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多摩川ゴミ拾い散歩 [いま、ここ、わたし]

去年の10月から多摩川のジョギングコースのゴミ拾いをしてる。

大田区側、丸子橋から多摩川大橋の間、約4km。

去年の4月から週一回ぐらい、そのコースを散歩するようになったけど、はじめはゴミ拾いはしてなかった。

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そのコースは周りに高い建物が少なくて、空が広く、昼でも夜でも散歩するのはとても気持ちがいい。

道は一部は舗装されてるけど、土がそのまま出てるところが多くて、その時その時に色んな草花が伸びてて、それも気に入ってる。

その草花は季節によってあっという間に伸びて自分の身長を越したりもするんだけど、年に2~3回、行政による草刈りが行われるみたいで、一昨日と昨日も草が刈られてた。

草が刈られると、当然、地面がむき出しになるんだけど、どうやら草刈りはしてもゴミ回収はしない方針らしくて、空き缶やペットボトル、その他色々なゴミが放置されたままになる。

去年の10月、散歩しながらそのゴミがどうしても気になってしまって、ゴミ拾いを始めることになるんだけど、最初はものすごく大変だった。

2018年の夏の台風で多摩川が増水してかなり危なかったんだけど、その時に流されてきたゴミが回収されず放置されたままだったらしくて、かなりの量のゴミがあった。

拾い始めたら大変なことになるなと散歩しながらゴミを見て思いつつ、家から遠いことあり、回収したゴミをどうやって捨てるのか、いちいち家まで持っていくのか、そんなこと続けられるのか、もやもや迷いつつ、なかなか拾い始められなかった。

そんな時、雨が降ってる夜に散歩してたら、たまたま45Lのゴミ袋が落ちてて、破けてもいなくて、ああ、これはもうやれってことだな、と覚悟を決めて、その時から拾い始めた。

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しっかり数えてはいないんだけど、去年の10月に45Lのゴミ袋で20袋分は拾ったと思う。

空き缶やペットボトルは多摩川近くにある自動販売機横の回収ボックスに捨てつつ、それ以外のゴミを可燃と不燃に分けながら、一日に一袋づつくらい一ヶ月近く拾い続けた。

昼間にゴミを拾っていると声をかけてくれる人もいて、この大量のゴミが台風で流されてきたことを教えてくれたり、ありがとうと言ってくれたり、なかなかできないことだよねと言われたりした。

自分としては人によく思われたいからやるのは嫌で、自分が気持ちよく散歩するためにやっているということをずらさないようにしていた。自分の行動の動機を外側の基準に持ちたくなかったから。

それでも、ありがとうと言われるのは嬉しかったな。

少し話がずれるけど、実はその時の台風で土砂が階段を塞いでしまったところがあって、ゴミ拾いが落ち着いた後、そこの土砂をスコップでどけることもやった。家からスコップを持っていって。

これも大変だったけど、やっていたら近所のおじさんが声をかけてくれて、「台風の後、途中までやったんだけど大変すぎてやめたんだよ。自分ももう一回やるよ」と言ってくれて、お互い予定をあわせたりはしなかったから一緒にやることは2、3回ぐらいだったけど、思ったより早く終わった、みたいなこともあったな。

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去年の10月に目につくゴミを拾い終わってからは、散歩のたびに小さい袋を持っていって、目につくゴミを拾いながら散歩するようになった。

溜まってから一気に拾うよりちょこちょこ拾ったほうがいいだろうとも思ったし、きれいな状態を維持したくもあった。

煙草の吸殻、ビールや焼酎の空き缶、お菓子や飴の袋みたいなものは普通に毎日落ちていて、それらを拾いつつ、それ以外にも本当にいろいろなゴミを拾っている。本当にいろいろ。

そんなゴミ達を拾いながら、このひとつひとつのゴミも、捨てられる前は楽しく飲んだお酒の缶だったり、美味しいお菓子の袋だったりしたんだよな、と思い、そのゴミの人生を想像したりするようになっていった。

このぬいぐるみは捨てられたのかな、それとも落としちゃったのかな。

この10個もある空き缶の山は何人で飲んだのかな。

シャボン玉のセットだ、子供が楽しく吹いたのかな。

同じ銘柄のタバコがたくさんあるけど、吸った人はストレスが凄いのかな。

そんな思いを歌詞にしたのが、noteに上げてある【歌詞#12 空き缶の歌】

ゴミを拾うことは、ゴミに出会うこと。

ゴミに出会って拾って、そのゴミはゴミになる前のものに一瞬戻って、最後の時間を迎える。

今日もゴミを拾いながら、そんなことを思っている。

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