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ブログ振り返り(36歳編) [いま、ここ、わたし]

36歳(2005年~2006年)

【2005/09/25 引越しします】
さるさる日記から、So-netブログへの引っ越し。
3年弱でアクセス総数は3605。

【2005/10/22 東京国立博物館、「伊万里・京焼」展】
焼き物もゲーム機もおんなじ。博物館大好き。

【2005/12/29 「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」橋本治】
うん。その通りだと思う。

【2005/12/30 今年も終わりですね】
ここに書いてあるあることは40歳では達成できなかったけど、今も同じ感じ。

【2006/01/02 他局の宣伝はなぜ悪いのか】
カテゴリーに「ヨノナカを叫ぶ」を追加。

【2006/01/14 「不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か」長山 靖生】
読んでて、中学のころ父親に「勉強あんまりできると友達にのけ者にされるから勉強したくない」って言ったら、すごい怒られたことを思い出しました。

この時は、普段ほとんど怒らない父が、すごい怒ったのでびっくりしたなぁ。
ここには良くない意味で周りに合わせてしまう自分がはっきり出ていて、怒られるのは当たり前だとも思えた記憶がある。

【2006/03/15 「マルクスに誘われて」的場昭弘】
自分には「学問は難しくて一般的じゃない」なんて思い込みがありますが、多分それは何か違うんでしょうね。 「こんなの普通の人は調べねーだろ。学者じゃあるまいし」と思っても、自分が知りたいと思ったことをキチンと調べたり、それについて色々考えたりするのは、別に変なことじゃない。恥ずかしいことでもない。かといって褒められたり、偉いことだったりするものでもない。 「説明できる理由はない。ただ知りたい」それだけでいいと思うのです。 でも「説明できる理由はない。ただ知りたい」それだけで自分を動かすのは、とても難しい。 少なくとも自分にはとても難しいことに思います。なぜかは良く分かりません。 なんで何かするのに他人に対してでも自分に対してでも理屈を付けないと気がすまないのか。ばかばかしい限りです。


【2006/05/08 「絵はだれでも描ける」谷川晃一】
この頃から自由に絵を描くことをしたかったんだな。

【2006/05/12 脳みそ】
【2006/05/14 思惑の押し付け、もしくは自他の距離感について(脳みそ補足)】
「自分の脳みそ」を「他人の脳みそのエミュレーター」にしないこと、また「他人の脳みそ」を「自分の脳みそのエミュレーター」にしようとしないこと。そのことについての不快感を意識化すること。 ただこのことを意識化することは自分にとっては結構厄介な話で、「他人の脳みそをエミュレートしている状態」でも、「自分の脳みそ」を使っていることには変わりないわけで、そうなると「自分で考えている」ことと区別がつきにくいのです。厄介です。

このことは、折につけよく考える。
最近だと、新しい職場で周りに合わせようとしすぎてうまく行かないことがあって、ああ、まただ、と思った。
自分の強い特性の一つだから、それを意識しつつ、受け止めつつ、その上でどうするかを考えながらやっていってる。

【2006/06/14 「孤独と不安のレッスン」鴻上尚史】
今も近いことを考えるけど、微妙に何かがずれている気もしている。
孤独と不安から自由にはなれない、の部分かなぁ。

【2006/07/01 希望を歌う】
橋本治とサンボマスター。

【2006/07/15 「失踪日記」を読み返し、自戒を込めてゲーム業界を思う】
失踪日記に、 「私が少しずつ漫画に情熱を取り戻せたのは 山下洋輔さんの「好きなことをやってないやつの顔はゆがんでいる」という言葉と、同人誌で好きなように描いているアマチュアの人々に後押しされたからかな」 という文が出てきます。

ほんとに。

【2006/07/16 「失踪日記」を読み返し2、悪口の効用?】
これは今だと、多摩川べりを散歩しながら、思ったことをぶつぶつ独り言を言いつつ、その悪口を言いたくなる自分を受け入れつつ、受け止めて、ただ聞いていると、少しづつ気持ちが楽になっていく、みたいなことかな。

【2006/08/02 「僕が批評家になったわけ」加藤典洋】
キレイにまとめて話すことなんて出来ない。その時その時の切れッ端を「なぜか分からないけど」書き付けていく。誰かの、何かの、役に立つことがあれば、そりゃ涙が出るほどうれしいけれど、誰かの、何かの、役に立つことを目標としてはいけない。


【2006/09/03 議論をすることは良いことですか?】
「正しい意見」や「人のためになる意見」だけしか語れない狭い場所にいつづけるのではなく、もっとなんでも語れる広場のような場所にいたい。

この記事は強く印象に残っていて、ほんとそうだなぁと思う。

【2006/09/03 本田由紀のblog閉鎖、一体お前ら何がしたいんだ!】
この記事も強く印象に残っていて、それは色んなコメントがどんどん来たこと。
本田由紀さんの本は最近読んでないけど、どうなさってるのかなぁ。

【2006/09/10 「差別への凝視―365日が3回」大菅新】
この記事もコメントがたくさん来たし、記事を書いた6年後に実際に大菅新さんの教え子さん達からコメントを頂いたりした。
自分が同性愛者であることを受け止めきれていなかった時期でもあり、それも影響しているんだろう。
でも、なんだろう、【2005/04/14 「生きる意味」上田紀行】への感想でも書いたけど、岸政彦さんだったら、こういう本は書かない気がする。
うーん、うまくまとめられないな。

【2006/09/16 スルー不可能性、または叫び声について】
これも印象的な記事。
それは倫理感や正義感からではなく、「わたしはあなたの叫び声を聞いた」とそれだけをまずは伝えたいと思うからです。

上の差別の話は、この気持ちも含まれてる気がする。
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