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散歩の量を少し減らそうかな [いま、ここ、わたし]

いつごろからか毎日2~3時間散歩するようになってる。

散歩アプリで稼いだりミッションをクリアしたい気持ちがあって、その影響も強いんだけど、それでもただ歩いてみたい気持ちで歩いてた。

二子玉川や川崎なんて遠いところまで行ってみたりしたのも、やってみたい、慣れてみたいと思ったから。

電車に乗らないで行けるって、ちょっと面白いし、お金もかからないし、歩くことと電車に乗ることを体感として比較できるってのも好き。

交通機関がない時代は、みんな徒歩で色々移動してたんだよなー、と思ったりもして。

それほど昔の話じゃないし、むしろ交通機関がある今のほうが特殊だったりするわけだし。

そんなこんなで歩いてた。

でも、この前の4連休で意外と疲れてるなーと分かったから、休む時間を多くして、散歩を減らそうかな、と思ってる。

今日もいつもより半分ぐらいで帰ってきた。

あ、そうそう。

私が2~3時間散歩してるって職場で話してたら、歩くのいいね、って思った人が散歩をはじめたんだよね。

しかも二人。

それを聞いて、あー散歩しててよかったなー、話して良かったなー、って思って、なんか散歩した目的がちょっと達成された、みたいな気分になってることも、減らしていいかな、と思った理由。

あと、散歩アプリも1年ぐらい続けてるやつが多いけど、ミッション関連がかなりクリアされてきて、もうあんまりガチガチにやらないでもいいよなー、とも思ってるから、それもまた一つの理由かな。

いろんなポイント稼ぐアプリもやってるけど、それとかはやればやるほど稼げるからキリがないしね。

灯油代の足しにしたいTポイント、ケンタッキーを買いたいpontaポイント、飛行機代にしたいANAのskyポイント、あとamazonポイントや現金化できるやつは、地味に続ければいいし。

去年の11月にリリースされてすぐはじめたピクミンブルームもレベル88になってて、同時に初めた友達に「なんでそんなレベル高いの!?」と驚かれるぐらいだったりするし。


そんなこんなで歩く量を減らすかもしれないし、やっぱり歩くのかもしれない。

これだけ散歩をして感じてるのは、ただ体をつかう、感じる、受け取る、ってことはとても自分に大切だということ。

いろいろ迷ったり、ぐるぐる考えたりしてても、散歩をすると楽になる。

いままでなにかを解決したり、進めたりするには、考えて、目標を立てて、課題を乗り越える必要があると思ってた。

でも今はそう思わない。

自分を信じて、体で感じながら、必要なことをやればいいと思う。

何かで自分を覆ってしまうのではなくて、素の自分で力を抜いて、やることをやる。

いままでいろんな本を読んできて、そういう風に書いてた本に沢山出会ってきたはずだけど、そうしなきゃいけない、そうすべきだ、と受け取っていた時点で、ずれてたと思う。

そうやって、何かで自分をひっぱるんじゃなくて、自分の体感を育てて、自分の内側から自然に出てきたものと、自分の外側に自然にあるものをただ感じて、一緒にやれることをやればいい。

散歩をしてて得られた一番大きいことは、そういう気付きだ。

何も否定しない。

ただただ受け止めていく。

そうすることでねじれたものに気づけて、ほどけていく。

これからも散歩を続けつつ、散歩じゃないときもその感じを持っていれば、そういうことが起こっていくんだと思う。


そうやって気持ちが楽になって来て、その上で散歩に使ってた時間を少し他のことに回せたら、また何か変わったことが起こっていくんじゃないかなーと思ってる。

ちょっと前、二人の別な人から「あなたといると安心する」って言われて、自分ではよくわからないけど、何かが始まってるんだなって感じがした。

来月は、人前で即興ダンスをする機会ができたし、友達と会う機会もちらほら決まっている。

ただただ力を抜いて、ただただ自分を感じて、やっていきたいな。

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仕事をしてても不思議な気分 [いま、ここ、わたし]

久々の仕事。

いつも通りにこなしつつ、4連休の感じも持ったままやってたら気持ちは楽だった。

体は疲れたから、帰ってきて昼寝はしたけども。

そういえば、土日に駅前の盆踊りの集まりに少し混じって、太鼓に合わせて手拍子うったり、焼きそばを買ったりしたけど、なんかそれがすごいインパクトがあって。

なんだろう。なんていえばいいんだろう。

人との垣根のなさ、距離感の近さ、勝手に手拍子を打っちゃう楽しさ、屋台に並ぶ子供とちょっとした話をしたりする嬉しさ。

自分はこういうの、すごく好きなのかもしれない。

お祭り感、みたいなもの。

なにかが平らな感じが、すごく嬉しい。

その感覚を思い出しながら仕事をして、散歩して、それがとても心地いい。

勝手にお祭りをする。

勝手に周りを平らにする。

考えてあれこれやるんじゃなくて、体感としてそういう感じを持つだけでいい。

それだけで自分が楽だし、周りに伝わる気もする。

とにかく、感じたことのない心地よさがすごい。

体に風が流れてるみたい。

最近の不思議感は、この辺のことなのかもしれないなぁ。

今読んでるティク・ナット・ハン「法華経の省察―行動の扉をひらく」も影響してる気もする。

この本に書いてあるのは新しいことというよりも、今の自分にとって当たり前のことで、納得感しかないけど、知識としてじゃなくて、まずは体を使って体感することを後押ししてくれてる感じ。

少し前なら、こういう本を読んでも、具体的に体感に結びつけるのはできなかった気がする。

そういう意味では少しづつ、なにかが変わっていってるんだろうな。良い方向に。



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4連休終わり [いま、ここ、わたし]

明日から仕事。

ここまでゆーっくり休んだのは、去年の1月末に仕事はじめてからはじめてかな。

どこにも行かず、無理もせず、寝て起きて、ご飯食べて散歩して読書する。

録画してあるテレビ番組をみたりもして。

前の仕事をやめて、今の仕事するまでの三年半ぐらいは、こんな生活をしてたんだよなーと思う。

たくさん寝てみて思ったけど、やっぱり日々の仕事で疲れているみたい。

朝早いし、勤務中は6時間まったく休む暇なく作業してるし。

やりすぎといえばやりすぎなんだろうな。

でも、まぁ、ここまでやっちゃいたい、終わらせてすっきりさせたい、みたいな気持ちでやってる面もあるから、しょうがないのかもしれないけども。

たくさん寝て、ぼーっとしてると、「あー、本でも読もうかなー」って思える。

今は図書館から最低一冊は本を借りてるんだけど、なかなか読み進まなかったりして、それはやっぱり疲れてるからだったりするんだろうな。

ゆっくりするって、大切だね。

4連休では、ちょっとおやつを多めに買って食べたり、駅前で3年ぶりに盆踊りをやってて、そこの出店で焼きそばかったりして、すこし贅沢なこともした。ほんとにすこし。

さて、明日からどうなってくかな。

職場の人がひとりコロナにかかってしまったから、1週間ぐらい忙しい日が続きそうではある。

それでも仕事以外の時間は、ゆーっくり寝て、ゆーっくり散歩して、ぼんやりして過ごそう。

そうして日々の生活を体で感じていくことが、今の私には必要だと思える。

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「英会話☆定番レシピ」はじめてみる [いま、ここ、わたし]

4月からはじめたNHKのラジオ英会話。

テキストをネットで注文してあって、毎月、来月分が一冊送られてくる。

仕事が休みの日は朝6:45から、仕事がある日は夜9:45から聞いてる。

結果的に月曜日~金曜日ほぼ毎回やってるけど、眠いとか疲れてやりたくない日はやらないでいる。

無理して嫌になったら嫌だから。

語学アプリduolingoも一日のレッスン回数を減らしつつ毎日続けてる。

でも、一つやってなかったのがあって、それがNHK教育でやってる「英会話☆定番レシピ」。

ラジオ英会話と同じくテキストも買ってあるから、毎月送られてくるし、nasneで予約録画をしてあるからいつでも見られる状態にはある。

でも、なんとなくやる気にならなくて、ずっと放置してあった。

気が向かなかったらやらなくていい、って思いつつ、録画リストがむっちゃ増えてるのがずっと気にはなってた。

4連休だから、もしかしたらやる気になるかなー、と思いつつ、まずは無理せず体を休めることにしてたんだけど、さっきちょっと気が向いたからやってみた。

大西泰斗さんというラジオ英会話と同じ講師のこともあるのか思ったよりは負荷なくできた。

まー、これからちょっとずつやっていければいいかな。

自分がなんで特に目的もなく英語をやってるのか、いまだによくわかんないんだけど、少し前にひとつ思い浮かんだのは中学のときの担任の先生に英語を褒められたこと。

その先生に勧められて中1の秋に英検4級(だったはず)を受けたら受かって、なんとなく不思議な気分になったことを覚えてる。

でも、その後、特にすごくできるようにはならなかったし、高校では他の勉強も適当にやってたこともあって、なにも成果は得ていない。

あ、そうだ。

たしか高校の時、Wizardryっていうアメリカの有名なRPGが日本でも発売されたんだけど、翻訳はされてなくて全部英語で、でも、特に違和感というか拒否感がなかったのは、その先生に褒められたことで英語に対する抵抗感みたいなものを持たなかったからかもしれないなぁ。

ゲーム自体の攻略方法とかは日本語の本が出てたから、それを見てたと思うけども。

ん?

よく考えたらプログラミングも全部英語か。

そういう意味では、コンピューターが好きだったことも英語に抵抗感を持たなかった理由のひとつなのかもしれない。

韓国語もそうだけど、なんとなくやってみたい、という気持ちだけでやってる。

それでいいのかもな。

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不思議は続くよどこまでも [いま、ここ、わたし]

ふーしぎは つづくーよー どーこまーでーもー

そんな8月。

久々に即興ダンスのメンバーと一緒に過ごしたり、ちょっとしたイベントのお手伝いをしたり、歌詞をつくるワークショップに行ってみたりしてるけど、なんか今までと感覚が違う。

悪い感じではなくて、むしろ気楽なんだけど、その気楽さになれてないのか、なんかのかよくわからないけど、なんか不思議な気分。

なんとなく4月に実家に帰ったことが影響してる気がする。

・・・と、ここまで書いて、なんとなく今年の分のブログを読み返してみる。

なんか、似たことを書いてるなぁ。

8月だからじゃなくて、実家から戻ってきてからずっと続いてる感じなのかもなぁ。

でも、なーんか感じが変わってきてて、それが当たり前になってきてるというか、自然になってきてるというか。

当たり前になってきてるから、意識できなくなってて、それが不思議感に繋がってる気もしてる。

再び言うけど、悪い感じはしていない。

だったら、それでいーのかも知れない。

明日から4連休。

別に休むことをお願いしたわけじゃなくて、シフトがそうなってた。

そんな4連休って初めてかもな。

今日まで5連勤だったから、なおさら休む感が強い。

ちょっとした区切り感。

さてさて、どんな感じになるかなー。

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8月は不思議な月 [いま、ここ、わたし]

8月はいつのころからか自分にとって少し不思議な月。

6月は父の誕生月、7月は兄と妹の誕生月。

9月は自分の誕生月。

母は3月生まれだけど、なぜか母の誕生日祝いを実家ではやらなかったのでイメージが薄くて、感覚的に6月7月9月が誕生日祝いをする月になってる。

家族の中でひとりだけ痩せていたこともあって、どこか自分だけ家族と違う感じがあり、6月か7月に生まれていたらなぁ、と思い続けていた。

乙女座だったことも、別の月に生まれたかった思いを強くしてるんだと思う。

改めてこうやって書いてると、とても不思議ではあるんだけど、ほんとにずっとそう思ってた。

さらに妹の息子が6月生まれで、羨ましいなーと思ったりもしてた。

6月7月のお祝いが終わって8月は祭りの後みたいな感じで、9月はもうどうでもいい、みたいな感覚なんだよなぁ。

毎年きちんとお祝いしてもらってたのに、どこか取ってつけたような感じが拭えなかった。

だから8月はなんとなくぼんやりする。

自分の誕生日の9月に向けて期待する前の月!みたいなのじゃなくて、もう7月で終わってるし、区切りはついてるし、8月は下降線で9月はその下降線の一部としてただ流れてくる。

そういう意味では8月は力が抜けてる月でもあって、9月の誕生日に向けて一年を振り返ったり、これからのことを考えやすい月になってる感じもある。

だから、8月に入って、あー、またこの月がきたなー、これまでを振り返って、これからのこと考えて、って思ってる。

どんな8月9月になるかな。

この二ヶ月は少しイベントっぽいことがありそうで、それを自分がどう感じていくか、楽しみにもしてる。

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今日はおにいちゃんの誕生日 [いま、ここ、わたし]

49歳で亡くなった兄、生きてたら今日で54歳になる。

おにいちゃん。

中学か高校ぐらいから兄貴と呼ぶようになったけど、それまではおにいちゃん。

父をおやじ、母をおふくろ、みたいに、中学とか高校で呼び方を変える男の人は多いけど、私はとうさん、かあさん、で、おとうさん、おかあさん、から、お、を取っただけにしたんだよな。

それは、なんか、おやじ、おふくろ、みたいな言い方が好きじゃなかったから。

でも、兄だけは、兄貴、にしたんだよな。

それは、兄とは年をとっていくごとに話があわなくなっていって、距離を取りたかったからかもしれない。

1歳しか違わない兄弟だから、兄、弟、というよりは、双子みたいなものだったのかもな。

そういえば、専門学校の時、簿記を教えてくれてた先生が「1歳しか違わないなら、ライバルみたいなもんだろう」みたいなことを言われて、そんなこと考えたこともなかったけど、あー、そういわれるとそーだなー、と、すごく腑に落ちた記憶がある。

兄は「長男は大変だ」とよく言っていて、「お前は自由でいいよな」とも言っていた。

勉強も仕事も私の方がうまく回っていたから、「お前が長男だったらよかったのにな」とか言うこともあった。

結果的にライバルだったかもしれないけど、私にとっては兄は兄で、追い越そう、とか、勝とう、みたいに思ったことはなかった。

でも、私も私で兄が親に金銭面で頼り過ぎてることを指摘したりもしたし(そういう話をすると、「親は頼って欲しいもんだ。だから頼ってるんだ」とか言ってたな)、自分は母親に仕送りをしたりもして、なんか兄よりしっかりしてる、みたいな感じになってたりもしてたから、兄としては嫌だっただろうな。

自分としては、自分は同性愛者だから、家族を持たず、ひとりで生きていくことになるから、そのためになんとか自分で生きていけるようになるために必死だっただけなんだけども。

そんなこと知らない兄から見たら、なんでそんなに必死だったのかは分からなかったかもしれない。

あ、でも、母にカミングアウトしたとき、母は「そういえば、おにいちゃんはあなたが男が好きなんじゃないか、って言ってたよ。女性と結婚したから勘違いだったと思ったみたいだけども」って言ってて、そういう面では、兄はよく私のことを見ていたのだとも思う。

全然なにも相談しないで生き方を決めていく私に「お前は本当に家族に何も相談しないよな」って、少し怒って、少し寂しそうに、よく言ってたっけな。

兄は40歳過ぎたごろから体調を崩して何度か入院したり、勤めていた会社が倒産して無職になって借金まみれになったりもしてた。

私の方から借金の肩代わりをするっていってお金を貸したり、入院した病院にお見舞いに行ったりすると、兄としては情けなく感じるのか、私に対する嫌な気持ちが強かったみたいで、あまりうまく話せなかったりもした。

何がきっかけか忘れたけどメールで近況報告をしてくれるようになって、それにはそっけなく答えたりもしてたな。

そんな、おにいちゃん。

自分は兄が嫌いだと思ってから、兄が死んだ時、あんなに辛くなるなんて自分でもびっくりしたけど、やっぱりそれは一番近い存在だったからだし、はっきり喧嘩できる数少ない相手だった。

そんな、おにいちゃん。

今日、多摩川を散歩しながら、あー、おにいちゃんの誕生日だよなー、って思ったら、よくわからない気持ちが湧いてきて、それは結局うまくつかめなくて、なんなのかわからないままなんだけど、でも、そういう気持ちが湧いてくる唯一の相手なんだよなぁ。

おにいちゃんと今話したら、どんな話をするだろうな。

何話しても結局喧嘩しそうだけど、それは自分にとって貴重なことなんだよな。

自分の思ってることを、そのまま言える相手。

喧嘩してもいい相手。

今の自分にはそういう相手がいない。

それは、寂しい。

おにいちゃん。

おにいちゃん。

おにいちゃん。

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【読了】「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」東畑開人 [いま、ここ、わたし]

今日は仕事を休みにした日。

知り合いのライブに行こうかなーと思って休みを取ったんだけど、なんとなく今じゃないなー、という気持ちになってて行くのをやめた。

先日植え込みに撒いた腐葉土からなぜかたくさん朝顔が芽をだしてきてて、どーしよーかなー、抜くのやだけどこのままでも困るなー、と迷いつつ植え替えたりして、ついでに雑草抜いたりもし、近くの病院で2年ぶりのがん検診にいき、そのままだらだら散歩して、行きつけのパン屋に行って帰ってくる。

歩き疲れてたけどなんとかカレーを作り、食べて、一息ついたところで、昼寝しようかなー、と思ったけど、なんとなく東畑開人さんの「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」 を読み始める。

残り1/3ぐらい。

【この記事】で書いたけど最初は嫌ーな感じだったのに、あー、今の自分が読む本なんだなー、と思えて、残りをいっきに読んで、今19時30分。

今年の2月、5年前に別れて一切連絡してなかった元パートナーにメールして、返信があって、少しだけやりとりできたんだけど、そのことをぼんやり思い出したり。

三年前、兄の一周忌で母へ同性愛者だとカミングアウトしたこととか、兄との関係とか、そんなことも読んでるとちらほら思い浮かぶ。

今の職場でまったく新しい仕事をはじめたこととか、2007年からホームレス支援のボランティをしてた時のこととかも。

ここんとこ、なんで自分はゲーム開発を仕事にしたのかな、そしてなんでやめたのかな、と考えることがあるんだけど全然答えは湧いてこなくて、なんでプログラムが好きになったのか、なんでゲームが好きになったのか、とかも、考えても答えは出て来ないんだけど、この本を読んでいると、そんなことも、すごーくうすーくだけどなにかがかんじられてくる。

52年間生きてきた、そのことそのものをゆっくり時間をかけてなぞるような感じを持った。

読んでよかった。

あー、おなかすいた、パスタ茹で上がったから食べようー。

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メガネをはずしてあるく [いま、ここ、わたし]

散歩のとき、たまにメガネをはずしてあるく。

裸眼視力は0.02ぐらいなので、ぜんぶがぼやけてみえるんだけど、メガネをしてるとものが歪んでみえたり、色合いが変わったりしてるのがなくなって、ものをそのまま見れてる感じがして好き。

このことに気づいたのは、二年前にコンタクトレンズをつけたときから。

コンタクトレンズも乱視の矯正がメガネほどはできなくてぼやけてみえるんだけど、それでも何かクリアな感じがして、へー、と思って、それからたまにコンタクトで散歩するようになった。

ただ、コンタクトは使い捨てのにしたので、あんまり使っちゃうとまた買わなきゃいけなくなるからあまり使えなくて、その代わりメガネを外して歩いてる。

ぼやけた景色をぼんやり見ながらあるいてると、ものの輪郭がはっきりみえなくとも存在ははっきり感じるなー、とか、色は輪郭とは関係ないなー、とか、小学四年生からメガネをずっとしてきてそれが当たり前だったけどメガネがないほうが当たり前なんだよなー、とか思う。

そういえばコンタクトを作りに眼科に行ったとき、色々検査が終わった後、先生に「あなたはとても目の感度がいい。普通、裸眼でこれほど視力が低い人はメガネをしても、ここまで見えるようにならないですよ」って言われて、ずっと自分は目が悪いと思ってたから、とても意外で嬉しかった。

視力は低いけど、感度はいいのかー、って。

小さいときから太陽をじーっと見るのが大好きで、そのせいで目が悪くなったと思ってて、少し後悔したりもしてたんだけど、感度がいいっていわれてほっとしたし、今も太陽をじーっとみるのは好き。

メガネなしの自分、そのままの自分。そんな自分が好き。

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やりたいこと、と、たのしいこと [いま、ここ、わたし]

ここんところずっと、やりたいことってなんだろうなー、って考えてた。

自分の時間をどーつかっていくか、やりたいことがあるなら、それをやれるんだけどなー、って思って。

でも、どーにもピンとこなかった。

やりたいこと、って考えると、なにか目標を立てる、みたいな感じが自分にあるのか、どーも気持ちが乗らなくて、なにも浮かんでこない。

歌やピアノ、ギターやクレパス画、あと詩とか英語とか韓国語とか、ここ数年でやってきたことはやりたくてやったし嫌いじゃないけど、やりたいこと、って枠で考えると、どうもぼやけていく。

そんななか、このまえ、たのしいこと、ってなんだろう、って思った。

川崎でソフトクリームを食べたり、行きつけのパン屋さんでどーでもいい話をしたり、そんなことがたのしいな、って思って、あれ?、もしかして、やりたいことじゃなくて、たのしいことをやればいいのかな?どーなのかな?って思った。

植え込みやベランダを整えて、楽しいとは微妙に違うけど、嬉しいし、気持ちいい、と感じる。

それは、やりたいこと、って言えば言えるかもしれないけど、そういう未来っぽいことじゃなくて、今やったこと、今感じてることで、あー楽しい、すーっと楽になる、そんなことをやればいいのかもしれないなー、と思う。

生きてきて、そういう時期もあった気もするけど、あんまり思い出せない。

それがその時は当たり前だったからかなぁ。

この感じにはまだあまり慣れてなくて、これからどーなっていくかわからないけど、ちょっと試したくて試してる。

たのしー、って、いいよなー。

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