてる。

ラゾーナ川崎にある「北海道うまいもの館」に立ち寄ると、なんか涙が出そうになったりもする。

懐かしいの?とか、北海道に帰りたいの?とか、自分に問いかけたりするけど、どれもいまいちピンとこなくて、いまだにこの気持ちがなんなのかわかってない。

実家を出て帰る時、仏壇の前で鐘をならして、おばあちゃん、父さん、兄貴に、挨拶っぽいことをしたんだけど、その時、ものすごいビビビって感覚があって、それもなんなのかわかっていない。

帰るな、ここにいろ、ってことかな?と思ったりもしたけど、なんか違う気がしてる。

でも、その衝撃は強烈だったから、なにかあるんだとは思う。なんだろなぁ。

実家に帰って仏壇に座ったのはその帰る時だけだったから、もし家についたときだったら、どーだったのかなー、おなじインパクトあったのかなー、とか思ったりもしてる。

ここはオホーツク。

なぜか紋別じゃないんだよなぁ。北海道でもない。

あくまでオホーツク。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あと、そうそう [いま、ここ、わたし]

なにかやってると、焦る、ってのがある。

特にスーパーの仕事で気づくことが多いんだけど、ちょっとでも予定や想像と違うことが起こると、軽くパニックになる。

そうなると、手早くやろうとしてさらに失敗したりする。

なにか手違いがあっても、たんたんとやれば終わるんだけど、なんでかそうなる。

怒られる、怖い、って感じてる気がしてるけど、よくはわからない。

今は、あー焦ってるなー、怖いのかなー、怒られるって思ってるのかなー、って自分の気持ちを感じながら、やってる。

特に落ち着かせようともしないでね。


それと、勝手になにかやる、ってのも、怒られる感じがしてやりにくい。

自分がぱっと思いついたこととか、こうすればいいんじゃない?、って思うことを、すぐそのままやれない。

頭で考えて、おかしいところがないか、ほんとにいいのか、って考えるから、なかなか手が動かない。

ぱぱっとやっちゃえばそれでいいのになー、って思うんだけど、そうなる。

その辺は、いま、ぱぱっとやっちゃうようにしてる。

失敗しても、なんとかなるし、やっちゃえよー、って自分に言ってる。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

散歩散歩散歩 [いま、ここ、わたし]

とにかく歩いてる。

今日は仕事の分も含めて3万歩歩いた。

さすがに疲れたけど体が疲れることで頭が楽になる感じもあるから悪くはない。

北海道から帰ってきて5月6月と改めていままでの自分と向き合ってる感じがあって、それは主に人に気を使う自分についてで、それは自分を捨ててる面も強くて、いままで思ったより辛かったんだろうな、と感じてる。

その辛さ自体、わからないようにしてきてるから、なかなか気づけなくて、ややこしい。

あと、なにかに従うのは基本的に嫌いなんだな、とも思ってる。

あえて言葉にすれば、これからの自分は人から嫌われてもいい、怒られてもいい、あくまで自分のままでいく、という感じになっていくのかもしれないけど、あまりイメージはできてない。

今までの自分と違いすぎるんだよな。

でも、そうしたい気持ちがある感じがしてる。

さー、どーなってくのかな。

変にあおらず、ゆっくり行きたい。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ふと、ブログを読み返す [いま、ここ、わたし]

今日は一日予定がなくて、ぼーっとしつつ、散歩したり、橋本治の本(江戸にフランス革命を!)を読んだりしてた。

ふと、ビデオのバックアップをするので立ち上げたパソコンで、なんとなくブログを読み返す。

そっかー、ちょうど去年の今頃、ブログや歌詞の振り返りをしてたんだなー、そっかそっか、と去年と一昨年の記事を全部読み返す。

もっとずっと前な気がしてたし、去年の今頃はまだ韓国語もボイトレもしてたんだなー。

へー。

記事を読みながら、ボイトレで録音した自分の歌を聞いてみたりもして。


こうやって記事書くのも8ヶ月ぶり。

その間、いろんなことがあった気もするし、あまり変わらない気もする。

ブログやfacebookは書いてないけど、インスタには写真を投稿したりはしてる。

なんとなく自分の今を文章にしたくない気持ちがあるんだよなぁ。

体で感じることに自分を慣らしていきたい、みたいなこと。

ブログ読み返したのは良かったし、歌を聞けたのもよかった。

先月は二年半ぶりに北海道に帰って母にたっぷり甘えてきたし、仕事も相変わらず続きつつアレコレやらされることが増えてきて、ちょっと面倒に思ったりもしてる。

ギターもピアノもやってないし絵も歌もほとんどやってない。

韓国語もやってないけど、Duolingoで英語はほそぼそ続けつつ、4月からはNHKのラジオ英会話を聞いてたりしてる。

ずっと続いてるのは散歩。

使う散歩アプリも増えてて、ちょっと無理して歩数を稼いだり大変だったりすることもあるけど、歩くきっかけになったりもしてるから、まぁいいか、という感じ。

多摩川のゴミ拾いは先月からやめた。なんとなくやめたらいいと思ったので。

家の前の植え込みも去年の末に工事があったから、植えてた牡丹や花は今はベランダの鉢に移動してある。

牡丹は今年は二種類しか咲かなかった。

んー、まー、とりあえずそんな感じかなぁ。

こっからどうなるかわかんないことは変わらないな。

また気が向いたら、記事書きまーす。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

父から抱きしめられ、みんなが「おかえりなさい」と言ってくれる [いま、ここ、わたし]

7月29日に書かれた【note:ばんださんの小径 59】を読んでから、父のことを考える時、「父さん大好き」と言って抱きつくイメージを持つ様にしてみた。

私はいつも父から抱きしめられるのを待っていたと思う。

でも、待つんじゃなくて自分から抱きつけばいいんだと、ぱんださんの記事を読んで気づいて、ここ2ヶ月ほど試し続けてきた。少しの恥ずかしさを抱えながら。

そしたら、つい数日前から、今度は父が「お前のことが大好きだよ」って抱きしめてくれるようになった。

その変化にびっくりしてる。

大好きといって抱きつくイメージを持とうとすると、その前に父から大好きだと抱きつかれる。

そして、とても安心した気持ちになる。

この変化はいったいなんだろう。とても不思議。そんなことを狙ったわけじゃないのに。

そういえば以前は小さい自分とよく対話したりしてたけど、最近小さい自分はほとんど顔を出さなくなって、代わりに父や母や祖母と話すようになっている。

母は存命で月に数回電話で話すから今までイメージにはあまり出てこなかったんだけど、最近は父や祖母と同じく一緒にいてくれる感じが強くなり、たまにイメージで会話をしたりする。

ああ、それと、この前家を出た時に「ここは自分の家だ」という強い感覚が襲ってきた。

少しびっくりして、そして嬉しかった。

賃貸であっても長く住んで気に入っている場所なら「自分の家」になるんだな、と思った。

それ以来、部屋にある物達が「いってらっしゃい」とか「おかえりなさい」と言ってくれる感じがしてきて、それまでは「行ってきます」とか「帰ってきたよ」とかこちらから一方的に話しかけるだけだったのに、先に向こうから話しかけてくれる感じになってきた。

これも父との関係の変化に似ている。

いまのままの自分で受け入れてもらえることは、安心することなんだな、と改めて感じている。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

全レッスン一旦終了 [いま、ここ、わたし]

先日の9月16日、思い立って韓国語のレッスンと音楽のレッスンをやめることにした。

色々節約している中でお金の負担が大きかったこともあるんだけど、それ以上に好き勝手にやりたい気持ちが強くなってきて、レッスンという枠を飛び出したくなったことが大きい。

韓国語は3年、音楽は2年続けた。

韓国語のトレーナーからは「3年続きましたね。立派に卒業ですね」と言ってもらえて、音楽のトレーナーからも「私も色々学びました。これからも納得行く形で活動できることを祈ってます」と言ってもらえた。

せっかく続けてきたことをやめるのは抵抗があったし、レッスンの枠があるから続けられていたと思っていたので、レッスンを降りると続けられなくなるよなぁ、とも思っていた。

でも、やめるときっぱり決めてから数日が経って、今朝ふと「気楽で楽しい」と思った。

自分が思ったより長い間負担になっていて、何かの枠に縛られてる感じがあったんだろう。

語学も音楽も、どっちもこれからどうしていくか先は見えてない。

とりあえず【2021/06/29 韓国語をduolingoで】に書いたduolingoは今日で87日目でずっと続けていて、韓国語コースはボリュームが少なめでもう終わってて、今は英語のコースをやっているところ。英語が終わったら中国語をやって、その後、英語話者向けの韓国語コースをやろうかな、とぼんやり思ってる。

音楽については、楽器の方向はどうしていくか分からないままだけど、歌については歌詞を歌うんじゃなくて単にメロディを口ずさむことをしてみたくなって多摩川を散歩しながら試してる。言葉の前に音だけで感じるものがどういうものか、それを感じたい。

ギターはクラッシックギターを試してみたい気持ちがあるものの、買うお金もないしどうしようかな、と思ってる。

絵と同じでじっくり自分がやりたい気持ちになるまで待とうと思う。

そういえば韓国語のトレーナーは「語学の素地はできてるから、あとはやりたくなったらやれますよ」って言ってたな。自分の経験でもそうなんだって。

とにかく気持ちが軽い。

決めてよかったな。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

楽器と仲良くしていくこと [いま、ここ、わたし]

今日は久々に音楽のレッスンに行った。

6月からレッスン回数を毎月二回から一回に減らし、さらに先月は他の予定とぶつかってキャンセルしたので二ヶ月ぶり。

【2021/06/10 歌うこと】で書いたように、前回のレッスンからピアノをはじめたんだけど、最初のわくわく感の割にはあまり練習しないまま今日を迎えた。

ボイトレの時はレッスンに行く前に歌いたい歌をアカペラで歌って録音し、先回りトレーナーの方に送っておいて、レッスンではその歌の伴奏をしてもらいながら歌うということをしてた。

朝起きて、どうしようかなぁと思いつつ、ちょっとピアノを弾いてみてたんだけど、どうも気持ちが乗らない。

じゃあ、ピアノは一旦忘れてなにをしたいか考えたら、去年【歌詞をつくるワークショップ】で作った自分の歌を歌いたくなったので、それを録音しながらアカペラで歌ってみた。

歌ったのは、
【2020/09/10 歌詞#11 ひとつの家を】
【2020/06/11 歌詞#08 草木はおどる】
【2020/05/05 歌詞#07 思いを歌に光を支えに】
【2020/03/12 歌詞#05 小さき種の】
の4つ。

歌いながら泣けてしょうがなかった。

一年経ったことで自分の歌を客観的に感じられて、その時自分がなにを想っていたのか、なにを伝えたかったのか、よくわかった気がした。

「あー、そうだったのか・・・」そんなことを強く感じた。

それは、今年に入って父や祖母が自分に与えてくれたものがなんなのか、自分では当たり前だと思っていたけど、それは当たり前じゃなくて与えられたものだったんだ、という感覚と連動している。

父や祖母が与えてくれたものがあるから、こういう歌詞をかけたんだなと思う。

それは本当にありがたいことで、嬉しくて、大切で、愛おしいものだ。

それらをこうやって表すことができてることがその気持ちをさらに強くする。

嬉しくて泣くほどに、今の自分を支えるものになっていると思う。

★ ★ ★

アカペラで歌った後、やっぱりピアノ伴奏で弾き語りもしておこう、うまく弾けなくともいいから今の自分にできることをやってトレーナーの方に聞いてもらいたいと思えて、いままでボイトレで歌ったことのある曲をいくつか弾き語りで録音した。

歌ったのは、白鳥英美子「Melodies of Life」、竹原ピストル「虹は待つな橋をかけろ」、一青窈「ハナミズキ」、元ちとせ「ワダツミの木」、KAN「愛は勝つ」の5曲。

どの曲もピアノで一度ぐらいは弾いたことはあるけど、きちんと弾き語りするのは初めてで、かつ自分の声に合わせてキーを上げたものもあったのでコード進行が変わってなかなか大変だった。

それでも思ったよりは弾けたし歌えて、トレーナーの方から「え?今朝いきなりやったんですか?聞いた時、この二ヶ月随分練習したんだなって思いましたよ」と言われもした。

前回のピアノレッスンの後、家で少しやった時も思ったけど、初めての曲でも思ったより弾くことができて、特にギターと比べるとピアノは自分には弾きやすいようだ。

でも、逆に拍子抜けなところもあり、ここからなにをしていけばいいかよくわからないところが多い。

今日はそのことも話していくつかアドバイスももらった。

音楽や楽器に関する知識がとにかく少ないので、ギターでもピアノでも、どんな弾き方があってそれらがどんな印象を与えたり、歌との相性がどうなのかとか、全然わからないから自分だけだとまったくアイデアが出てこない。

そういう点で先月レッスンできなかったのはちょっと厳しかったし、今日レッスンできたのはよかった。

それでも、漠然としてる感じは依然強くって、これからなにをどうしていくか手探りは続きそう。

ピアノをやってみて改めてギターの良さも感じてるから、両方を混ぜつつとにかく何かをやっていくんだろう。

作曲をしてみたい気持ちも少し湧いてきてるのでそっちもやってみるかも知れない。

そんな感じでいろいろわちゃわちゃしてるけど、どうやら「自分で作った歌を歌いたい」という気持ちは確からしいので、それを軸に楽器と少しづつ仲良くなれたらいいなと思う。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

苦しさの原因を知る [いま、ここ、わたし]

【さっきの記事】を書いてからも苦しさは減らなくて、友達に話を聞いてもらった。

話しながら気づいたのは今の苦しさの原因はさっきの記事に書いたことよりも、2018年に杉田水脈とすぎやまこういちのLGBTに対する差別発言のことを思い出しているからだ、ということだった。

オリンピックの開会式でドラゴンクエストの曲が使われるらしいということで、私のタイムラインにはすぎやまこういちが2018年にした発言について沢山のツイートが流れてきていた。

3年前の2018年のちょうど今頃も、その記事のことが沢山タイムラインに流れてきて、とても辛かったことを覚えている。

その時、自民党前への抗議活動があり、直前まで迷いながらも参加したが辛さはずっと変わらなかった。

前の記事に書いたことも自分の感じていることではあるけど、辛さの根っこはこっちの方にある。

記事を書き、友達に話して、自分が言いたいことは違うところにあると気づくことができた。

また自分が否定されている、そういう感覚。

すぎやまこういちの曲が喜ばれることと自分の否定は直接は繋がらないのに、自分の中では繋がっていて、それが辛さになっている。

まずは、そのことだけ書いておこうと思う。

コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | 次の10件 いま、ここ、わたし ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。